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ライティングフローの分析

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2021/01/17 第588号

○「はじめに」

ポッドキャスト、配信されております。

◇第九十五回:Tak.さんと位置けにくい情報の扱いについて by うちあわせCast

今回は、「アイデアの扱い」という情報整理において一番の厄介事を検討しました。昔からある問題なのですが、デジタルツールが一般化したことで、むしろややこしさが増えた問題だと感じています。

〜〜〜ストレッチ・ライティング〜〜〜

最近「ストレッチ・ライティング」なるものをスタートしました。といっても、中身はフリーライティングと大差ありません。ちょっとしたテーマを決めてスタートするフリーライティング、という感触です。

使うのは、もちろんアウトライナー(私はWorkFlowy)。

まず、自分がこれから書こうとしているテーマについて項目を立て(たとえば「仕事について」)、あとは思い浮かぶことをどんどんそこに書き込んでいきます。

基本的に階層を深くすることは考えません。テンポよく、行ごとに改行していく感覚で進めます。ちょっとだけ掘り下げたいことが出てきたら、言葉通りその項目を掘り下げて(つまりインデントを入れて)いくつか書き足し、それがおわったら再びインデントを上げて、同じように軽快に書きつけていきます。

一通り書けたかな、と思ったら次の項目に移ります。私は「家族について」と書き、再び思っていることを書き進めました。GTDにおける「洗い出し」に似ているかもしれません。考えいることを、ともかくアウトライナーに並べていく感覚です。

もし、「家族について」の項目を書いているうちに、仕事について関係ある内容を書きたくなっても、気にせずそのまま書き進めていきます。わざわざ項目を移動して、「適切な場所」に書きつけるようなことはしません。必要とあれば、後から移動すればいいのですし、そもそも「ドキュメント」を作っているわけではないので、整合性など二の次、三の次です。

同様に、その項目が書き終わったら、次の項目に移ります。それを十分に気が済むまで続けていきます。

最終的に私は、「健康について」と「気になること」の項目を作り、そこにあらかた書きつけて、十分な満足を得ました。すっきりした感覚です。

その感覚が、ストレッチをしたときに得られる「伸びたような感覚」に似ているので、ストレッチ・ライティングと呼んでいる次第です。

ちなみに、ストレッチの目的が柔軟性を取り戻すことにあって、何かしらの記録の樹立が狙いではないように、このストレッチ・ライティングも、頭がすっきりすれば十分に目的を果たしています。ここに書いたものを素材にして何かをしたり、あるいは別途リストを作って管理する、ということはしません。

また、あくまで目的はストレッチなので、あらかじめ大項目をすべて立てておき、それに沿って書いていく、とうことしません。項目が書き終わるたびに、その時点で新しい項目を考えて書いていきます。

ストレッチにも、いくつかの「作法」があるように、ストレッチ・ライティングにもうまく進めるための「作法」があります。「フリー」という言葉をあえて避けているのも、そのためです。

〜〜〜「書き直し」〜〜〜

ふと思いつきました。

『書き直しこそが最強の執筆法である』

こういうタイトルの本があったら、自分はすごく読んでみたいけれども、たぶんきっと売れないだろうな、と。

自分の経験から言って、原稿は書き直してなんぼです。自分で書き直す、あるいは他の人のコメントをもらって書き直す。そういうことを繰り返していくと、着実に「執筆」のための筋力が付いてきます。一方で、収まりの良い文章を手軽に書くコツを教えてもらったら、そういう筋力は付かないでしょう。長期的に見ても、「書き直す」ことを避けて通らない方が良さそうです。

それに、バザール執筆法をやっていても感じるのですが、何度リテイクしても、必ず顔を出す「素材」があります。それを使おうと意識しているわけではなくても、文章の流れの中で避けがたく言及される話題があるのです。そういう話題は自分にとっても大切な話題なのでしょうし、それが大切な話題であると確認できることは少なからず意味を持ちます。

*書いているときは、どの話題も大切そうに思えるからです。

というわけで、もしバザール執筆法を紹介する本を書くとしたら、上記のようなタイトルにする……かもしれません。

〜〜〜すべてがこれになる〜〜〜

スマートフォンやタブレットのおかげで、仕事もゲームも息抜きも創作もコミュニケーションも、すべて一つの端末で完結させられるようになっています。便利と言えば、間違いなく便利でしょう。

一方で、そこには言葉にしがたい違和感もあります。不自然さと言い換えてもよいでしょう。

何か決定的なところで、感覚的な要素をロストしているのかもしれません。気がつかないうちに。

〜〜〜目指したい方向〜〜〜

ここ数年、ノウハウ書の「新しい書き方」を模索しています。

何かわかりやすく具体的な単一の手法を紹介し、「この通りにやりなさい。そうすれば必ずうまくいきます」というスタイルで伝えるのでもなく、何の重みづけもなく情報をただ列挙して「ここから自由に選んでください。結果については各自責任を取ってください」というスタイルで伝えるのでもない、中間的な伝え方はできないだろうか、と。

広く情報を提示し、そこでの自由さを担保しながらも、一方で最初の一歩を進めるための基盤もきちんと整えておくこと。その上で、それぞれの人が自分なりのやり方を組み立てられるようになること。

そういうノウハウ書が書けたらいいなと、ずっと考えています。なかなか難しそうではありますが。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、脳のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. これまでに読んで「面白かった」と思えたノウハウ書はどんな本でしたか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、「倉下の執筆活動」の分析をお送りします。

○「ライティングフローの分析」

今年一発目の号で紹介したように、倉下の今年のテーマは「ライティングフローを確立する一年」です。

こうしてテーマが明確になっているのは喜ばしいことですが、「確立する」といっても無作為に進めることはできません。何かしらの指針・方向性が必要です。

それを求めるために、今回は執筆活動についていくつかの観点から分析してみようと思います。

まずは、トップダウン視点から入りましょう。

■分析の要素

分析を進めるために、執筆活動に4つの要素を設定します。

・マテリアル/テーマ
・プロセス
・ボックス
・コミットメント

「マテリアル/テーマ」は内容に関する要素です。「プロセス」は執筆の進め方で、「ボックス」は投稿先です。最後の「コミットメント」は、簡単に言えば私がそれに使える時間や労力を意味します。

まずは、これらの要素から倉下の執筆活動を分析してみます。

■マテリアル/テーマ

原稿と素材となる要素です。「マテリアル/テーマ」とあるように、中身は粒度・解像度・情報化の度合いに違いがあります。グラデーションが広がっている感覚でしょうか。

一番粒度が粗いものは、「大きな関心事」や「研究の方向性」となります。私で言えば、「現代における知的生産の技術について何か考えたい」といったものが相当します。

そこから一段階ほど具体的になると、テーマが生まれます。私で言えば「僕らの生存戦略」や「断片からの創造」などがそうでしょう。

さらに具体的になると、原稿レベルの「タイトル」案が生まれ、もう一歩進めば「実際に書かれた原稿」になります。

これらすべてが何かしらの意味において「原稿の素材」となります。そして、私はこれをいろいろ持っています。いろいろ持っているがゆえの難しさもあります。何をどのように選択したらいいのかがわからなくなってくるのです。

■プロセス

執筆の工程(プロセス)も、単一ではなくその内部にいくつかのステップを持ちます。

テーマレベルであれば、原稿の書き下ろしから入り、それを編集して、本に仕上げる行為が必要です。対して、すでに書かれた原稿があるものは、前半部分は不要で、編集作業から入ることになります。ポッドキャストの書き起こしなども、似た位置からスタートすることになります。

こうしたプロセスは、行われる作業が一様でないと共に、「そこにかかる労力」も違っています。つまり「書き下ろし」「編集」「仕上げ」のそれぞれで必要な労力に違いがあるのです。この労力をうまくデザインしないと、作業的なパンク(主に精神的なもの)が発生してしまうので注意が必要です。

■ボックス

私が現在持っている投稿先は、大きく以下の五つです。

・ブログ(R-style/シゴタノ!)
・メルマガ
・note(単発記事/マガジン)
・SNS
・ニュースレター

これらは記事のボリューム、想定される読者、適切な文章の硬さに違いがあります。また、有料のみで読める、読めないの違いもあります。

こうしたボックスを使い、連載を書いて原稿を集める手もありますし、直接素材にはならないけれども、自分の考えを整理するために記事を書く手もあります。利用方法はさまざまです。

■コミットメント

上記の四つに加えて、決定的に重要で、かつ見逃されがちなのが「コミットメント」です。

たとえば、さまざまテーマやその素材を複数個設定して、それを一日のタスクリストに入れたとしても、それを自分が実行できる保証はどこにもありません。というか、人間には決定的な限界があり、それは想定するよりもはるかに小さいものです。

私の場合であれば、一日で集中して執筆作業に当たれるのはだいたい4時間で、体調が悪いときはそれよりもはるかに短くなります。

よって、メインプロジェクトに一日二時間、サブプロジェクトに一時間を充ててしまえば、残りはもう1時間しかありません。どれだけ複数のテーマを抱えていたとしても、そのすべてを均一に進めていくことはできないのです。

つまり、ここが一番の制約というか決定的なボトルネックだと言えるでしょう。

逆に言えば、この点を加味しないプロジェクトデザインは、現実的なものではなく、将来的な破綻が運命づけられているとも言えます。

* * *

まず以上が、トップダウンからの要素的な分析でした。こうして考えてみるとわかりますが、それぞれの要素は独立しているわけではありません。お互いに影響を与えあっています。だからこそ、この問題をうまくバランスさせるのは難しいのです。

■去年の失敗

ここで、去年の自分の失敗を振り返ってみます。

一年の前半はかなり順調でした。なぜなら「プロジェクト一つルール」を設けていたからです。ある時期にコミットするプロジェクトは一つに限定する。一日に着手する大きな仕事も一つに限定する(たとえば二時間書籍原稿を書いたら、その日の仕事はクリアとする、など)。こういうルールを設けていたおかげで、仕事がパンクすることはありませんでした。

一方で、『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』が発売されて以降、少しずつ「複数プロジェクトの魔の手」が伸びてきました。単に、自分があれこれ同時に進めたくなった、ということです。体も元気さを取り返しつつあり、そうなるとコミットメント欲求も復活してきます。

しかしながら、結局てんやわんやしたわりには、望ましい進捗は得られませんでした。代わりに、「忙しい気分」だけを得た格好です。

いったい何が問題だったのでしょうか。

一言でまとめれば、「過剰なコミットメントによる弊害」なのですが、それをもう少し詳しくみていきます。

たとえば、4時間の作業時間があるとして、先ほどの例のように2時間は書籍執筆に、もう一時間はサブプロジェクトに時間を充てていたとしましょう。そうすると残り1時間が他のプロジェクトに使える時間になります。

このとき、抱えているプロジェクトがあと1つなら、その1時間を使えば問題ありません。対して、抱えているプロジェクトが5つあるなら、一つのプロジェクトには12分程度しか使えないことになります。時間の細切れ化です。

一般的なタスク管理において、「毎日少しでも進めておく」ことは推奨されています。経験則でも、そのアドバイスは正しいと言えます。しかし、上記のような細分化には問題があります。

たとえば、毎日10分だけ各種のプロジェクトを進めているとしましょう。毎日少しずつプロジェクト・メーターが貯まっていくイメージです。

しかし、思い出してください。プロセスは一様ではないのでした。簡単に進む部分もあれば、そうでない部分もあります。じっくりとした思考・検討が必要な期間がどこかの時点でやってくるのです。

それを踏まえて、先ほどの複数プロジェクトの進行を再イメージしましょう。プロジェクトAを毎日少しずつ進めて行くと、どこかの時点でひどく難しい箇所に遭遇します。当然それは、一日10分作業をしたところで解決はしません。数日、悪ければもっと長い期間そこに足止めされることになります。

もちろん、その間もプロジェクトB、C、D、Eは順調に少しずつ進捗します。それらのプロジェクトが「ひどく難しい箇所」に遭遇するまでは、という保留がつきますが。

プロジェクトAが停滞している間にプロジェクトB、C、D、Eが進捗し、そのうちのどれかが難しい箇所に遭遇し、それもまた停滞します。その二つが停滞している間に他のプロジェクトが進捗し、そのうちのどれかがまた難しい箇所に遭遇し、停滞するのです。

最終的には、プロジェクトA、B、C、D、Eはすべて停滞してしまいます。厄介な課題にぶつかって、それを打破するためには、少なくない時間を投下する必要があるのに、実際としては一日に10分しか割り振ることができず、そのプロジェクトの作業をするたびに「う〜〜ん」とうなって、終わってしまうということが続くのです。

これはぜんぜんヘルシーではありません。むしろストレスが強くなりすぎてしまいます。

原稿を書こうとするのならば、ある程度の精神的負荷と付き合うことは避けられないでしょう。しかし、上記のような負荷の過剰な合算は、単に「進め方」による問題にすぎません。本来不要な負荷を、不適切な「進め方」によって生じさせてしまっているのです。

たとえば自動車をイメージしてください。タイヤがどこかの穴にはまりこんだら、ぎゅっとアクセルを踏まないと、その穴から脱出することはかないません。ある速度以下では、アクセルを踏んでいないとの変わらないのです。

複数の執筆プロジェクトを細切れにして複数個進めるやり方は、そうした「穴」をそこら中に──しかも自分で──生み出すことに相当します。これは危険なことです。

もちろん、進めるプロジェクトが「本棚の整理」など、ほんとんどが単純作業で構成されており、着手したらした分進捗が生まれるような性質である場合、上記のようなプロジェクトの細分的着手は非常に有効です。しかし、どこかで「じっくり考えないと、それ以上前には進めない」プロジェクトの場合は、それらを複数個並行して進めて行くことには危険が伴います。特に、人が持てるコミットメントが有限ならばなおさらです。

■うまくできていること

上記のような問題意識を持った上で、次はトップダウンではなくボトムアップで分析を進めましょう。具体的には「これまでにやってきて、実際にうまくできていること」に注目します。

大きく三つあります。

・バザール執筆法
・共同連載→書籍化
・ツイートの振り返り

それぞれみていきましょう。

(下につづく)

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