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普通の人生じゃなくていいや。

なんだか、ずっと普通の人生に囚われていた気がする。

たぶん、母は枠からはみ出すことが嫌いで、私が普通と違うことをしようとするといつも不機嫌になってた。

私は割と、やりたいと思ったらやるタイプで、20代、30代前半は、サンフランシスコや、ハワイに留学したり、英語もそうだけど、アロマやマッサージの勉強したり、やりたいことに全力かけて生きてきた。

でも、結婚して、また母との接点が増えたり、義母という圧力が増えて、また普通の人生を意識することに、しらないうちに戻っていた。

2人とも昭和のバブル期の考えで、普通だけど豊かさを基準にして考える傾向があったり、人から見てどうとか、それが人生の基準なんだと思わされることがたくさんあった。

結果、2人とも子どもに愚痴を聞かせる人生で、2人とも幸せに見えないけど。。。

そんな基準が窮屈だけど、一時期は親孝行とも思って合わせてみたけど、やっぱりそんなの私の人生ではないわけで。。。

結婚して、すぐ子どもを産んで、今どき共働きで、大きい会社や公務員などの安定した仕事をして、義両親と旅行に行って仲良しで。。。

それが普通なんていうことはないし、だから幸せだとも限らない。

人の数だけ幸せの形があるし、持って生まれた使命があると思うし。

ずっとなんか霧がかかったような気がしていたけど、それも自分がそう思っていたことだったと気付いた。

そしたら、肩の荷が下りた気がした。

流産したのもそう。

結婚したら、当たり前に妊娠出産するものだと思ってたし、そういう普通の枠に入れていない自分が嫌だし、辛かったんだと気付いた。

でも、思っていたよりもずっと、流産する人はたくさんいて、子どもを授かること自体普通なことではなく、奇跡的なことだと思った。

普通はきっと、自分で勝手に作った枠で、普通なんてないし、人生は思っていたより幅広くて、人の数だけある。

流産して良かったとは思えないけど、経験は宝だし、人生は経験する為に生きているような気がする。


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