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最近考えたとりとめもないこと

書きたいこと

noteでは普段自分が考えているとりとめのない何かをつづっていけたらと思います。何を伝えたいとかではなく、ただ思ったことを羅列していく場所になって、自分の心の中の整理ができたらなあと。最近は自分のセクシュアリティと正面から向き合っている最中なので、そういう話が中心になってきます。今日はアロマンティックと温度について。
もう少し自分を理解できるようになることができると信じて内省を繰り返しています。


私が好きな季節

真冬の冷たい空気は私が大切に思っているものの一つです。とりわけ冷えた空気をまとった冬の夕方は、暮れていく空の色と相まってほんのりと寂しく、切ない気持ちになる特別な時間です。昔からなぜだか温度が低い時間が好きでした。空気がしんとして静かな様を見ると、自分の心のざわざわもおさまって穏やかでいられる、そんな特別さがある。だから毎年、夏の終わりが近づいて秋の虫たちの音色が聞こえるたび、木々の葉が色を変えるたび、遠くの山が白く化粧をするたびに冷たい温度をもった冬の到来を喜びました。冬は私にとって大切な時間なんです。

温度感の低いものたち

単純に気温計において数字で示される温度の低さ、寒いと表現できるものに惹かれてきました。その一方で、私は温度感が低いと形容されるものたちにも心が惹かれてきました。誰かが描いた絵だったり、音楽だったり、実際に温度として数値で表すことはできないが、色や形、音や言葉から伝わってくる温度感の低さみたいなものに惹かれることが多いです。温度感が低いという言葉と親和性のあるほかの言葉たち、例えば切なさや少しの寂しさみたいな感情とつながるものと表現するとよいのでしょうか。私の好きなものたちに共通してあるのは温度感の低さだと思うのです。

人との関わり

そもそもなぜ温度について書き出しているのかというと、自分のセクシュアリティについてのもやもやをどうにかなくしたい、という最近の自分の大きなテーマと向き合っているからです。私はアロマンティックの特性が強い人間であると自認し、今はそれを説明できる言葉を探しています。自分のなかには恋愛感情のような感情がない、もしくはすごい薄いなと感じています。じゃあなんで自分はそういう特性があるのだろう?と疑問を抱き、一つ思い立ったことが人とのかかわりと温度につながる部分でした。
恋愛感情、恋愛は人との関係性のなかにあります。自分は人との関わりについて何を思っているのかを考えたところ、人との関わりは一定程度の距離感をもっていたい、熱量が高い関係性に苦手意識を感じる部分がありました。苦手意識を感じるもの、逆に好ましいと感じるものの判断材料はその関係性が持つ温度のようなものでした。熱い温度がある関係性はちょっと…と敬遠してしまいます。これは恋愛感情に限らず、友人関係、家族の関係などにおいても変わりません。人との関係において、あんまり深い関係になることはなく一定の線を引いてきた私はそういうところがあったからかな、と納得しました。だから人とのかかわり方から生まれてくる恋愛についても、私は無意識のうちに選ばなかった、または選べなかったのかも、と思うようにしました。そしてそれは温度の低いものたちという、私が好きだと思うものたちに向けた思いから始まったものだと。こうやって考えていくことが正しいかはわかりませんが、ひとまずこれを自分の中の正解としました。だって自分自身を考えて、言葉で表すときは自分の好きなもの、自分にあるものから始めたいですから。

私は恋愛感情を持たない、それはある程度の温度を持つ、ひととの関わりに苦手意識を持つから。そしてその理由は、私は温度の低いそれぞれに思いを向けるから。

「ある」もので私は話がしたい

アロマンティックは「他者に恋愛感情を抱かない」と表現されます。でも自分の中で「ない」ものをない、と説明するのは難しい。そして「ある」人たちの言葉で話す土俵にあがって(あがらされて)そこで自分自身について説明をしていくと、どうしても「ない」ことから話が始まっていって悲しくなったり寂しくなったりしていました。私は幸せに生きています。自分にとっての好きを抱きしめて生きていて、とてもいい人生だと思っています。「ない」ことについて考えるたびに、私に「ある」たくさんの好きが軽んじられているような気持になることがありました。言葉は強いから、できる限り否定の言葉を自分にかけたくはない。私は「ある」から話を始めていきたいんです。私の中にあるたくさんの好きという気持ちは、私の世界を彩るそのものです。

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