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4番のTシャツを着て

 5月5日の興奮は未だに冷めず、何度も「夢だったかも?」と思う。その度に、スマホで写真を確認して「夢じゃなかった!」と胸を熱くさせている。プレータイムがなかなか貰えなかった推し、四家魁人選手がレギュラーシーズン最終節に飛躍したのだ。

 地元でゆるく楽しめる趣味の一つとして、始めたバスケ観戦。気がつけば、のめり込みゆるさの欠片も無くなっていた。その理由は2つあった。1つは、宇都宮ブレックスの人気がどんどん高まったこと、そして、もう1つは私に推しができたからだ。

 私がバスケ観戦を始めたのは、2023年春。映画「THE FIRST SLAM DUNK」にハマった私は作品の理解度を高める為、実際にバスケを見に行くことにした。バスケ経験の無い私は、バスケへの解像度を上げることでさらに映画が楽しめると思ったのだ。幸い、地元には宇都宮ブレックスというチームがある。この頃はまだ、平日の試合は直前でもチケットが取りやすかったので、何の下調べもせずに仕事帰りにフラッと観戦に向かった。当時の私がわかっている事は、過去に優勝している、田臥勇太選手はまだ現役、今の日本代表の選手も所属している、ラジオしてる選手がいる、というレベルであった。それでも楽しかったので、その後、別の試合を母を連れて観戦した。母は日頃から趣味が無いことを気にしていたので、何となく連れて行ったが、また行きたいと話した。楽しそうな母を見れて嬉しかったので、また一緒に行こうと思った。しかし、自分が観戦を初めてから22‐23シーズンはあっという間に終わった。このシーズン、チームとしては残念な成績であったが、私は「次のシーズンからはスタートから追えるのか」とシーズン終了時、次のシーズンに向けてワクワクしていた。
 そして、シーズンオフの間にW杯が行われ、宇都宮ブレックスの比江島慎選手が大活躍、一躍時の人となった。
 みんな、彼を見るために遠くから観戦に訪れた。地元のゆるい趣味ではいられなくなった。実際、試合に行くたびに会場の熱狂ぶりは高まっていったし、自分もだんだんと選手やルールを覚え、観戦に行く度にバスケが好きになっていた。

 しかし、スタートはあくまで地元のゆるい趣味のスタンスだった。そこで私は周りに言っていた。

「誰が好きとかは無いけど、チームを応援している」

 この時、私は推しは作らない。と思っていたからだ。

 私はかつてバンドの追っかけをしていた。しかし、推していたメンバーの脱退以降、ライブに行く事は無くなった。そして、スポーツには選手の移籍がある。この度に、辛くなるのが怖かったからだ。

 こうして始まったファン生活、シーズンが始まる前に母とこんな話をしていた。
「前シーズンは途中から見たけど、今シーズンは最初から応援できるし、新しいメンバーの成長とかも1シーズン通して見たら面白いかもね」
 親戚のおばさんのような目線であった。
 推しは作らないといいつつ、新加入の若手選手に注目はしておこうと、いう気持ちでシーズンを迎えた。

 23−24シーズンのブレックスでは2人の若い選手が新たに加入した。四家魁人選手と村岸航選手だった。私が2人を初めて見たのは、9月に行われたプレシーズン戦だった。私はボール運びを中心に行うPGのポジションが好きだった為、特に四家選手に注目していた。新人とは思えない強気なプレーと、フレッシュな笑顔が印象的だった。そして、すぐに考えが変わった。

「推しは作りたくないけど、四家選手が気になる」

 恋愛と同じで、気になると言ってる時点で既にオチていたと思う。

 しばらく認めないまま過ごしていたが、2023年11月8日レバンガ北海道戦、初めて四家選手のプレータイムが10分を超えた。その試合では、負傷し交代することとなるが、私はその日、四家選手のタオルを買って帰った。そう、この試合を見て、自分で認めたのだ。
 私の推しは四家選手だ、彼はきっと凄い選手になる。

 転がり落ちるのは簡単なことで、推しだと認めてしまえば早かった。当初は、月1で現地観戦、気になる試合は配信で見る予定だったが、現地観戦の予定がどんどん増えた。母と一緒に行くこともあったが、母を置いて一人で行くことも増え、基本仕事の土日も、休める日は現地観戦に向かった。そして、地元のゆるい趣味のはずが「アウェイゲームも行きたい」と思い始めるようになった。
 アウェイゲームではユニホームの色が違う。白い四家選手が見たい。ホームのネイビーも好きだけど、これから成長して行く選手はきっと白いユニフォームが映えるだろう。
 12月、私は仙台で行われる1月31日仙台89ERS戦のチケットを取った。

 仙台は日帰りでも観戦可能だったが、1泊することにしていたのでどこを観光するか楽しみにしていた時だった。ブレックスに小川敦也選手が特別指定選手として加入することが報じられた。昨シーズンも参加していたこともあり、歓迎する声が多く、私も彼のプレーが見れることが楽しみだった。しかし、プロフィールを見ている時、スマホを操作する指が止まった。
「小川選手って、PGなの?」
 大学バスケには疎くプレーを見たことは無かったし、比江島選手のトップオタとしても有名だった為、私は勝手に比江島選手と同じポジションのSGだと思っていたのだ。若手のPGが2人になる。これは、ファン歴の浅い私でも分かる。

「四家選手のプレータイム減るのでは?」
 
 この予想は残念ながら当たってしまう。

 小川選手加入後、プレータイムが減るどころか、ロスター外になる事が増えてしまったのだ。ベンチに入らない試合では、ユニフォームを着ることも無い。
 不安のまま仙台戦の日を迎えた。試合前に寄った神社では、四家選手が試合に出れるよう祈った。しかし、この日は、ロスター外で白いユニフォーム姿を見ることは叶わなかった。
 その日の夜、私はブレックスのチームのファンとしては、小川選手の加入は喜ばしいことなのに、四家選手のファンとしては複雑な気持ちを抱えていた。純粋にチームを応援できない自分が嫌になり、それを忘れる為に浴びるようにお酒を飲んだ。(補足するが、バスケ観戦としてはほろ苦い思い出であるが、仙台の料理と観光は楽しんだし、初のアウェイ戦の相手として仙台89ERSについてもそれなりに調べたので、観戦以降仙台89ERSはブレックスの次に応援しているチームとなった)
 そして、リベンジとして意気込んだ翌週の茨城戦も四家選手の白いユニフォーム姿を見ることは叶わなかった。
 自分の行けなかった試合では、出ることはあったが登録選手の中ではプレータイムが限られている期間が続くのだった。また、ホームでのサードユニフォームでもプレーが見れることも無かった。

 それでも試合には4番のTシャツを着て行った。四家選手がいつ試合に出てもいいように、いつ活躍してもいいように。

 自分が無知なだけだが、所属している選手はプレータイムの長さに差はあっても、どの選手も試合に出れるものだと思っていた。気がつけば、現地観戦した試合は7連続で推しが出なかった。

 そして、あっという間にホーム最終戦である、同地区のライバル、アルバルク東京戦が始まろうとしていた。初日の土曜のみだが休みとチケットが取れた私はその日も4番のTシャツを着て行った。プレーが見たい、でも、アルバルクは強くてチャンスは少ないかも、プレーが見れないなら、せめてロスター入りして選手入場でカイトコールをさせてくれ。祈るような気持ちで会場に入ると、アップをしてる選手たちが目に入り、四家選手もユニフォーム姿だった。浮かれた私はどうにか4という数字をアピールしたくて、ワッフルを4セット買った。
 この日も残念ながら、四家選手のプレータイムは無かったが、ベンチで味方を鼓舞する姿や、アップ中にチームメイトと話す際のにこやかな表情が印象的で本人もチームもいい状態だと思った。
 ホーム最終戦、最後の選手入場、会場に響き渡るカイトコールに私は少し泣いた。

 シーズンラストの2節はどちらもアウェイだった。残念ながら、千葉戦は予定が合わず現地観戦できなかったが、茨城戦は2日目、5月5日のチケットは取っていた。何とか、最後に白いユニフォームの四家選手が見たい。

 茨城戦の直前に、オンラインのトーク配信に四家選手が参加した。そこで、彼は自身の成長について語っていた。正直、プレータイムのことを考えると心配はあったが、プレータイムを勝ち取ることすら大変な環境で練習してきたのだから、成長していないはずが無い。あとは、その姿を見れる環境さえあれば。土日のどちらかだけでも、プレータイムが貰えればいい。いや、できれば自分の行ける日曜がいい。そんなことを思いながら、GWを過ごしていた。

 迎えた5月4日。私は昼休みにXをチェックして、今日は四家選手がユニフォームを着ているという情報を掴んだ。今日はロスター入か、明日がレギュラーシーズン最終戦だし、最後は田臥選手かな、明日は四家選手ロスター外かもしれない。このところ、土日の試合ではどちらかしか四家選手はロスター入していなかったので、少し寂しい思いを抱えていた。そして、仕事終わりにスマホでまず試合結果を確認した。

 まずは勝敗を見て安心し、ボックススコアで四家選手にプレータイムがあったかを確認するが、拡大できないページなのに思わず拡大したくて人差し指を中指を広げていた。

「11分33秒!?10分超えたの久しぶりじゃん!え!?11点!!!!??キャリアハイじゃん!!!!!」

 急いで帰宅して、バスケに興味の無い親族が遊びに来ていたのに叫ぶ。

「今すぐバスライだ!!今日は早く帰ってくれ!!!」

 この親族はそれから1時間以上帰らなかったが。

 配信でもわかる四家選手の活躍に熱狂する会場、プレーを称賛する実況。私は仙台の夜とは違う涙を流した。

 そして、人間とは欲深いもので、明日も試合に出てくれ、と願った。

 やっぱり白いユニフォーム姿を見たいし、この活躍が特別なものでなく、いつもこれくらい出来る選手だということを証明してほしい。

 5日、現地に着いてからもずっと不安だった。アップ中にユニフォームは着ていたが、ロスター紹介まで油断はできない、ロスター入してもプレータイムがあるかはわからない。考えすぎで、おかしくなっていたと思うが、この日は珍しく土日続けてロスター入だった。
 試合中もそわそわとベンチばかり気にしていた。そして、ついに白いユニフォームを着た四家選手がコートに入る瞬間がやってきた。泣きながらシャッターを切った。写真はブレていた。
 
 ドリブルやパスのボール運び、果敢にゴールへ攻める姿勢、175cmながらも高いジャンプ力でリバウンドに参加し、どのプレーも頼もしかった。
 これが、彼の語る成長だ。四家選手が今後、どこでプレーしてもプロ1年目をブレックスで過ごしたことは間違いなく彼にプラスになっただろう。四家選手を信じていて良かった。彼はこれからもっと凄い選手になっていく。彼が目標としている、日本代表選手になった時には私は渾身のドヤ顔で「私が1年目から推してる選手です!!!」と言うんだ。

 こうして、私の23‐24のレギュラーシーズンは終了した。何度も不安になったし、わからないことだらけだった。私はバスケの経験も無いし、ルールもわからないまま試合を見に行って、推しができて、のめり込んだ。そして、バスケが楽しいことを知れた。バスケが好きになった。

 おそらく、ファン歴の長い方やバスケ経験者からすると推し活として観戦している私の楽しみ方は邪道かもしれない。それでも、自分もルールを少しずつ覚えたり、私が話すことでバスケに興味をもってくれる友達も増えた。今のバスケへの盛り上がりを保つためには、顔ファンだろうが、にわかだろうが、始まりは何でもいいと思う。好きになっていく過程で、学んでいけばいいと思う。今、バスケに興味のある人は応援グッズだって何もなくていいし、好きな選手だって決まってなくていい、まずは一度会場に足を運んでほしい。

 ブレックスは明日からCSへと進む。CSでも成長する四家選手始め若手選手の活躍を楽しみだ。一時は小川選手に対して複雑な思いもあったが、190cmの高身長ならではのスピードや鋭いドライブは魅力的だし、タイプの違うPG同士切磋琢磨してほしい。もちろん、チームのファンとしては優勝してほしい。これからも、私の推し活は続く。


その後の話もあります


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