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Evergreen Notesについて2 / 倉下の最近のアイデア・プロセッシング

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2022/04/25 第602号

「はじめに」

ポッドキャスト配信されております。

◇第百二回:Tak.さんとLogseqと、面に配置することについて | うちあわせCast

Logseqの簡単な紹介と、マンダラート的な表現の効果についてお話しました。最近のデジタルツールではすたれつつある表現だとも思います。

〜〜〜本棚マネジメント〜〜〜

「哲学の劇場」という番組があります。山本貴光さんと吉川浩満さんが主催されている「人文的」番組で、YouTubeや各種ポッドキャストで配信されています。

YouTube
◇人文的、あまりに人文的#104 リクエスト企画「本棚マネジメントについて聞きたい」 | YouTube

ポッドキャスト

その第104回で、私がリクエストした「本棚マネジメント」がテーマとして取り上げられました。たいへん嬉しいです。

本を買い集めている人間にとっては、めちゃくちゃ面白い話が展開されているのでぜひお聴きください。これは、ほんとに、難しい問題なのです。

〜〜〜メモリマネジメント〜〜〜

現在、複数の企画案が走っています。

書き下ろしの書籍の企画が二つ、電子雑誌の企画が一つ、共同KDPの企画が二つ、それに月ごとのメルマガの連載と、そうして書いた連載を本としてまとめる企画がちらほらと、といった感じです。

これまでは一時一企画案としてコミットメントを限定していたのですが、なんとなく現状は(ほんとうになんとなくです。たまたまというか、そのときの流れに乗ってというか)、複数の企画案が走っています。

当初は、そんな状態になると「混乱」するだろうと考えていました。なにせ同時に考えることが多すぎます。しかし、実感として言えば、そこまでの混乱はありません。完全に制御できているとまではいいませんが、大きな破綻は起きていません。

考えるに、一時一企画案の状態でも、ほんとうに四六時中その企画案について考えていたことはなく、むしろそういう状態になったらやばいサインだ、ということがあります。考え過ぎ、あるいはオーバーヒートしてしまうのです。

むしろ、考え続けるにせよ、ある程度は切り替えながらやった方がよいと言えそうな気がします。で、現状はそれができている感じです。

とは言え、あれを考えて、次はこれを考えてと対象を切り替えながら思考を進めていくので、どうしても「メモリマネジメント」は必要になります。以前何を考えていたのかを保持しておくのです。

残念ながら、人間は企画案が増えたからといって脳内のメモリボードを増設することはできません。よって、ハードディスクの拡張で対応します。つまり、「ノートを書く」わけです。

思考の足跡を残しておくだけでなく、再アクセスしたときにぱっと「これから考えようとしていたこと」を思い出せるようにしておくこと。

これが維持できていると、複数の企画案もうまく進められそうです。もちろん数が増えすぎて、そうしたノート書きすら手が回らなくなったらそこで破綻してしまうでしょうけれども。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけですので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. 本棚の運用はどうなさっているでしょうか。本はどのように配置され、どう移動されるでしょうか。

では本編をスタートしましょう。今回はEvergreen Notesというメソッドについてと、最近の倉下のアイデアの扱いについて紹介します。

「Evergreen Notesについて2」

前回まででズンク・アーレンスの『TAKE NOTES!』を確認しました。slip-box法の主要なコンセプトはだいたい紹介できたと思います。

さて、前回の最後にも書いた通りslip-box法は、アナログツールが主力だった時代の「カード法」です。そのナンバリングシステムは巧妙なものの、アナログの制約下だったからこそ要請されたものだと言えます。

今回紹介するEvergren Notesというメソッドは、slip-box法の精神を引き継ぎつつ、それをデジタル環境で実現するためのアレンジが加えられています。

具体的なメソッドについては、以前のメルマガ(*2020/08/17 第514号)で紹介したのでそれを参考にしてもらうとして、今回は「デジタル環境」でのポイントを確認してみましょう。

■5つ目の原則

以前紹介したときは、Evergreen Notesは4つの原理を持つと書きました。しかし、現在ページにアクセスしてみると、以下の5つが挙がっています。

・Evergreen notes should be atomic
・Evergreen notes should be concept-oriented
・Evergreen notes should be densely linked
・Prefer associative ontologies to hierarchical taxonomies
・Write notes for yourself by default, disregarding audience

増えたのは一番最後の項目です。

「Write notes for yourself by default, disregarding audience」

「disregarding」は「無視する」ですから、日本語としては以下のようになるでしょう。

「基本的に、読者のことは気にせずに、自分自身のためにノートを書く」

この原理も大切なので、後ほど検討したいのですが、まずこのように「後から内容が書き変わる」可能性があるのが、デジタル環境でのポイントになります。アナログカードは書いたら書きっぱなしになるものですが、デジタル環境ではその内容を自由に編集できます。

この点は大きな違いと言えるでしょう。

■それ自身が成果物であること

もう一つの違いとして、デジタル環境ではそれ自身を成果物として他の人に提示できる点があります。まさにEvergreen Notesがやっていることです。

梅棹やルーマンが使っていた情報カードは、他の人に読める文章で書かれていたとは言え、その「用途」は基本的に自分向けでした。亡くなられた後に、そうしたカードが「公開」されている事例もありますが、それは応用的というか副産物的な使い方でしょう。ベースは「自分向け」であり、自分だけが読むものとして作られていたのです。

一方で、Evergren Notesは、「Evergren Notes」の思想をまさにEvergren Notesのシステムで実装し、それが広く公開されています。こうしたことが簡単にできることがデジタル環境の強みです。

自分のためのシステムでありながら、他人のための読み物(≒アウトプット)でもある。そういう両義的な情報の在り方をデジタル環境は許容してくれます。

■5つ目の原則の意味

であるからこそ、新しく追加された「Write notes for yourself by default, disregarding audience」の意味が活きてきます。

デジタルツールを使ったカード法の場合、上記のようにそれをそのまま外部に公開できます。あるいは、直接公開しなくても、その「カード」を出版物の素材にすることができます。たとえば、Scrapboxからページを出力して、それをコピペしてまとめて本にする、といった具合です。

しかしながら、そのような「意図」を混ぜ込んでしまうと、ノートがうまく書けなくなると五つ目の原則は警鐘を鳴らしています。前後の文脈を意識したように文章を書こうとしたり、つい「気取った」文章を書いてしまったり、という弊害が起きるのです。

そうやって文章が書けるならばまだしも、だんだんと筆が重くなり、やがてはぜんぜん書けなくなってしまうことすらあります。それはノート活動としては致命的な状態でしょう。

それよりも、とりあえず自分が書けることを書くことを指針にしたほうがいい、というのがこの原則が示す指針です。

デジタルツールだからといって、なんでも「効率化」すればいいものではない、ということをこの原則は示しています。

付け加えれば、これは梅棹の「カード」と「こざね」が同じものではない、というのと似た話になります。この点はカードを使った知的生産を行う上で心に留めておきたいポイントです。

■ナンバリング

さて、以上のように、同じ「カード法」であってもデジタルツールとアナログツールには違いがあるわけですが、前回の最後に言及したナンバリングにおける違いについても見ておきましょう。

slip-box法(あるいはルーマンのカード法)においては、実に独特なナンバリングのシステムが採用されており、それが「いくらでも後から話題を追加できる」特徴をもたらしていたわけですが、しかしその手法は「アナログならではの頑張り」に過ぎません。デジタルツールであれば、もっと違ったアプローチが可能です。

たとえば、Evergreen Notesのコンセプトの中に「Evergreen note titles are like APIs」があります。

>>
When Evergreen notes are factored and titled well, those titles become an abstraction for the note itself.
<<

(訳)
Evergreen notesは適切に切り分けられ、うまくタイトルがつけられると、そのタイトルはノート自体を抽出したものになります。

若干わかりにくいかもしれません。このイメージを支えるためにAPI(Application Programming Interface)というたとえも出てくるのですが、これもプログラマ以外の方には伝わりにくいでしょう。

というわけで、具体例です。

◇ツェッテルカステンにおけるナンバリングの妙 - 倉下忠憲の発想工房

上のページは、「ツェッテルカステンにおけるナンバリングの妙」について書かれています。当たり前ですね。でも、その当たり前の感覚が大切なのです。このタイトルを見れば、内容がはっきりわかる。つまり、タイトルが中身を abstraction したものになっている。そういう話です。

もし、ノートの内容がごちゃごちゃとしていたら、このような「一対一」の関係は望めません。だからこそ、Evergreen notesでは「Evergreen notes should be atomic」という第一の原則があるわけです。

さて、上記のように一対一の関係があり、しかもそのタイトルが内容を要約しているのだとしたら、タイトルがそのノートのIDになりえます。

アナログのカードを使う場合、特定のカードを「指さす」場合には、何かしらのナンバリングを必要としていました。それはたとえば、1,2,3,のような連続したナンバリングか、あるいは2022年04月20日11時12分33秒のような、タイムスタンプかのどちらかです。そのような番号をうち、番号通りに並べておくことで、特定のカードを即座に探し出すことができました。

もしこれを「タイトル」でやったとしたらどうなるでしょうか。アナログのカードでも「一対一」の関係で記述することはできますが、「ツェッテルカステンにおけるナンバリングの妙」と書かれていても、そのカードがどこにあるのかは瞬時にはわかりません。カードを一つひとつ見ていく必要があります。おそろしく時間がかかる作業です。

カードをアルファベット順に並べていれば、そうした目視検索の役には立ちますが、逆に言うと、アルファベット順はそれ以外の何の役にも立ちません。作成日順や文脈順などの方がよっぽど役立つでしょう。

一方で、デジタルツールでは、タイトルが分かればそれで「検索」すれば十分に事足ります。タイトルがIDになる時点で──検索のための──ナンバリングは必要なくなるのです。

また、考えてみてください。自分がカードを記述しているときに、「ああ、そういえばツェッテルカステンにおけるナンバリングの妙について書いたカードがあったな」と思い出すことはあるでしょうが、そのカードにどんなナンバーが振られていたのかを思い出すでしょうか。というか、そんなことに記憶容量を使うのは合理的とは思えません。

つまり、カードを「指さす」ためにナンバリングを使う場合、カードを記述しているその瞬間に必要なカード番号を呼び出すことはほとんど不可能で、いちいちその度にカードボックスを参照する必要があります。これはけっこう骨の折れる作業です。少なくとも、そういう「楽しみ」を感じない人では続かないでしょう。

ScrapboxやObsidian、それにRoam Researchなどのツールでは──バックグランドで英数字のIDが振られているにせよ──、ユーザーが他の「カード」を呼び出そうとするときに必要なのはノートの「タイトル」だけです。

タイトルが適切に作られているならば、ややこしいナンバリングに付き合う必要もありませんし、カードを探し回る必要もありません。そのタイトルを記述すればそれでOKなのです。

よって、デジタルツールにおけるカード法では、slip-box法の特殊なナンバリングについては気にしないでOKです。もちろん、どうしてもナンバーをつけたいというのであればつけてもまったく問題はありませんが、それよりも「適切なタイトルづけ」に頭を使う方がはるかに知的生産に役立つでしょう。

■さいごに

というわけで、一ヶ月にわたって『TAKE NOTES!』(+Evergreen Notes)について確認してきました。

個人的にはslip-box法の各種用語(の日本語訳)は、改めて検討したいと思っています。ただ、一人で考えてもラチが空かないので、ここは「共有知」の出番です。またそのための「場」を設定したいと思います。

とりあえず、新しく認知されはじめたカード法とデジタルのそれについてはだいたい確認できました。というわけで、来月からは「Scrapbox知的生産術(仮)」を書き始めようと思います。お楽しみに。

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