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フーコー「真理と権力」読書会用資料

結局のところ政治的問題とは、失敗でも幻想でも、疎外された意識でも、またイデオロギーのことでもありません。それは真理それ自体のことです。

フーコー著、小林康夫・石田英敬・松浦寿輝訳「フーコー・コレクション第4巻<権力・監禁>」p372


はじめに:いま、フーコーについて語るということ

先日、会社の先輩と帰りの電車でバッタリ会った。違う部署なので普段あまり話したことはなかったが、(なぜか)後輩指導の話で盛り上がった。

その先輩は、後輩指導の悩みについて次のように話してくれた。
「コミュニケーションを取るのが難しい子がいてね……。言ったことは丁寧に実行してくれるんだけど、なかなか自分から動けなくて、お客様の前でフリーズしちゃうんだよね。1年かけて矯正したつもりなんだけど、なかなか直らなくて……」

特にビジネスの場においては、目指すべき人物像は具体的に決まっている(具体的には、職位ごとに到達目標が定められている)。誰しもがその理想に近づくべきであり、目標から遠い場合には先輩から「矯正」を受けて然るべきである、と考えられている。

なるほど確かに、ビジネスを円滑に進め、会社として成長するために、従業員が目指すべき人物像を定めておくのは自然な判断だろう(「生政治」)。しかし、ビジネスから一歩離れた場所から考えると、この判断は全く自然ではなくなる。いったい誰が、何の権利を持ってして、「あるべき人物像」なんてものを決められるというのだろうか?

この違和感は、ビジネスに頭からどっぷり浸かっているとしばしば忘却されてしまう。今自分が想定しているビジネスパーソン像が、企業としての/ビジネスとしての理屈によって構築されているという前提を、私たちは忘れがちになっている。

この例に限らず、「こうあるべき」姿というものは、その状況における当事者・関係者の都合によって決定づけられる。なぜなら、「こうあるべき」と考えられる背景こそが、彼ら彼女らが置かれている状況そのものだからである。フーコーの言葉で言えば、権力=力関係が「あるべき姿」を作っているし、その「あるべき姿」によって、共同体の中の権力が再生産される。

「あるべき姿」が決まることで、その理想に近い人と遠い人との間で否応なく上下関係が生まれ、前者が満足感を、後者が劣等感を抱く。この感情によって、権力が各構成員に内在化されていく(「規律としての権力」)。

フーコーは、私たちを統括する不可視の権力を晒すことで、自明視されている「あるべき姿」への信奉に警鐘を鳴らす。その「あるべき」は誰かにとっての「あるべき」であり、普遍的な「当たり前」ではないことを、フーコーは私たちに訴えかけている。

だからこそ、冒頭の話に登場した私の先輩は、次のように自問すべきである。「矯正されるべきは自分なのではないだろうか」、と。


第1回:主張の整理(pp.326-341)

精神医学のような「いかがわしい」科学の場合なら、権力と知の相互作用を、かえって確実な仕方で把握できるのではないか。……その医学とて結局、精神医学と同様に社会構造の中にどっぷりと嵌め込まれているのではないか。(328)

例えば18世紀末までの医学のような科学を例にとってみましょう。
そこにはある特定の言説タイプが存在していたことに気付かされます。25年から30年に渡るその緩やかな変容は、それまで当然のこととして定式化されてきた「真なる」命題とすっぱり手を切ってしまったばかりでなく、もっと深いところで、それまでの話し方やものの見方、要するに医学を具体的に支えてきた諸々の実践の一切と決定的に決別してきた。

ここで問題になっているのは……言説と知の分野で新しい「体制」が生まれたことである(332)。

私の意図は、「いったいどうして、ある特定の時期にある特定の知の領域において、こうした突然の離脱、急激な動き、つまりは、われわれが通常抱いているような静かで連続的なイメージには到底合致しないような変容が起こり得たのであろうか」という問いを投げかけるところにあった(333)。

結局のところ、これは、科学的言語表現の体制(規定関係)と政治(力関係)の問題なのです。このレベルで問題なのは……科学的言語表現相互間にどのような権力作用が行き渡っているかなのです。

科学的言語表現の内的な権力体制とは、一体どのようなものなのか、そしてまた、ある時点になると、そうした体制がガラリと変わってしまうのはなぜなのか。(334)

非連続性は、別の言葉では「事件」として言い表せられる。「我々の捉え得ないもの。絶対的偶然性の場」としての「事件」。この語の本来の意味としての「事件」を捉えるには、構造主義とは逆のアプローチを取らねばならない。

すなわち、諸々の事件を十把一絡げに「事件」という1つの平面に置くのではなく、様々な事件を見分け、その間の差異を識別する必要がある。分析すべきは構造ではなく、微細な対象の間の闘争・戦略・戦術を理解可能にするような系譜学/権力の歴史なのである。

言説における権力の問題については、左派も右派も、それぞれ巨視的なレベルから—左派は国家システムに対して、右派は法に対して—しか論じられていなかった。

微視的な権力のメカニズムについての考察は、1968年—革命の年—以後、日常的な/草の根レベルの闘争が、権力網の最も緻密な網の目の中で抵抗しなければならなかった人々によってようやく開始された。

第2回:主張の整理(pp.341-358)

自己に対して透明なイデオロジー/普遍的に成立するイデオロギーは存在しない。

イデオロギーは、真理と呼ばれている領域とそれ以外の領域との分割線を引く(あるいは、引き直す)が、この行為は普遍的認識ではなく、一種の歴史的宣言である。だから重要なのは、そのイデオロギーがどのようにして真理という効果を生じせしめるのか、という問題である。

またイデオロギーは、何かしらの「主体」を前提にしている。

そして/それにもかかわらず、イデオロギーは、自らが前提とする歴史的系譜ないし主体なしでも成立するかのように論われる。捉えるべき前提を不可視にしてしまうイデオロギーを、私たちは易々と使うべきではない。

強制も規律もないような権力は存在しない。

権力は長い間、抑圧を行う機構として想定されていた。その想定は封建制社会では確かに正当だったが、近代以降の国家社会は生産とサービスを通して行使されるようになった。

それは、各個人が、日々の具体的な生活の中で、生産に結びつくサービスを求められるようになったことを意味する。権力は単なる抑圧機能なのではなく、社会全体に敷き詰められた生産網なのである。

この近代社会は、何のしがらみもない自由市場主義的ユートピアなのか。
否。この社会は、前近代以上に「規律としての権力」を必要とし、それによって成り立っている。

この規律としての権力は例えば、

「住民の生水準がちゃんと維持され、誰もがきちんと婚姻を取り交わし、またきちんと決まった規範に基づいて行動している、そうした固定観念のようなものの関連の中で機能する」。

そしてこのような権力は、
「住民というグローバルな集積と、個人というミクロな集積との間に成立する」。
住民としての統制が必要なのはもちろん、社会がその権力を機能させるためには、個々人の中に規律としての権力が根付いていなければならない。例えば学校教育は、個人の肉体を「社会化」し、社会の中での生産が可能なように方向づけする。そしてそれと同時に、個人を住民として統制可能な状態に差し向ける。

第3回:主張の整理(pp.358-372)

ここまでの議論を踏まえ、インタビュアーは「あなたの仕事の成果は、他でもない日常の闘争の中では、一体どのようにすれば利用できるのか」と問う。以下はこの問いに対する答えである。

——かつて知識人とは、普遍的な領域について膨大な知識を持ち、真理の所有者・真贋の鑑定人としての地位を独占していた。しかし今や、真理はもはや「普遍的」知識人の独占的所有物ではなくなっている。今やその地位は失われ、ある特定の領域における知識人が、それぞれの持ち場に立ったまま、交流・相互支援するようになっている。

19世紀〜20世紀初頭まで有効だった「普遍的」知識人像は、実は極めて特殊な歴史的状況から発生した。

18世紀、政治権力の濫用や専制、富者の傲慢に対して、正義の普遍性/理性的法の公正を持って対抗する人々が現れた。彼らは法、権利、憲法、理性と自然に照して正しいもの、普遍性を持つもの/持たねばならないものを巡って闘争した。彼ら/彼女らの姿が、その後150年ほどに渡って構築・支持された「普遍的」知識人像を形成したとフーコーは指摘している。

この「普遍的」知識人像は、第二次世界大戦後に「特定分野の」知識人像に取って代わることになるが、その契機となったのが原子物理学者のオッペンハイマーだった。

オッペンハイマー自身は、かつての「普遍的」知識人のような分野を問わないジェネラリストではなく、原子爆弾の開発に特化したエキスパートだった。その彼が発する警告は、人類全体とこの地球全体の未来に対してクリティカルだったので、結果として普遍性を持つに至った。かくして、極めて小さな特定分野の知識・技能は、全世界規模の政治的問題となるに至り、特定分野のエキスパートが、政治的に/世界的に影響力を持つ「知識人」と呼称されるようになった。

現代社会の科学技術の発展にともなって、1960年代以降、特定領域の知識人の重要性はより一層高まっている。しかしそれにともなって、その知識人たちが権力の闘争に巻き込まれる機会も必然的に増えてきた。

それゆえ私たちは、特定領域の知識人の役割について、改めて再考する必要に迫られている。その際私たちは、かの知識人が唱える「真理」に宿る権力作用について思考しなければならない。「真理は権力の外にも、権力なしにも存在しない」(368頁)からである。

具体的には、知識人が占める特定の地位を以下の観点から整理し、その地位によって生じる権力作用や闘争の行方を見極めなければならない。


  1. 彼の階級的地位の特定性

    1. 資本主義に奉仕するプチ・ブルジョワ、プロレタリアの「代弁者」たる知識人

  2. 生活と仕事の条件の特定性

    1. 知識人としての立場と結びついた条件の特定性(研究分野、所属する学術的共同体の中での地位、甘受している/異議を唱えている経済的・社会的状況)

  3. われわれそれぞれの社会の、真理政策の特定性

こうした試みを通して、私たちは真理についての新しい政治体制を構築しなければならない。すなわち、「真理を生み出し支える権力システム、および、真理に誘発され、ついで真理を逆に誘導する権力作用」、その政治的・経済的体制を然るべく変化させなければならない。

論点

「言説と権力との間に関係が生まれる」とは、一体どういうことなのか。

西洋哲学は、普遍的に成立するような真理を求めてきた。

古代から中世において、その真理は神という絶対的存在者の名の下に立てられた。
プラトン→アウグスティヌス、アリストテレス→トマス・アクィナス、デカルト、スピノザ、ライプニッツ
など・・・

その後、絶対的存在者の措定に対する疑義が唱えられ、真理は存在の側ではなく私たちの精神の認識の側に認められるようになった(カント→ヘーゲル)。

ドイツ観念論がヘーゲルにおいて極致に達すると、マルクスは精神の絶対性に反して現実=歴史の絶対性を唱えた。

ここまでの真理の系譜学を踏まえ、ニーチェは真理を打ち立てようとする哲学的言説そのものに反旗を翻す。彼は『道徳の系譜学』において、隣人愛に代表されるようなキリスト教的道徳が、「ルサンチマン」と呼ばれる社会的弱者が、自らの弱さを価値づけるために考案した戦略に過ぎないことを指摘し、その道徳の普遍性を棄却した。

フーコーが行った仕事も、スタンスとしてはニーチェの『道徳の系譜学』に近い。そして—フーコー自身は、自身の権力についての考察がマルクスの「階級闘争」の分析の文脈に位置付けられることを拒むけれど—、権力や力関係の観点から知的考古学を編纂しようとする点で、マルクスにも近い。

いかなる知的言説も、何かしらの権力・力関係を前提として構築される。例えば理性と自由を重んじる近代的主体のあり方は、健康な白人男性が全ての人間の規範であるという父権主義的権力構造を前提に立てられている。男女の愛を重んじる性的道徳は、ヘテロセクシュアリティが性的関係の模範であることを暗に前提としている。

このように、ある言説が立てられるとき、そこには何かの規範的価値観が中心に据えられ、それ以外の価値観が周縁に追いやられる。この中心-周縁の構造に、既に権力が宿っている。

「言説と権力との間に関係が生まれる」として、具体的にはどんな仕方で生まれるのか。

例えば、フーコー晩年の主著『知への意志』を見てみよう。

『知への意志』が立てた目標とは、西洋近代が作り出した「セクシュアリテ」(sexualité) の成立の系譜学を追跡し、その仕組みの成立の枠組みとなっている「権力」 (pouvoir) という力関係を捉え直すことにある。

この「セクシュアリテ」という言葉について、本書の邦訳者である渡辺守章氏は以下のように分析している(同書p211)。

フロイト派精神分析では、この単語は「単に生殖器の機能に依存する活動や快楽だけを指すものではなく、幼児期から既に存在して、ある種の快楽を与える」一連の刺激や活動を指すが、この快楽は、生理的に根本的な欲求の充足に還元することはできないが、普通正常な愛と呼ばれる形態の内部にも構成要素として入っているものである」。
つまりその限りでは、精神分析の「訳語」としての「性欲」を当てるのが適当であろう。しかし、フーコーの文脈においても、精神分析のいう「性欲」は、西洋近代社会の内部で、例えばカトリック教の「色情」や「肉欲」というものから19世紀に新しく模索されてきたある「真実」について名付けられた言葉であり、フロイト派精神分析は、そのような語と意味の生成の、差し当たりは最も重要な「決定機関」であったが、しかし、全てをそこに還元してしまうことはできない。

このようにフーコーは、言葉一つ一つに対して、その意味の場の成立を歴史的に分析していく。

その分析によって発見された権力の構造が、有名な「生権力」である。

セクシュアリテに関する言説を先導した権力は、古い君主制の政治的懲罰機構のような「排除の原理」だけでは説明がつかないものだった。
その言説の背後には、「社会構成員の総体」の「身体」を配慮と関心の対象とし、それを引き受け、最大限の効益を引き出そうとする、極めて高度な「経済観念に貫かれた」行政・管理機関としての権力があった。そしてこの権力は、国家を始めとする「大きな権力」だけでなく、私たちの日常的な諸関係性全てに宿る「小さな権力」をも含んでいた。





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