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管理を手放す / ワークスペースの統合 / ノートユーザーの3つのスタイル / インプットという表現

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2023/07/10 第665号

はじめに

ポッドキャスト、配信されております。

◇BC067『逆境に負けない 学校DX物語』 | by goryugo | ブックカタリスト

今回は、ゲストに魚住惇さんをお迎えして、発売されたばかりの新刊『逆境に負けない 学校DX物語』に関するお話をうかがいました。

『逆境に負けない 学校DX物語』(魚住惇)

学校におけるDXの難しさの話でもあり、チームで働く環境において仕事のやり方を変えることの難しさの話でもあると思います。

よろしければお聞きください。

〜〜〜意外なフィット感〜〜〜

先日発見したことがあります。

たとえば妻が買い物している間にちょっとだけ椅子に座って待っているというシチュエーションがあったとしましょう。パソコンを広げて作業するほどの時間はないが、かといって何もしないでいるには暇すぎる。そういう時間です。

だいたいそういう手持ちぶさたな時間は、Twitterに溶けてしまうのが常なのですが、たまたまセルフパブリッシング原稿のチェックをしてみたところバシっとはまる感覚がありました。iPhoneのブックアプリで試作したepubを読み、修正したい部分にメモを残す。そういう作業がちょうどよくフィットしたのです。

文章を書き下ろす場合は、文章の流れや全体的なメッセージを頭に入れておく必要があります。だからこそまとまった時間に取り組みたいのです。

一方で、原稿の確認作業ではそうした文脈は無視して構いません。というか、文脈が頭に残っていない方が推敲的にはよかったりします。

そうした性質があるので、どんなタイミングでも作業を開始でき、どんなタイミングでも作業を切り上げられるのです。「手持ちぶさたな時間」にぴったりな作業です。

今こうして分析的に考えていますが、もちろんこれは結果からそう考えただけであって、そういう性質があるからこの時間にはこの作業をやった方がよいと推測したわけではありません。ほとんど偶然というかたまたまの産物です。

でも、そういう風に「たまたまやってみる」ことによって、自分がこうだと思い込んでいた状態から抜け出るきっかけが得られます。ルーチンで生活を整えることも大切ですが、だからこそたまにそれを壊してみることも有用なのでしょう。

〜〜〜論文を読むこと〜〜〜

原稿がうまく進まないときに、てきとーに開いてあるPDFを読むことがあります。何かしらの論文のPDFです。

あきらかに脱線であり、好ましい行為とはいえないのですが、進まないのだから仕方がありません(ひどい開き直りだ)。でもって、そういうときには多少難しい論文でも意欲的に読めます。試験勉強中だと掃除が捗るというのと同じ構図です。

ただ、哲学の論文などを読んでいると、そこに登場する概念がぜんぜんわからないことがあります。しかも、その概念を起点としていたり、あるいは批判的に乗り越えようとしている場合、「知らんけど、まあいいか」というわけにはいきません。精緻な理解は望むべくもありませんが、だいたいどういうことなのかを理解しておかないと目の前の論文すらわからなくなってきます。

幸いインターネット・ワールドではそうした概念でググると資料が見つかります。もっと言えば別の論文が見つかります。で、その論文を読んでいたら、そこに登場する概念がぜんぜんわからずに……という沼にはまりこんでしまうことがよくあるわけです。知識が欠けた状態で論文を読みはじめると、あれやこれやと読みまくらなければならない。

で、そういうことをつぶやいたら、Go Fujita さんにそういうのがまさに論文を読むことなのだ、と言ってもらえました。私が知識不足である側面は間違いなくありますが、そうでなくともそうやって芋づる式に読み進めていくものなのだ、と。

もし、そういう経験によって世界が構成されているならば、そこでの「知識」は他の知識によって支えられているものだ、という認識になるでしょう。独立的ではなく連関的に存在するのだ、と。

一方で「これさえ読めばわかる」的なものばかり読む経験によって世界が構成されているならば、そこでの「知識」は独立的であり、他の知識による支えなど不要だ、という認識になるでしょう。

この認識の隔たりは、結構大きなものではないかなと感じた次第です。

〜〜〜世界でいちばん透きとおった物語〜〜〜

杉井光さんの『世界で一番透き通った物語』が今ネットで人気なようです。私もたまたまタイトルを目にし、電撃文庫で好きなシリーズを書いておられた著者だったのですぐに買って読みました。

『世界でいちばん透きとおった物語 (新潮文庫 す 31-2) 』(杉井光)

ストーリー的には、ヤング・アダルト向けの軽ミステリーという印象です。大学生くらいの主人公、年上の女性への淡い憧れ、やっかいな問題と立ちふさがる謎──そこまで奇抜な設定ではありません。

それでもこの作品はすごいです。何がすごいのかは残念ながら言及できませんが、軽快なテンポで綴られるこの本は、紙の本ならではの作品で、途中でその仕掛けに気がついて驚愕しました。

この作品については、いっさいググらず、事前情報も仕入れずに読んでもらうのが一番です。上記のようなテイストの小説が好みであり、しかも自分で文章を書く人ならばきっと私と同じような驚愕を感じられることでしょう。

〜〜〜変質した日常〜〜〜

ふと気がつくと、2年以上電車に乗っていません。在来線はもちろんのこと、新幹線もまったくです。

それはつまり、私が車ばかりで移動していることを意味し、通常の生活圏からまったく出ていないことも意味しています。東京などでのイベントに参加することもなければ、大阪の繁華街に出て大きな書店を巡り歩くこともしていません。

驚くのは、そうして気がつくまではまったくその状態に気がついていなかったことです。ようは、イベント参加や書店巡りをしなくても日常は問題なく回るのです。そりゃそうでしょう。日常はそんなこととは関係なく動いていきます。だからこそ、怖さを感じるのです。

人は慣れる。

これは良いこともあれば、良くないこともあるのでしょう。慣れがなく、不満ばかりが続くのは精神的によろしくありませんが、だからといって不満なく生きていくことだけが幸福だというのも違うでしょう。

一時期「不要不急」という言葉がメディアを席巻していましたが、たしかに日常を構成するごく最低限な要素以外の物事は「不要不急」と呼べるのかもしれません。しかし、そう呼べることと、その本質がそれ以外にないことはイコールではないはずです。

「不要不急」なものがそぎ落とされた日常は、それまでの日常とまったく変わっていないように感じられながらも、本当は大きく変質してしまっているのだと感じます。単に慣れたから何も変わっていないように感じているだけなのです。

皆さんはいかがでしょうか。この2〜3年の間に失われてしまったものは何かあるでしょうか。ずっと意識してきたものではなく、そうなっていることに気がついていなかったものは何かあるでしょうか。よろしければ、倉下にお聞かせください。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は4つのエッセイをお送りします。

管理を手放す

"手放す"ことについて考えていきます。まったく全体像が浮かんでいませんので、つれづれなるままに書いていきます。

■どのような状態が望ましいのか

デイビッド・アレンの『全面改訂版 はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』に以下のような文章が出てきます。「上級——人生の管理」の項目です。

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GTDの基本を習得して効率よくシステムを稼働させることができれば、より高いレベルでプロジェクトをコントロールできるようになっている余裕が生まれてくる。そうなると、人生におけるより大きな枠組みの中でプロジェクトを見極め、管理し、位置づけられるようにもなるだろう。
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こうした文章が読み手を勇気づけ、前に向かって進む気持ちを醸成してくれることは間違いありません。しかし同時に、どの方向が「前」なのかも決めてしまう点には注意が必要でしょう。

GTDを習得すれば、「高いレベルでプロジェクトをコントロールできるように」なり、「人生におけるより大きな枠組みの中でプロジェクトを見極め、管理し、位置づけられるようにも」なる。一見すると、素晴らしい到達点ようです。でも、本当にこれは素晴らしいのでしょうか。

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