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Scrapbox知的生産術10 /Textboxのタスク管理 / WorkFlowyの構造について

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2022/07/04 第612号

「はじめに」

ポッドキャスト、配信されております。

◇第百七回:Tak.さんとトンネルChannelと新しい対話の形 作成者:うちあわせCast

今回は「トンネルChannel」という新しい試みについて紹介しましたが、期せずして大切な話になったかと思います。

〜〜〜自分のモチベーション分析〜〜〜

何をどう考えても、ぜんぜん何も作業しないことに比べたら、5分や10分だけでも作業を進めておく方が、全体の進捗に役立ちます。

それでも、自分の感覚として、「5分10分しかないなら、この作業にはあまり手をつけたくないな」と感じることがあります。実に不合理です。

もちろん、本のコンセプトを固める作業は1時間ほどのまとまった時間がないとたいした成果は得られないので、そういう作業に関しては合理的な判断だと言えるでしょう。しかし、すでに書いてある文章を手直しするような作業であれば、話は変わります。5分で二行でも直せば、間違いなく進捗が生まれています。立派な成果です。

しかし、それができません。モチベーションが生まれないのです。

このように「手をつけた方がいいはずなのに、実際の自分は手をつけられていない」状況に遭遇したら、分析の時間です。まかり間違っても「自分はダメなヤツだ」という結論で思考をストップしてはいけません。なぜそういうことになっているのだろうかと自問するのです。

なぜそうなっているのかの理由を考え、可能であれば対応していく。

こういうアプローチは「カイゼン」として揶揄されることもありますが、それはこうした行為を義務的に行うと苦しくなるからでしょう。それはたしかに揶揄されても仕方がありません。

重要なのはこのアプローチを楽しんで行うことです。つまり、詰問口調で「なぜできないんだ」と修辞疑問を投げ掛けるのではなく、好奇心を持って「どういう理由から、動機づけが生まれないのだろうか」と問うことです。

私の持論ですが、結局のところうまいマネジメントとうまいセルフマネジメントは同じなのです。なにせ、自分が自分の上司になることがセルフマネジメントなのですから、そこで機能するのは「良い上司になる方法」と同じでしょう。

というわけで、なぜ自分が取り掛かれないのかを、好奇心を持って考えてみます。

最初にいくつか理由(仮説)を思いつくかもしれませんし、ぜんぜん思いつかないかもしれません。

もし、思いつくならその仮説を確かめるための「実験」を考えます。だいたい似ているけども少しだけ異なる状況を作ってみると、うまい具合にその仮説が確かめられるでしょう。この辺は科学者の実験の「作り方」が参考になると思います。

あとは、その実験を繰り返していき、「おそらくこれが理由だろう」と想定できる強度を持つ事実を見つけるだけです(それが真実とは限らない点には注意してください。これも科学のマインドセットと同じです)。

一方で、何も理由が思いつかないならば、そうしたときは先人の知恵を拝借しましょう。いわゆるビジネス書・自己啓発書が役立つのはこういうタイミングです。そうした本にはさまざまな「理由づけ」が書かれていますので、それを読んで「仮説」の一つして採用し、あとはそれを確かめるために「実験」するのです。

どちらにせよ、大切なのは、自分の心理を自分で分析してみることであり、それを自分で実験して確かめてみることです。

そのような「分析&実験」の気持ちがあれば、手法やシステムはいくらでも自分で変えていけるようになります。それと同時に自分について理解が深まり、自分の心について注意深さが生まれます。

おそらく、具体的な手法やシステムよりも、そうした理解や注意深さが手に入る方が、成果としては大切かもしれません。

〜〜〜読了本〜〜〜

以下の本を読了しました。

『依存症と回復、そして資本主義~暴走する社会で〈希望のステップ〉を踏み続ける~ (光文社新書)』(中村英代)

非常に面白いです。特に二つの観点が心に残りました。

一つは、かつて依存症だった人が、今依存症である人を助ける、という構図です。むしろ、そうして人を助けるからこそ、依存症に戻らなくて済む、という構図が「ケア」の本質なのかもしれません。まさに「情けは人のためにあらず」なわけです。

もう一つは、ダルクという当事者コミュニティが「一つの変数の最大化」を抑制する、という機能を持っているという点です。これについて語りはじめるとメルマガ一本分になりそうなので割愛しますが、私も「価値を計る物差しの単純化」を懸念していて、おそらく問題意識は通底しているのだろうと思います。

ともかく、依存症の問題は依存対象そのものにあるというよりは、その背後にある「生きづらさ」に注目しないと適切な対応ができないのでしょうし、その「生きづらさ」はこの社会に生きる多くの人々が感じていることなのだろうとも思います。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. やろうと思っている、やるべきだと思っているのに着手できないのはどんなときですか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今週はScrapbox知的生産術の10と、二つのエッセイをお送りします。

「Scrapbox知的生産術10」

前回は、「関連性を探る」方法を紹介した。

基本的には、あるページと別のページをリンクでつなげる行為だ。すでに存在しているページとつなげるならば、ブラケットを作ってその中にタイトルを打ち込めばいい。全文を打ち込む必要はなく、絞り込める特徴的なキーワードだけで事足りる。

もし、リンク先のページがない場合は、空リンクを作ってそれを踏んで新規ページを作成するか、あるいは先に文章を書いて、それを切り出すことで新規作成してしまう。どちらの場合でも、もとのページとリンクが作成される。

それに加えて、もう一つリンクを作れる場合がある。自分が書いた文章の中にページタイトルが含まれている場合だ。

たとえば、私が自分で書いた文章に「価値とは見出されるものである」という表現があったとする。その表現は私がよく使う表現である。よって、その語句を選択してブラケットで囲む(実際は開きブラケットを入力するだけでいい)。

そうすると、もし他のページ(ページCとしよう)で同じような処理をしている場合、この二つのページ(ページAとページC)がリンクされる。言い換えれば、ページCの中に「価値とは見出されるものである」というリンクがあればそれが「関連ページ」として下部の領域に表示される。

この点が、Scrapboxの面白いところだ。

直接的に見れば、ページAとページCにはつながりはない。ページAにはページCのリンクはないし、ページCにもページAのリンクはない。二つのページには距離があり、離れている。

しかし、それぞれのページにある「価値とは見出されるものである」というリンクが、その距離を縮めてくれる。あたかも共通の友人を通じて、見知らぬ二人が新たに友人関係を結ぶかのようだ。

このように直接ではなく、一歩離れた距離にあるページとのリンクを「2hopリンク」などと呼んだりする。直接の関係が1hopであり、さらにその1hop先だから2hopというわけだ。

この2hopリンクが持つ重要性は、どれだけ指摘しても足りないだろう。まさしく「デジタル」だからこそ実現できるすばらしい機能だ。

とは言え、何がそんなに素晴らしいのかはもう少し後に説明しよう。まずは、その前にリンク作りにおける「誤配」について紹介しておく。

■滑らかには進まない

あるページと別のページを関連づける方法は上記で紹介した通りであるが、実際にやってみると「思ったよう」にスムーズにいかないことがある。

たとえば、目的のページとリンクをつなげるためにブラケットを作り、その中に語句を打ち込んでサジェストされるタイトルを眺めていると「あぁ〜、そういえばそういうノートも作ったよな」と思い出されることがある。

そうして思い出した内容が、今のページとぜんぜん関係ないこともあるし、少しは関係があることもある。後者の場合は、その「予想外」のリンクも今のページに付け加えることになる。

また、新しいページを作成するつもりで、タイトルを記述し、それをブラケットで囲ったとき、思いがけずそのリンクが青色になることがある。自分の予想としては、そのリンクは赤色になるはずなのだ。しかし実際は青くなる。つまり、自分が今から作ろうと思っていたページは、過去の自分が作っていたのである。あるいは、ページは作っていなくても、同じようにリンクを作っていたのである。

こういう「意外」な体験は実に印象に残る。そして、かつての自分が作ったページを読み返すことになる。作業はスムーズに進むのではなく、脱線していく。

■驚き駆動

さらに「関連リンク」だ。

先ほどの例のように、私は特に意識することなく「価値とは見出されるものである」という語句を書き込み、それをリンクにしたとする。私の頭の中では、すでにこのつながりは意識されている。「ページAと"価値とは見出されるものである"をつなごう」という意図を持っているわけだ。

しかし、その下に関連ページとして表示されるページCは、そのような意図には含まれていなかったものだ。思い出そうと思って思い出したものではない。取り出そうと思って取り出したページではない。

ここでも、「意外な」(意図外の)情報との出会いが起きている。そしてそこは「驚き」がある。

人間の認知処理は「驚き」によって駆動されることが多い。この場合の驚きとは、事前の予測(シミュレーション)と、実際の結果の差異である。脳科学の知見を援用してもいいが、私たちの脳はそういうときに、非常によく情報を摂取する(言い換えれば提示されている情報により強く注意を向ける)。

ツールの利便性で言えば、探している情報が適切に見つかることは非常に重要な要件だろう。Scrapboxでも、適切なタイトルをつけることでそれが実現さえていることは以前にも述べた。

しかし、Scrapboxの面白さはそれだけではない。Scrapboxでは、「探しているわけではない情報」が見つかるのである。

■ほどよい距離感

Scrapbox知的生産術の05で「予想外の遭遇が面白い」と書いた。たとえば、漢字変換ツールでの誤変換が、新たなインスピレーションを引き起こすことがある。あるいは、何か別の表現を探して本をぱらぱらと眺めているときに、ぜんぜん関係ない文脈で面白い文章に遭遇することもある。

その際にも述べたことだが、こうした飛躍の中にこそ「アイデア」の萌芽がある。これまでになかった組み合わせを見つける契機が生まれるのだ。

もちろん、そうした「予想外の遭遇」はどんな情報でもよいわけではない。世界中のウェブサイトから無作為に選ばれたページがランダムに一枚表示されるとしたら、関係がなさ過ぎてまったく使えないだろう。何かしらの近似性・類似性が必要である。

かといって、単純な言葉の類似性に頼るとノイズが多くなりすぎる。たとえば、私がこれまでに書いた文章の中では「ノイズ」という言葉がたくさん使われているだろうが、それぞれの文脈は少しずつ(あるいは大きく)ことなっている。

純粋に音響学の話をしているのかもしれないし、それをメタファーにした情報学・通信学の話をしているのかもしれない。好意的に評価しているものもあれば、ネガティブな要素として評価しているものもあるだろう。

ノイズを作り出すことを意図しているものもあれば、ノイズを減らすことを意図しているものもあるかもしれない。ノイズの分析やノイズの比較といったこともあるだろう。

単純な言葉の類似性──つまり、単に同じ言葉を使っているだけ──に頼ると、上記のような情報すべてが「関連する情報」として表示されてしまう。

しかも、ツールを長く使えば使うほど、そのノイズは大きくなる。これは長期的に運用するデジタル・カード・システムでは致命的な欠点となる。

必要なのは、適切な距離感を持った「関連する情報」である。近すぎるわけでもなく、遠すぎるわけでもない情報。それこそがScrapboxの2hopリンクなのである。

■二つのステップ

大きな流れを振り返ろう。

まず、Scrapboxに自分の着想を1枚のページに端的に書き留める。そして、そのページの内容を要約するタイトルをつける。これが基本ステップだ。

次に、そのページと関連する内容があるかを検討する。既存のページとリンクをつなげたり、新しくページを作ってそことリンクしたりする。これが二つ目のステップとなる。

この二ステップ全体が、「考える」という行為を構成している。自分の着想についてまず「考え」、そうして考えたものと他の考えたものとの関係を「考える」。

ステップが分かれていることで、一つひとつの知的負荷は小さくなっている。これらを一気に同時にやろうとしたら、パニックを起こしてしまうだろう。困難を分割するのは、ライフハックの基本中の基本だ。

一方で、いくら分割しているとは言え、一つひとつの作業には知的負荷が伴う。どれだけ細かく分解しても、作業の知的負荷がゼロになることはない。むしろ、ゼロになってしまったら、それは知的生産とは呼べなくなる。あくまで、「巨大なしんどいこと」を「小さいしんどいこと」に分割しているだけなのだ。

この二ステップに関して言えば、どのようなツールを使っていてもデジタルであればほとんど問題なくこなせるはずである。

しかし、もう一つ付け加えられた3つ目のステップ「関連するノート」について考えることは、Scrapboxならではである。2hop先のリンクが自然に表示されることで、新たな角度からの「考える」が促されるようになるのだ。

そしてこの活動こそが、かつて梅棹が言った「カードをくる」ことのデジタイズなのである。

(つづく)

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