三月のこころは
「三月。
温かくなって、花の香りもして、うきうき。
のはずなのに、なんだか身体も気持ちも落ち着かない。
あなたは、そんなことありませんか。
私は、あります。」
月々お送りしているLINE公式からのメッセージをそんなふうに始めました。
そわそわと焦ったりも。
眠れない夜があったりも。
「私ってダメダメ」が好物の私は、しょっちゅう凹んでもいます。
LINEのおたよりでは、この後に、「肝」のツボをご紹介しているのですが、正直、ツボにお灸する/指圧する(だけ)では、たすけにはなるけれど、それだけでは回復するものでもない、ときが多いです。
「こころ」は胸にはなく、アタマにもありません。
「関係」のなかにある。
となると、回復も「関係」を回復することにある。
そして、気持ちや行動は「目的」があって使われる。
はあ?かもしれませんが、そうすると、笑えるほど「こころ」のことは涙なしに解けます。
その過程はあるけれど。プロの手を借りるのがよい場合もあるけれど。泣けるようなこともあるかもしれないけれど。
私自身がこころ穏やかでないこのごろなので、自分に向けてことばにしてみました。
穏やかでないのも、(ずっと)(いつも)イヤではありません。
味わうべき(それを忘れそうな)感情もあるように思います。
それから、面倒だったり経験のないことに踏み出すのに躊躇って、ぐずぐず、うつうつ、動かないでいる感情を繰り返しているときもあります(←これも自分に向かって書いてみる)。
それはそうなのですが、身体を苛む感情もあります。
施術の現場では、もうむしろ「こころ」から作られている慢性症状だらけではないかと感じるほど。
逆に、身体の現在地を変えていくことで「こころ」の全てではないとしてもデフォルトレベルを変えることはできるという実感も。
いま、身体を一歩だけごきげんにできることはないかな。
いま、「なかま」だと感じられる人は思い浮かべられるかな。
いま、やるといいけどやっていないことを一歩だけやれないかな。
三月はじめ、不穏な自分に語りかけるの巻でした。
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