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ゴジラ-1.0は珍しい引き算のゴジラ

映画ファンの皆ごきげんようランガタロウです

日本の作ったゴジラの最新作ゴジラ-1.0(マイナスワン)みんな見たかな?
初代ゴジラですら戦争が終わって10年後に攻めてきたのに
今回は終戦からたった1年でゴジラが攻めてくるという絶望的なあらすじの本作めちゃくちゃ面白かったですね。

しかしながらゴジラ映画としてはかなり珍しい作り方をしてるのに
なぜか「うーんゴジラ映画っぽいな・・・」となる本作と歴代ゴジラシリーズについてちょっと考えてみましょう

※本記事はゴジラ-1.0の展開に関するネタバレが含まれます。ご注意ください



ゴジラ映画は基本足し算

ゴジラシリーズというのは基本的に足し算で一つの映画に色んな要素を盛りまくる

ゴジラVSメカゴジラは「人類が23世紀の未来人が残した機械技術によってゴジラに真正面から対抗できる超兵器メカゴジラを作り上げる」で既にあらすじとしては足りてるが物語のメインになるのは
「アドノア島で見つかった翼竜の化石と卵だと思ったら 卵から生まれたのはプテラノドンではなく… ゴジラの赤ちゃんだった!!!さらに生まれて最初に見たものを母親だと思う動物の性質からベビーゴジラは研究員の梓に懐いてしまい…」という赤ちゃん恐竜育児物語が始まり
ベビーゴジラを自分の兄弟だと思っている怪獣ラドンによる襲撃
とメカゴジラの話をする一方で違う話があり、更に主人公はメカゴジラ開発によって自分が載るはずだった新兵器ガルーダがお蔵入りになって不貞腐れたエースとこれまた別のドラマが入っている。

三大怪獣 地球最大の決戦はゴジラ・モスラ・ラドンと怪獣が一同に集結し
宇宙怪獣キングギドラに立ち向かう話でプロットが十分足りているように見えるが「暗殺者に飛行機を爆破された来日予定の某国の王女の中に流れる5000年前にキングギドラに滅ぼされた金星人の血が覚醒 地球に迫る危機を予言し触れ回るが誰も信用してくれない」という話と 某国の王女に淡い思いを寄せる日本からの警護担当によるちょっととってつけたローマの休日パロとかなんかモリモリの状態なのに挙句の果て「ラドンもそうだそうだと言っています」というモスラによる怪獣語同時通訳実況まで始まる

まぁ他にも色々あるんだけどとにかくゴジラ映画というのは何でも要素を足していく感じで映画が形作られるジャンルだということだけ覚えておいて欲しい

ゴジラ2000も途中まで「ゴジラは人類に怒ってるのかもしれねぇ」みたいな話だったのに途中から宇宙人ミレニアンが地球を支配して1000年王国を作ろうとしてたことが発覚するし とにかく常にプロットに要素を足していく。


一方でマイナスワン

マイナスワンのお話は物凄くシンプルに纏まっていて余計な枝葉が無い
物語の視点はとにかく特攻隊員敷島(演:神木隆之介)の目線に常に固定される。
最初のゴジラ出現については「誰も信じてくれないだろう」と敷島が黙っていたので別として、2度目以後は米海軍の船が沈められる等の被害を持って巨大生物の実在を前提に敷島達の改造ボートが現地に行くわけだが
普段のゴジラ映画だったらこの間に「あの巨大生物は〇〇時代の生き残りの恐竜が水爆を浴びてああなったと…」みたいな議会パートとかあるんだけど。とにかくそういうのは無い恐らく意図的に入れていない(そういう会議などが行われた結果主人公達にそういう事例が来たということだけは説明される)。
敷島には常に目の間の結果と現実だけがお出しされ、映画を見ている観客も同じような情報量で目の前の物を目撃することになる。

今作のゴジラは最新のVFX技術によってその自己再生能力が強調されている。もちろん過去作のゴジラでもゴジラの細胞が持つ自己再生に関しては言及されてきたが「吹き飛んだ肉体のパーツがその場で修復される」という高速自己再生がマガマガしい。

で普通のゴジラならもちろんここから細胞のサンプルを持ち帰った科学チームがビーカーやフラスコや顕微鏡を除くパートが入り「恐ろしい再生力だぁ」みたいなパートが入るのが怪獣映画のお約束とも言えるがマイナスワンには無い

「他のキャラクターがたぶんその昔の怪獣映画のような会議や研究は確かに行われているが 少なくとも一市民として暮らしている敷島にはそれを知る良しも無い」という視点の固定が徹底して行われ

それが物語のテーマ性やドラマの縦軸をスッキリと伝えさせる力があるのがマイナスワンの凄味だろう。

実際にはてんこ盛りなのになぜこんなにスッキリ味なのだろう

ゴジラ-1.0は積載された要素だけ見れば二郎系ラーメンのようにてんこ盛りである。
戦後すぐに普通のゴジラが来るだけでもかなり絶望的なのに

「初代を踏襲した大戸島の呉爾羅でありながらも VSキングギドラのゴジラサウルスのように恐竜として登場し エメゴジのように人間を襲い そして核兵器で進化する」既に過去作から組み合わされたてんこ盛りゴジラ生物がお出しされる。

今まで曖昧だった「核実験の影響」も「放射能で巨大化」というよりは
「核爆発の直撃を受けた肉体を自己再生し、次は耐えられる身体に進化した」とも受け取れる「呉爾羅がゴジラになる」流れ。

一方で「本当にどういう理屈で進化したのか」を解き明かすとはならない。
とにかくゴジラの存在は「敷島が終戦前に戦うべき場所から逃げたが故に目の前に現れた死の象徴」であり。乗り越えないと敷島の人生に常に死の影をもたらす存在としてのストーリーがあり

敵対する怪獣もいないのに放たれるGMKゴジラのようにキノコ雲が出る放射火炎が人々を絶望の淵に叩き込む

「ゴジラとは何なのか」よりもその中で描かれるのは
ゴジラに踏み潰された人々と「ゴジラに踏み潰された人々の家族 知り合い 友人」が泣く姿

まぁつまり人間のドラマなのだがちゃんと「ゴジラに振り回された人間のドラマ」をやっていて…偉いねみたいな話である。このあたりの人間ドラマと空想特撮のかみ合わせを綺麗に出来てるのは純粋に映画を取る技術の高さと言える。

ラストの示唆、というか海底で自己再生を始めるゴジラと共に流れるいつものBGMも「ゴジラ映画のいつものやつ!!!(過去の平成ゴジラ映画はどうせ来年もやる関係で死んだと思ったゴジラが実は生きてるのをラストにやって終わる)」が始まったので ゴジラ映画そのものの再生の始まりを勝手に感じ取って私は胸が熱くなった。いや、まぁ解釈は色々あったり公式の意図は違うかもしれんが。

このように昔ながらのゴジラファンが「この要素を引き伸ばしたらアレになるんだよな」という過去のゴジラ映画にもあっためちゃくちゃなSF的要素、現実的でない要素を出しつつも「そこに突っ込まない そこに関われる人間を主役にしない」ことによって「一人の人間がゴジラによって生活を破壊され慟哭し乗り越え立ち向かうお話」という一本の筋に絞ってそういう映画に”見せる”技術がこのスッキリ味を産んでいるんだと思った。

一方で

そろそろ日本の新作ゴジラ映画が毎回ゴジラが上陸して人類が何かするだけの映画になり続けるのも困るので次はゴジラ-2.0を作って、X星人が宇宙の科学力で東京の放射線を取り除いて人類を油断させるもキングギドラをけしかけて来るような古き善きプロットのゴジラを今回のような「予算が一杯でプロットから余計な話削るのが得意な人に任せてスッキリさせたブラッシュアップ版」みたいなやつも見たいので東宝さんお願いします…


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