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AIと知識労働者 / PKMの目的 / 今を生きる

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2023/03/27 第650号

はじめに

3月もいよいよ終わりです。

4月から新サイトをオープンする予定なので、また来週にでも告知させていただきます。

お楽しみに。

〜〜〜春のAI祭り〜〜〜

最近chatGPT系の話題が多くなっていますが、発展のスピードが目を見張るものがあります。同じような話題が循環しているのではなく、一週間経ったら「次の階層」に移動しているくらいの感覚があります。春といえばパン祭りのシーズンですが(妻がよくシールを集めています)、現状は「AI祭り」のような雰囲気すら感じられます。

ノートツールにAIが、ドキュメントツールにAIが、画像作成ツールにAIが、ブリッジツールにAIが……、

最近の事例に限っても、枚挙にいとまがありません。さまざまなジャンル・ツール群がAI機能の導入に踏み出しています。ある種の「熱気」がAI(生成AI)界隈に生まれていると言ってもいいでしょう。

この感覚は「ライフハック」に近いものを感じます。かつては「ライフハック」にアンテナを張っていれば、本当にさまざまな情報が入ってきました。効率化・最新ツール・最新ガジェット・ノウハウ論、……。「ライフハック」という汎用的な言葉だったらこそ、その言葉が一種の巨大ハブ足りえたわけです。そこには話題の雑多さがあったと言ってもいいでしょう。

現状のAIも似た雰囲気があります。AI系の話題を追いかけていると、「へぇ〜こんなツールがあるんだ」と新しい出会いをすることが少なくありません。最近のAIが汎用的に使えるものだからこそ、話題のハブ的存在になっているわけです。

ネットワーク論を参照しても、全ての要素が均一につながっているネットワークはあまりに効率が悪いですし、かといって全ての要素がそれぞれ2〜3個ずつの別の要素としかつながっていないのも不均衡でしょう。実際は、たいていは小さいつながりしかないが、ときどき大きなハブがあり、それを中継地点とすることで少し「離れた」要素同士が結びつくようになっているネットワークが「スケールフリー」と呼ばれます。

つまり「ハブ」が大切なのだ!

、という話でまとめてしまうのは単純すぎるでしょう。もちろん、ハブの存在は欠かせないのですが、そうではなく「ハブ」と「そうでない要素」の二種類があることがここでは重要です。その組み合わせによってスケールフリーなネットワークは生まれてきます。

その意味で、ビッグワード=ハブがたくさんあればいいというのではなく、ハブなものを持ちつつもニッチでローカルなものを持っておくことが大切である、というのがここで得られる教訓です。

(ちなみにこの「単一の要素ではなく、複数の要素を持つ」は最近の倉下のテーマの一つで、それを「n個の原理を持つ」と呼んでいます)

〜〜〜タイムラインに何を投下するのか〜〜〜

R-styleを新形態に移行し、さらに新しいWebサイトも構築しつつあるということで、Twitterに何を投稿しようかな、と改めて考えるようになりました。

昨今のTwitterはざわついており、このまま使い続けるのかすら確信が持てないわけですが(2年前には考えられなかった自体です)、そのマスク話は置いておくにしても、今後ソーシャルメディアとどう付きあっていくのかは、改めて考えておきたいところです。

ここで大きなブログ論をぶち上げることはしませんが(それは来週号に譲ります)、それでもSNSの登場・浸透によってブログの存在意義が根本的に変わってしまったことは間違いないでしょう。その変化に対して、私は「静的サイトのようなサイト」(半動的サイト)を作ろうとしています。ただしそれはソーシャルメディアに対するレジスタンスではなく、単に「n個の原理を持つ」という指針を実践しているだけに過ぎません。

で、それはそれでよいのですが、じゃあTwitterは同じように使い続ければいいのかがまだわかりません。基本的に私自身は楽しく使い続けていますが、たとえば買った本の情報を投下することで他の人の物欲を刺激しすぎている可能性はありますし、本の感想を投下することで、「本を読めていない」と感じている人に不要なネガティブさを与えている可能性もあります。

そもそもとして、Twitterは使う人の注意を効率よく"搾取"するように設計されているプラットフォームの一つですし、そこに"興味深い"コンテンツを投下することは、どういう意図があるにせよ、その"搾取"に一役買ってしまっている、という指摘は可能でしょう。

私としては、他の人が面白い本に出会ってもらい、可能ならばそうした本を読んでもらえるような「刺激」を与えられたらいいなとは思っていますが、その願望すら余計なものである可能性はあります。むしろタイムラインから離れて、手元の本や自分のノートに注意を向けられるようになった方が(少なくとも私が考える)健全さには近づけるでしょう。

この問題は考えはじめたばかりなので、十分に納得できる答えをまだ見出せていません。ですので、ぜひ皆さんのご意見をお寄せください。

Q. 皆さんはSNSとどう付きあっていますか。そしてどのようにつき合いたいと願っていますか。

では、メルマガ本編を始めましょう。今回はAI、知識労働、PKMなどについてお送りします。

AIと知識労働者

昨今、AIが盛り上がっています。特に Generative AI(生成AI)と呼ばれるAIが爆発的な能力向上を見せ、「まあまあ使える」どこではなくすでに十分実用に耐えうる機能を提供してくれています。

この原稿を書いている段階では「GPT-4」というモデルがカレントですが、この数字が「4」で留まることはまず考えられないでしょう。Windows OSのように着実にバージョンを挙げ、より「使える」AIに変化していくはずです。

さて、上記のような Generative AI は画像や文章を出力できます。何かしらの指示をこちら(人間)が与えたら、その結果を無機質なコンソール表示ではなく、人間がわかる画像や文章の形で生成できるのです。つまり、そこには「成果物」(アウトプット)があります。それも人間が作ったのと見まがうような、あるいは一見すると人間以上のクオリティーを持ったアウトプットが機械によって生み出されるのです。

こうした状況にあって、「AIに奪われる仕事」という話題が出てくるのは当然の成り行きなのかもしれません。これまで「人間の領分」と思われていた領域が侵されているのだからそう思うのはやむおえないでしょう。そうした仕事の一部に「知識労働者」が挙げられるのも、ごもっともな話ではあります。

しかし、生成AIが出てきたからそれであっという間に知識労働者の仕事が駆逐されてしまう、と考えるのは早計ではないでしょうか。むしろ私はこう考えます。現状の生成AIによって奪われてしまうのならば、その仕事はもともと「知識労働」ではなかったのだ、と。

■仕事の現場にAIが

Generative AI の一般的な普及においては、LINEのチャットボットで使えるツールなどが貢献するでしょうが、日本企業の仕事における普及ではまず間違いなく Microsoft社のOfficeシリーズへの導入が大きなエンジンになるはずです。

◇ワードやエクセルと「GPT-4」が合体 「Microsoft 365 Copilot」発表 日本のDXも爆速化? - ITmedia NEWS

どれだけデジタル・ノートツールが人気であっても、仕事で Microsoft Word を使っている人の数には勝てないでしょう。しかも、用途における切実性もまったく違っています。前者はあくまで趣味的な用途の場合がありますが、後者はリアルな「仕事」において使われるのです。意欲的にその使い方を覚えようとする人の数は相当多いに違いありませんし、来年にはそうしたAI機能の使い方を解説する書籍が大量に発売されているはずです。

では、たとえば Microsoft Word と GPT-4 が接続したら、「仕事」の有り様はどう変わるでしょうか。

ここで「疑念派」の考え方を検討しておきましょう。たとえば学校の課題や小論文執筆にGPT-4を使うのはけしからん、という視点があります。まあ、言いたいことがわからないわけではありません。ちゃんと自分でやってこその「宿題」なわけです。

では、GPT-4を禁止した世界では学生たちは皆ゼロからそうした成果物を作成しているのでしょうか。かなり怪しいと思います。結局ググったり、他人の手を助けを借りたり(ときには行きすぎた手助けのこともあるでしょう)と、なんとか「やり遂げる」手段を駆使して達成していることでしょう。

同じことは「仕事」についても言えます。上司に企画書を提出しようとするとき、ゼロからスタートする人はほとんどいないと思います。つまり、その分野の入門書を読むことから始めて数年かけてその分野の専門書や論文を読破した後で企画書を作成する、なんてことはほぼないでしょう。

まず企画書の書き方・テンプレートをよくあるサイトから探してきて、時流に乗ったよく似た企画を探し、それに「アレンジ」を加えて企画書を仕上げる。そういう「仕事のやり方」が多いのではないでしょうか。なんなら去年の企画案をベースにして、そこに最新データを加えて少し違ったものにする、ということすらあるかもしれません。なんにせよ、ゼロからの作成なんてほとんどしていないわけです。

これは企画書だけでなく報告書でも反省文でも、なんなら分析でも同じです。だいたいの仕事は繰り返しやパターンで構築されており、そこでは外部の(つまり自前の脳以外の)情報が大量に使われています。というか、それがなければ仕事は成立しない、とすら言えるでしょう。

■人間ひとりが抱え込める限界

さて、仮に「既存の情報をベースに少しアレンジしたものを作成する」という仕事が、Generative AI によってほぼ代替されてしまうとしたら、知識労働者の仕事は完全になくなってしまうのでしょうか。

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