らくじん

リタイアして十有余年、せっかく助かった命なので、大事に生きてゆきたいと思っています。 …

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リタイアして十有余年、せっかく助かった命なので、大事に生きてゆきたいと思っています。 日々楽しくを心がけて、愉快な人たちと交流希望。 時に憂国の志として。 YouTubeは、主にバイクネタ・工作です。お暇な時にでも覗いてください。

最近の記事

ショート動画歴史物をシリーズ化

ちょっと洒落で、歴史物のショート動画を作ってみました。 すると、思いのほかよく視聴回数が伸びるので、少し様子をみようと、二作目を作ってみました。一作目より伸びは悪いですが、他の動画よりもましです。そこで、三作目も作ってみました。 一作目は、#歴1 卑弥呼と天照大御神の発音 二作目は、#歴2 神武天皇の即位年 三作目は、#歴3 天照大御神の誕生年、です。 5/20 午前現在、三作目はまだ未公開ですが、夕方には公開できると思います。 天照大御神がいつ生まれたのかを推測し

    • 践祚大嘗祭麁服調進における御殿人の読み

      今回のテーマは、日本史に余程詳しいか、天皇に関心があるか、阿波古代史、日本神道に興味が有る人以外には用が無いものです。至ってコアなので、日本神道学者・国学者とか歴史研究家にはすこぶる有用でしょう。 体調不良なので、手短に。 天皇即位式のメインイベント、践祚大嘗祭において、麁服調進という重責のプロジェクトリーダーを御殿人と云います。御殿人は『みあらかんど』と読みますが、この読みについて数年前から調べています。 残念ながら今回も、三木家古文書以外で御殿人は見つかりませんでし

      • 次回研究会テーマ、神武天皇の即位年を数学する

        このところ体調が思わしくなく、行事を次から次へとキャンセルする無様なことになっています。 前回、邪馬壹國研究会は5月8日でした。が、当日かかりつけ医に検査結果を説明してもらっている最中に不調となり、ベッドで横になり、そのまま点滴となりました。それが効いたのか少し正気を取り戻しましたが、自走では危ないとの先生の判断で、家内に迎えに来てもらいました。トホ 前回予定だったのは、「歴史を数字で検証する」というテーマでした。一番の目玉は、神武天皇の即位年、明治時代に那珂通世により紀

        • 余話:伊弉諾尊の禊で生じた神々

          先日、護国神社の宮司さんを表敬しました。 以前からお会いしたいと思っていた方で、私のふるさとの氏神さんの神官でもあります。私が剣道を再開した頃、少年剣道教室を閉じられたようで、人の巡り合わせは難しく、接点がありません。今回、牟岐の八幡神社の神官、榊さんつながりで、お話を伺うことができました。 徳島県と和歌山県の間には巾50km程の水道が横たわっています。その紀伊水道入り口に関所のように浮かぶ島があり、島内に當所神社があります。伊島沖で近代艦隊決戦が初めてあったことでも有名で

        ショート動画歴史物をシリーズ化

          古代史研究会の日がやってきた

          今日もまた、古代史研究会の日が巡ってきました。 一ヵ月に一度、富岡町の公民館で開催しています。 今回は、3月20日(水曜日)にホテル徳島みづほのホールでやった講義と同じ内容をお話します。タイトルは同様に、「雄略朝の帝都は徳島なのか?」です。 前回、みづほでお話したとおり、古代の動員率から推測すれば、徳島に首都があったと考えるのは非常に難しいです。文科系脳の方は、万葉集にこんな歌があるとか、ここのご祭神がこうこうだから・・・と我田引水が得意ですが、過去の徳島説を、古典資料を

          古代史研究会の日がやってきた

          雄略朝の帝都は徳島か? その2

          先般、徳島みづほ古事記講座が、ホテルみづほのホールでありました。 三回連続でスピーカーを頼まれたので、今回も一時間程度熱弁をふるってきました。 で、なかなか登録者数が増えないYouTubeの数を稼ぐために、本来ツーリングと木工細工のチャンネルに、禁じ手の徳島古代史を割り込ませての動画アップをしています。 歯牙にもかけてもらえなかった邪馬台国阿波説が俄かに脚光を浴びています。半面、辛辣な批判にさらされてもいます。しかし、考えてみれば仕方ありません。日ユ同祖論や神代文字など、

          雄略朝の帝都は徳島か? その2

          フォロー・登録者を増やす常套句

          古代史研究は、なんとなくアカデミックな雰囲気がありながら、全くの素人でも字さえ読めれば入り易いのが特徴です。かくいう私も例外ではありませんが。 きっと、プロの方はうんざりしていることでしょうね。 でも、仕方ないです。プロの方も詐称された歴史を師匠に教えられた通り復唱しているに過ぎない方が大半ですから。 注目してもらうためには、内容よりまずはタイトルです。クリックしてもらわねば、NoteもYouTubeも始まりません。 そこで、例えば、以下の文言を入れます。 隠された

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          #閑話 みづほ講座の準備「雄略朝の都は徳島にあったのか?」その1

          ホテルみづほさんから、またもリクエストを頂き、前回に続きお話をすることになりました。期日は明日2/28(水曜日)です。 二回に分けてお話をしますが、メインは実は第二話です。 その前に、前回は日本の女性は素晴らしいことをお話しました。特に平安時代の女流文学は世界史上最高・最古であったと思います。一月の末にホテルみづほさんで語ったので記事を書きました。貼っておきます。 スピーカーを忘れていって、古代の中国人がどのような発音をしていたのかを、聴いていただけなかったので、今回は

          #閑話 みづほ講座の準備「雄略朝の都は徳島にあったのか?」その1

          我田引水自画自賛

          日本の古代史に興味の無い方には、意味不明だと思います。 だいたい、学校時代、日本史を習っても忌部なる氏族集団の話など出てきません。対抗馬である児屋根は中臣鎌足を出し、後の藤原に繋がり、北家・摂関家となり、明治大正昭和にまで至ります。近衛文麿は当時政界のプリンスとも呼ばれていたようです。 古事記によりますと、児屋根も日鷲も同格というか同列でした。危機感を抱いた斎部広成(いんべのひろなり、従四位下、九世紀頃の人)が、「古語拾遺」を著して、忌部の由来と役割を示し、復古しようと試

          我田引水自画自賛

          日本という国の始まり その10 男系

          皇室の男系については、もうずい分と議論されました。少し日本史をかじった方なら、また、その議論かと思う程です。理屈を分かっている人は、もううんざりしていることでしょう。 しかし、興味のない方は全く無関心で、この点無知です。なので、毎回説明する必要があります。そもそも、この点を考えるにあたって重要なことは、「しらす」と「うしはく」という概念が日本にはあるという事です。 外国人に対して、「うしはく」の説明は、案外簡単です。「govern,rule,」でおおむね分かってもらえると

          日本という国の始まり その10 男系

          日本という国の始まり その9

          表題の上にある写真は、官宣旨ではあるが、全く無関係の書面だ。もちろん国宝・重要文化財である。保元三年(1158年)紀伊国に書かれた官宣旨である。 昨晩、研究会に行くと、仲間から徳島県の某研究者の投稿論文の一部を頂いた。阿波忌部に関する記事で、中世約定書について論じている。 それにしても、思ったよりも早く、時が来た。 私の予想では、現在の御殿人(三木家第28代頭領 三木信夫氏)が亡くなられた後に、これに類する論文が雨上がりのタケノコのように出てくると思っていた。 徳島県

          日本という国の始まり その9

          番外、カタカナ表記

          日本人の識字率の高さは、浦賀に来て恫喝外交をしようとしたマシュー・ペリーも驚いたということです。福沢諭吉は西洋の言葉を漢語風に落とし、日本人が即座にわかるよう新しく単語を作りました。これによって、日本人は指導者なしでも、手引書を片手に、物作りあるいは操作ができるようになっています。 今回は、番外で、このままカタカナ外国語の氾濫を容認しても大丈夫かなという杞憂な話。一言でいえば、塵です。 日本の工業製品には、必ず分厚い手引書が付いています。昨今では、経費節減の為でしょうか、

          番外、カタカナ表記

          絶賛される日本人女性、三世紀の中国人は評価した!

          魏志倭人伝の著者、陳寿は三世紀の中国人です。 彼は当時の日本女性を絶賛しております。 普通、史書において、外国人や外国を褒めることは稀です。 日本の女流作家がいかに歴史的に評価されるのかも、興味深いですね。 今回は、江戸時代の離婚事情についても言及しました。 是非、ご視聴ください。

          絶賛される日本人女性、三世紀の中国人は評価した!

          日本という国の始まり その8

          金印の説明のおり、もう幾度となく説明したので、ご存知の方は、耳たこでしょう。 金印、それは江戸期に福岡の志賀島で出土した、所謂『漢委奴国王』金印紫綬です。 読みは明治の学者で筑波大学初代総長・三宅米吉先生の発案で「かんのわのなのこくおう」と読まなければテストで丸をくれません。爾来今日に至も、憲法9条と同様、恐れ多くも改正など出来ませんでした。 しかし、どうみても、「わ」とは読めません。委員会の「委」です。 そうなんです、「い」です。 詳細は、また後にするとして、正しく

          日本という国の始まり その8

          日本という国の始まり その7

          知り合いには「阿波(徳島)から日本文化が発生した」と主張される方は多いのですが、日ユ同祖論を妄信する方も多いです。楽しく生きたいので、ディベートする気にもなれず、少し距離を置いております。 他にも、阿波神代文字なるものが絶対に存在したという方もおります。ここらは、よくわかりません。同様にスルーです。 問題になるのは、奈良遷都の時期です。 記紀的には、神武東征から奈良へ都が移ります。これが現在の常識として、定着しております。で、欠史八代の問題があります。二代綏靖天皇より九代

          日本という国の始まり その7

          初めてのライブ配信(新春古事記座談会)

          生て初めてのライブを無事終了しました。 機材らしい機材もほとんど購入せず、有る物ばかりを使ってのスタジオ作り。マイクも自作、カメラはスカイプ用とツーリング動画撮影用を流用しました。忘備として、一応リソースというか、準備したものを羅列します。 アプリ 編集アプリ:DaVinci Resolve ver18.6 切出しアプリ:Insta360Studio ver4.9.1 ブロードキャストアプリ:OBSstudio ver30.0.2 機材 カメラ:Insta360OneR

          初めてのライブ配信(新春古事記座談会)