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野球紀行/怪物・松坂大輔 ~甲子園球場~

 僕は関西の球場にはある程度歳がいくまで疎いというか、無関心な所があった。子供の頃、東京以外の大きな都市というと、大阪と名古屋くらいしか思い付かず、タイガースは大阪のチームで、甲子園球場は大阪にあると漠然と思い込んでいた。そして中学生になるかならないかという頃、甲子園球場は兵庫県にある事を知り、西宮球場と同じ市内にある事を知ったのは何と平成になってからである。野球ファンとして恥ずかしい気もするが、西宮市という、東京者には馴染みのない都市に「西宮球場」という名の球場があれば、他に大きな球場があるとは考えないのが自然ではないだろうか。
 それはさておき、甲子園球場は、西宮を名乗らなくても西宮球場以上に西宮市の顔である。というよりは、西宮という枠は越えて、関西の、いや日本の顔とさえ言える。野球ファンはおろか、日本人なら甲子園球場の名を知らぬ者はいないのではないか。これは伝統とか権威というものの成せるものだと、素直に認めるしかない。そしてこの球場は、ずっと以前から訪れてみたい球場の一つだった。

暗い通路。

 僕は古いものと新しいものが両方好きだが、「凄く古いもの」と「凄く新しいもの」とでは前者の方を選ぶタイプである。単に戦前や戦後間も無い頃の風景を見たくて古い映画のビデオを借りる事もよくある。モノクロの映像の中に、僕が体験した現風景はない。が、見た事もない筈のものに何とも形容できない懐かしさを感じるのだ。こっち(関東)の神宮球場や川崎球場でもまだ満たせない何かを求め、引き寄せられるように、初めて訪れた甲子園球場正面に立った。この時はまだ、特にどの試合が観たいというものはなく、ただ「生まれる前の世界」に身を置いてみたいという欲求しかなかったと思う。だから高校野球だろうがタイガースの試合だろうが、特にこだわりはなく、昼間の方が都合がいいのと、どうせなら横浜高校の出る試合がいいやという感じでこの時間帯にいるのである。もっともこれからわずか数時間後、野球場の事などどうでも良くなるほどの強烈なドラマを見せられる事になるのだが。
 試合開始まで2時間近く。暗く、鬱蒼とした通路に売店が並び、その向こうに光があって、その光の中でスタンドが、グラウンドが待っている。スタンドに達するまでのほんの短い闇。光が胸を躍らせるのは、闇があるからだ。どんなに新しく、奇麗な球場にも、決定的な感動を覚えないのは、この闇がないからだと思う。

屋根の骨組みとむき出しの鉄骨。

 そして、スタンドを覆う巨大な屋根の下、張り巡らされた鉄骨と、屋根を支えるむき出しの鉄骨に時代を感じ、感嘆の声を漏らす。「神宮より各上だ」。古色蒼然。そう、僕が求めていたものにほぼ近い空気が迎えてくれたのだった。
 さて、ちょっと夢から醒めて現実の話。古色蒼然大いに結構だが、やっぱり掃除はちゃんとやって欲しいものである。足元がベタベタする。まだ試合まで時間があり、席もたくさん空いているのにほとんどのシートに「何か」付いていて汚れており、無傷のシートを探すのが一苦労。後から続々と人が来るが、たいがい皆気にせず座る。これはやはり慣れている者とそうでない者の差だろうか。それと、座る位置により、さっきの鉄骨が邪魔で打者が、最悪の場合投手が見えない場合がある。早めに来たのは正解だったようだ。
 夏の甲子園の準決勝にもかかわらず、試合が始まってもまだ少し空席があった。試合は横浜と明徳義塾。でも今日は大会の目玉・松坂大輔が投げない。そんな肩透かしと、適度な空き具合に「ああ、こんなもんかな」感を強くする。まだ強烈なドラマが待っているとは夢にも思っていない。

バイト少年達。

 せっかくだから松坂を見たかったが、今日の彼はレフトを守る。投手は袴塚。明徳はエース寺本だ。わざわざ甲子園まできたのに松坂が..という気もするが、連投だから仕方が無い。今日、どういう結果になっても、松坂を休ませるのは正解だと思う。僕は、だれか目当ての投手がいる時、その投手に試合でお目にかかれずというパターンが多いのだが、代わりに出てきた投手がいいピッチングをするというパターンもまた多い。袴塚は三回まで明徳をゼロに抑えるが、四回につかまる。難しいゴロにも好判断で二塁走者を三塁で刺すも、九番倉重(?)に先制タイムリー。五回には藤本にレフト特大ソロ、谷口に2ランを浴び、何時の間にか10安打。完全にタイミングを合わされてる。もう限界だ。2つ目の死球を出した所で投手は斎藤弘。その斎藤も六回に1点を失う。やっぱり柱が一本では大きなトーナメントは勝てない。でも松坂を投げさせられないから仕方が無い。「横浜もよくここまで頑張ったな」これがその時の感想だった。横浜応援席の、共通の思いだったと思う。そんな空気が変わった。七回、松坂がブルペンに立ったのである。

大観衆は、、、

「え、投げるの?」そう思った。「エースを出す展開じゃないし、プロじゃないんだから"ファンサービス"なんかしなくていいのに」とも。しかし「松坂が投げる」そんな期待感で三塁側スタンドは色めきたった。「松坂が見られれば」そんなところだったろう。しかしこの空気が、試合の流れを変えてしまった。
 もう6点を失って八回裏の横浜。一番から4連打で2点。まったく打てる気がしなかった寺本を外野に追いやり、代わった高橋にも襲い掛かる。一気に4点だ。土壇場で試合がわからなくなってきた。そうか、強いチームというのはこうなのだ。「よく頑張った」なんて僕が勝手に思っていただけだった。そして九回、割れんばかりの歓声を背に松坂がマウンドに上がった。
 出てくるだけで流れを引き寄せる事ができる者を真のスターという。6-4で迎えた九回裏、ヒットの後、バントが立て続けにセーフに。無死満塁。明らかに動揺が見える明徳義塾。「甲子園の魔物」というやつを初めてこの目で見る。三番後藤がセカンドを越え一気に同点。気が付くと、ス タンドは階段にも人が溢れるほどに埋まっていた。静かに始まった試合からは確かに想像はできなかった。その豹変の中、一打サヨナラのチャンスに四番・松坂が打席に立つ。

、、、通路にまで溢れるほどだ。

 さて、今年の横浜高校が「史上最強」とか言われるのは、決して松坂という一人のスターのためではなく、勝利に対するえげつないまでの執念からだと思う。ファンの多くが、ここで打ってヒーローになって欲しいと思っていたであろう、しかも四番の松坂にここでバントをさせた。プロではまずブーイングを浴びるであろう「四番のバント」である。しかし、これが正解となる。松坂のバントで一死ニ、三塁。続く小山を敬遠、満塁策をとり、マウンドに寺本が戻ってきた。絶対に仕留めねばならない場面、常盤を三振に。二死満塁、打球は高いバウンドとなってセカンドの頭を越えた(マヌケな事に、このサヨナラヒットを打った選手の名が思い出せない)。
 信じられない、大逆転サヨナラだ。うずくまる寺本、立ち上がる事ができない...。
 今までどの球場のどの試合でも経験がなかったもの凄い歓声が沸き起こる。ブルペンに立っただけで流れを変えた松坂大輔。彼は生まれついてのスターだった。甲子園って、こんなに凄い所だったのか。「なぜ高校野球は人気があるのか」その答えが少し見えてきた気がした。
 試合中のインターバル。オーロラビジョンに第80回記念高校野球選手権大会の応募キャッチフレーズの入選作品が紹介されていた。優秀作品は「甲子園で会いましょう」。最初はこんなのでいいのかと思ったが、よく味わうと「甲子園」というカクばった名前と、「会いましょう」というやわらかな言葉の取り合わせが中々上手い。
 僕も、できは良くないが、一つ考えてみた。でもできが良くないから公表しない。(1998.8)

[追記]
 同点打を打った「後藤」は、後に法政大から自由獲得枠で西武に入団した後藤武敏。西武、DeNAで計15年の現役生活だった。
 サヨナラヒットを打ったのは柴武志。関東学院大で活躍し、プロには進まなかったらしい。現場では打球はバウンドしたように見えたが「ハーフライナー」と報じられていた。

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