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【自作小説】クロッカスの舞う夜に。#13

13

 ゆい君の熱も下がり、万全の体調で旅行当日を迎えることが出来た。前日に荷物を持ってゆい君の家に泊まっていた。家からレンタカーのお店まで、早朝の閑散とした住宅街を、大きな音を立てながらキャリーバッグを転がして歩く。

 小さな軽自動車の荷台に荷物を入れ、「出発進行!」と子供のような無邪気な掛け声と共に車を走らせた。

 初めくらいは私が運転をしようと思っていたのだが、想像よりも多い交通量に萎縮してしまい、結局最初からゆい君に運転を任せてしまった。

 朝食をまだ取っていなかったので、高速道路に乗って1時間ほど走らせたところにある、中井パーキングエリアで蕎麦を食べた。周りには旅行途中のグループや、休憩中のトラック運転手で賑わっており、パーキングエリア独特の雰囲気が漂っている。

 目的地までの道のりはしばらく山道になるため、変わり映えの無い木々の景色で2人とも飽き始めていた。旅行用にと持ってきていた数枚のCDを流しながら、2人でカラオケ大会をしてひたすら走った。何回かパーキングエリアで休憩を挟むこと2時間、カーナビを見ると間も無く海岸線に道が切り替わることが分かった。

 長いトンネルを抜けると左側に青々とした海が広がり、水面に反射する太陽の光が眩しい。旅行の買い出しの際に購入したインスタントカメラのフィルムを急いで巻き、思い出の瞬間を記憶と共に保存する。

「ゆい君海見えた!」と興奮する私を笑いながら諭すが、彼も運転をしながら興奮している事が分かる。

 運転は任せてしまう分、写真を撮ったり彼との思い出を写真にとどめる仕事は全うしなければならない。季節は冬だが、海と言えば夏だと思い、ゆずの夏色を流して、気分の上がっている隣のゆい君を写真におさめた。

 熱海に無事到着し、旅のしおり1つ目の海鮮丼を食べるべく、リサーチ済みのお店へ入る。

 私は旬の刺身や桜海老、しらすに雲丹が乗った海鮮丼を注文した。ゆい君は大の雲丹好きで、こぼれ落ちそうなほど乗った雲丹丼を注文した。食事処の優しそうなおばあちゃんがサービスで付けてくれたあら汁と共に、会話を忘れて口いっぱいにかき込む。熱海に来なくとも、地元で海鮮を頂く事は出来るのだが、やはり現地で食べる海の幸は別格だった。「本当に美味しいね」とゆい君に向かって話すが、リスのように話せないほど頬張っている彼は頷きながら「美味しい」というイントネーションの音を発している。ようやく口の中を空にしたゆい君が私に「愛佳は本当に美味しそうに食べるよね」と笑いながら言うのだが、私から言わせれば貴方の方が美味しそうに食べるよねと言いたい。

 お腹一杯に食べ、おばあちゃんにもあら汁のお礼を伝えてお店を出る。目の前の砂浜に降りることが出来る階段があったので、彼の腕を引っ張りながら波打ち際まで走る。

 恋愛ドラマでよく見る、波打ち際でのあのシーンを日本人の本能なのか、お互いに言わずとも始める。

 靴を脱ぎ、ズボンの裾を膝まで捲り上げる。波の押し引きに合わせて濡れないようにと、笑い合いながら駆ける。

 日光が照る真夏であれば水を掛けたりしたいのだが、冬の海はやはり寒かった。寒さに勝てる若さではないのが、なんとも悲痛だった。

 地面には足が届かない高さの、冷気で冷えたコンクリートの堤防に二人で座って海を眺める。周囲は静かで、波音が耳に心地よく触る。

「冬の海も夏とは違う良さがあるね」

「そうだね。夏よりも透明に見える気がするし本当に綺麗」

「けどこの寒さは尋常じゃないね」

「それは言わない約束でしょ。ゆい君寒いの苦手だもんね」

 海を見ながら、思ったことを純粋に話す。海には日常の嫌なことも悩みも、全てちっぽけな事だと教えてくれる自然の力がある。目の前に広がるこの海が世界の海と繋がっていると考えれば、自分の悩みの可愛さにも笑えてくる。世のもの全て、1つのものとして繋がっているのである。時間も何もかも。

 日常を忘れられる、ただただ楽しいと思えるこの時間が終わる事なく続けば良いのにと、彼の肩に頭を乗せながら馳せる。


 時間が少し押していたため、旅の行程の1つを無くして少し離れた宿泊先へ向かうことにした。道中、ハートに見える大木があると有名な神社に立ち寄った。「確かに見えなくもないね」とお互い顔を見合わせて苦笑いをして、すぐにその神社を去ることにした。

 部屋から海を望めるホテルに到着した私たちは、持っていた荷物を置くなり綺麗にベッドメイキングされたベッドへ飛び込んだ。

「あー、だめだ。もう立ち上がれない」

「運転ありがとね。疲れたよね」

「けどしおりに書いて決めた居酒屋さんには行きたいから立たないとね」

「けどその前に」私は隣に寝ているゆい君へ思い切り抱きついた。朝から一緒に楽しい時間を過ごしてきて、ようやく2人きりになれた嬉しさのあまりに少し甘えたくなってしまった。

 不意のハグに驚いた彼も、「やっぱり愛佳といると落ち着く」と耳元で囁やきながら抱き返してくれる。

 大柄で筋肉質な人の方が男らしくてタイプだという女性も多くいるが、私はゆい君のような細身の人がタイプだ。まだハグを続けていたかったが「もう終わり。我慢できなくなっちゃう」と、たまに心拍数が上がるような男らしいことを言ってくる時がある。そんなことを言われたら私の方こそ我慢できなくなっちゃうよと、心の中で呟きながら「そうだね、行こうか」と、楽しみにしていた居酒屋さんへ向けてホテルを出た。

 到着した居酒屋さんは、海鮮料理の美味しいお店で、日本酒も多く揃えている。

 一通り食べたいものを頼み、ホテルがすぐそこにあるという安心感から、お酒も普段に増して飲んだ。

「このお刺身と日本酒すごく合うね」

「私日本酒飲むと止まらなくなって、酔い潰れちゃうからゆい君止めてね」

「せっかく泊まりなのに潰れちゃうのは困るな。気を付けてね」

「最後にこれだけ飲んでもいい?初めて見たけど気になっちゃって」程よく酔いが回った最後の1杯に、十二単という日本酒を選んだ。甘口の口どけで飲みやすさのある中で少し苦味もある味わいに仕上がっている。平安時代の恋愛を表現したという京の酒で、とても美味しかった。

「もうお腹食べられない」と私も彼も満足したところで、ホテルに帰ることにした。夜の寒さが細胞にまで刺さり、自然と手を繋ぎ、肩を寄せながら歩く。暗く冷たい海から聞こえてくる波音が、私の気持ちをなぜか不安にさせる。握る彼の手を強く握りしめ、不安を振り払いながら光るホテルへ向かった。

 部屋へ到着し、活動する気力があるうちに大浴場へ向かった。「時間は決めずに、気の済むまで温泉を楽しんだら帰ってこよう」と言い、お互いの暖簾を潜った。露天風呂で外の冷気に触れ、酔いが覚めてきたところで上がることにした。脱衣所の時計を見ると故障しているのか、針が動いていなかった。体感にして1時間も経過していないので、22時を回った頃だろうと考えながら髪を乾かし、浴場を出た。

 部屋に戻って私は思わず泣きそうになった。今日がちょうど付き合い始めてから1年の記念日だったので、彼がプレゼントを並べて待っていてくれた。以前私が羨んでいたネックレスをプレゼントしてくれた。鏡の前で私の後ろに周り、首に優しく付けてくれた。

「ありがとう、嬉しい。大切にするね」

「今日絶対にあげようと思って、内緒で買ったんだ」

「じゃあ私からも」と、体調を崩して渡すことが出来なかった誕生日プレゼントを手渡した。

「開けていい?」と彼が箱を開ける。

「欲しかった腕時計だ!嬉しい、泣きそう」

 彼が愛用している腕時計のブランドの、前に欲しいと言っていたものをプレゼントした。「ありがとう、毎日使う」そう言って貰えて、私も嬉しかった。

 そのまま彼は私のことを優しく抱き寄せた。

「さっきの続き、しよ?」と彼は珍しく甘えた声で言う。了承の意を込めて、私から彼の唇へ顔を近づける。お酒を飲み、少し紅潮した彼の顔が愛おしく感じる。彼が私のことをベッドへ寝かせるところで、「貰ったばかりだからこれ外す」と、ネックレスを外してサイドテーブルへ置いた。その間に彼も、私のあげた腕時計を外してネックレスの隣へ置いた。

 再び彼が私の横へ寝転がり、抱擁する。口と口を交わらせ、次第に舌が絡み合う。

 いつもにも増してその夜は彼の愛を感じた。彼の優しい愛撫で全身の力が抜けていき、身を全て委ねた。濡れた私の恥部を確認し、私と彼の身体が一つに交わる。

 言葉は無いのだが、彼の大きな愛を感じることが出来た。しかし何故なのだろうか、その大きな愛に反して寂さも感じた。ずっと離れることなく彼の隣にいたいという願いが、壊れてしまうのでは無いかと。先ほど海岸を歩いている時に感じた感情の正体はこれだったのかと思うと、悲しいという気持ちと、彼に対する罪悪感に苛まれた。

 頭から暗い感情を取り払うように、私は彼の愛に応え、包み込んだ。この瞬間を心から感じた。終わることがありませんように。と、願いながら。

#14 へ続く


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自作小説「クロッカスの舞う夜に。」の連載
眠れない夜のお供に、是非

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