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推し鍼灸院に出逢うには - background

自分のメンテのためと勉強のためを兼ねて、他院で施術を受けることがある。

ここから先は(いつもだけれど)、良い悪いという価値の話ではなくて、合う合わないとか、違いがある、という差異や好み、そこから自分を掘り起こすために書いてみる。

鍼灸院で施術を受けてみて、技術的に&施術者の人柄的に信頼できて、ここならOKだな、ひとに勧められるな、と思っている院はいくつかある。けれど、私自身のためにここならずっと続けて通いたいと熱量を傾けられる院には出逢えていない。

衛生面、触れ方の繊細さ、施術者の立ち位置(心身をみる視座のようなもの)で、充分に満足できるところ、なんなら恋するようなところに出逢えていない。私が過敏だったり期待値が大き過ぎるのかもしれないが、難しい。


衛生面

素手で触れられた鍼が刺入されるのが苦手。鍼灸業界では指頭感覚がたいせつと言って素手で仕事するのを推奨する人もいる。もちろん皆手指消毒はしているはずだけれど、他者の手に残る常在菌が体内に入るのも気になる。ディスポグローブかフィンガーベール(指サック)着用の写真が見えると安心する。

施術野の消毒は気にならない。米国ではむしろアルコール綿花での清拭はしなくなってきているとも聞いた。

他者の汗が沁み込んだようなタオルの上に横たわるのも苦手。残念ながら鍼灸院ではよくある。以前研修に行っていた院では半年に1回だけ洗濯をしていた…気持ち悪くなって行かなくなってしまった。
そんなわけで、うちではフィンガーベール着用、ディスポシーツ使用。
(それが基準的推奨というわけではない)

触れ方の繊細さ

身体に訊いているか、定番のツボの位置で仕事しているかは触れられたときの感覚でわかる。こんなこと、わからないでいるほうが安心できる閾値が低くて生きていきやすいだろうと思うけれど。

治療として触れるのだって「侵入」「侵襲」。
合意を得て、治療効果のために強い刺激を敢えて使うこともあるけれど、侵襲は少ないほうがいいと思っている。

特に、強圧し・強揉み"神話"は苦手。
そっと触れるような、オステオパシーのテクニックのような、こんなに弱くて?というような皮膚接触刺激で、心身は自ずと違いを生じるのを体験し続けているから。

施術者の立ち位置(心身をみる視座のようなもの)

リラクゼーションではなくてエステサロンでもなくて治療院なので、症状が軽減したり、改善したりのアウトカムが当たり前なのだろう。ただ、それを、身体のこの場所をこのワザでこうするとこう変わる、というような、他者の身体を操作の対象としての物体と見ているか否かは透けて見える。いや、それが良いとか悪いとかではなく、そういった知識や技術ももちろん必需だと思う。

身体は解剖学的構造を持つけれど物体を超えていて、しかし精神というかスピリチュアルだけのものでもなく、他者が触れることはできるけれど、他者を受け入れることはできるけれど、他者が変えることができるものではない、自らの力と許容範囲で変わっていく、あるいは維持されていく、そんな存在だと思う。

鍼灸師や、広く施術者、治療家、が、そんな(あるいは別の)視座・感覚・経験を持っているかどうかはわからない。東洋医学思想の文脈で近い感覚を持っている方もいる。これまで接したなかではあまり多くない。

バックグラウンド

他の院で施術を受けてみて、開院までにどんな仕事をしていた人なのかにもよるのかなと思える。院の設えや、触れ方で、(整骨院で仕事していた人かな)とか(昔気質の鍼灸院で修行した人かな)とかがみてとれる。このあたりで合う・合わないが分かれるだろう。

うちの場合は、瞑想ベースのボディワークをしてきた人、で、身体の研究をしてきた人、なのだろう。二極のようで、それらを統合したセッションのような施術になってきているこの頃。

そんなところを探している人、合いそうな人には他にない場所だと自負する。
けれど、逆にいうと、とにかく揉まれてキモチイイが好みであったり、経絡が脉がという視点があると安心であったりする人には全く向いていない。

合うところに出逢って、(どこであれ)信頼してひとしきり通いながら自分の身体とつきあっていく。そういうふうに、あなたの「推し」鍼灸院との出逢いがありますように。

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