一年の目標の戦略 / 一年の目標のフレーム / incシステムにおける神様ファイル / アイデアメモはどう並んでいてほしいか
はじめに
ポッドキャスト、配信されております。
◇第百四十四回:Tak.さんと2023年の振り返りと2024年の目標について 作成者:うちあわせCast
◇BC080『観光客の哲学』と『哲学の門前』から考える読書について
うちあわせCastは、二人のそれぞれの今年の目標と、「新年の目標を立てること」の意義についてお話しました。
ブックカタリストは、新年にふさわしく「私たちが本を読む意味とは何か?」を二冊の本を通して考えました。
よろしければお聞きください。
〜〜〜Knowledge Walkers通信〜〜〜
Knowledge Walkersに、二つの記事を投稿しました。
◇Evernote移行マニュアル | Knowledge Walkers
◇年末年始は情報整理を | Knowledge Walkers
一つ目は、以前もお知らせした「Evernoteから別のノートツールへの移行」を補助する記事です。単にデータを別のツールに移すだけでなく、情報ツールとのつき合い方を再考する助けになればと思います。
二つ目は、これまでずっと年末にシゴタノ!で書いてきた「年末年始は情報整理を」的な記事をまとめたものです。ついでに、シゴタノ!の記事群を以下にリストアップしてみました。
◇「年末年始は情報環境の整理を」記事リスト | 倉下忠憲の発想工房
こうした「季節物」の記事は、雑誌の企画ように毎年毎年同じようなものが出てくることに価値があるとも思うのですが、そうしたフロー型のスタイルとは別に、ストック型としても残しておくの悪くはなさそうです。
でもって、この記事も毎年少しずつバージョンアップできれば very good です。
〜〜〜すてき生産の技術〜〜〜
ふと思いついて、以下のようなツイートをしました。
「知的」と「すてき」をかけた、しょーもないダジャレではあります。でも、結構反応をいただいて、びっくりしました。
考えてみると「知的生産」という言葉はあまりにも固過ぎる上に、「なんのためにそれをするのか」という目的・意義がすっぽりと抜け落ちています。
一方で、(たとえダジャレではあっても)「すてき生産」という言葉は柔らかいですし、その上「自分にとってすてきなものを生み出そう」という行為の指向性が示されています。瓢箪から駒ではありませんが、なかなかよいフレーズを思いついたのかもしれません。
頭がよくなるとか、人格を向上させるとか、成果を手にするとか、効率的になるとか、人の上に立つとか、そうした目的とは異なる、「自分にとってすてきなものを人生のなかに生み出していく」という行為とそれを支えるための技術。
それは最近私がずっと考えている「生活の技術」を支える大きな要素なのかもしれません。
皆さんはいかがでしょうか。生活の中に「すてき」を生み出すような行為は、どれだけ含まれているでしょうか。あるいは意識されているでしょうか。よろしければ倉下までお聞かせください。
では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、「一年の目標」の戦略とフレームワーク、それにincシステムの続報とアイデアメモの扱いについてお送りします。
一年の目標の戦略
今回は、一年の目標の戦略を考えます。といっても、"今年の目標をどう達成していくのか"の戦略ではなく「一年の目標」という概念(知的道具)をどのように扱っていくのかの戦略です。つまり、「一年の目標」の戦略。
そもそもとして、私たちは「目標の技術」を磨かないままに、目標を扱っているところがあります。なんの説明も受けず、ただ他人が運転している車を見ただけで、自動車に乗り込むのと似たような危険さがあります。
だからこそ、あらためて目標の技術について考えたいわけですが、その取っ掛かりとして「一年の目標」の戦略について考えてみます。
■去年の振り返りから今年の目標につなげる
まず、「今年の目標」はいきなり立てない方がよいです。いきなり立てた方が気持ちよく、壮快ではありますが、むしろそれが足を引っ張ってしまうことの方が多いです。そうした状態で立てると、現実離れした目標や計画になりがちだからです。
もちろん、未来方向についての思いは多かれ少なかれ「こうなって欲しい」という願望が混じっており、つまり現実ではないものが含まれていることを意味します。とは言え、願望の割合が1%と90%では違いがあるでしょう。いきなり目標を立てると願望成分が多くなりすぎてしまうわけです。
というわけで、まずは「去年どうだったのか」を振り返ってみるのが吉です。去年を一つのベースラインにして、そこから来年への展望を描く。そうすることで願望成分をかなりの程度抑えることができます。
もっと言えば、「来年の目標」を意識的に立てようとするよりも、去年のことを振り返っているうちに自然と「今年はこういう年にしたい」という気持ちが湧いてきたとしたら、それが「今年の目標」にふさわしいものだ、と言えるかもしれません。
「目標を立てなければならない」という無理強いが含まれていると、どうしても「無理な目標」が出来がちです。だって、その時点で「こうしたい」という自然な思いがない状態で、目標を「作ろう」としているわけです。そりゃ、自分の欲求に沿ったものになるはずがありません。「不自然」という言葉と同じニュアンスで「不自分」な目標が出来てしまうでしょう。
人間というのは(あるいはその脳は)本当に面白いもので、何かしらを問われたら、見事にその場で答えを「でっち上げて」くれます。言い換えれば、何かしら「それっぽいもの」を脳は思いつくのです。しかも、それを口にする瞬間は、当人もそれを「でっち上げて」いるとは感じません。むしろ「確からしい」と感じていることも多いでしょう。
そうした形で「作られた」目標は、人を「不自分」な状態に置きがちです。だからこそ、目標は「作る」ものではなく、「立てる」ものと考えた方がよいでしょう。すでにそこにあるのだけども、横向きに倒れていて目につきにくくなっているものを、「よっこらせ」と立てて目につくように仕立て直すこと。それが「目標を立てる」です。
"目標は「作る」ものではなく、「立てる」もの"
新しい標語ができましたね。
さらに二点補足すると、まず去年の振り返りをするために何かしらの「記録」があった方が便利です。細かいログでなくてもカレンダー(予定表)や日記などでも構いません。記憶だけよりも記録があった方が現実ベースの振り返りになります。
もう一点は、まったく新しい生活が始まるときには、去年は「ベースライン」にはならない、という点です。たとえば、去年が高校三年生で今年から大学生ならば、生活環境が一変するでしょう。生活の時間帯だけでなく、日常的に行うことすら大きく動くはずです。そうしたときには去年の事柄は今年の「現実性」を担保してくれるものにはなりません。
逆に言えば、去年が今年のベースラインになってくれるのは、去年と今年がだいたい同じ場合だけです。つまり「常に去年を意識しろ」という話ではなく、去年と今年で大きな変動がないならば、去年の事柄は参考になるよ、という話でしかありません。この点は注意しておいてください。
■一年の目標は大雑把に
続いて、目標の粒度です。
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