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手で聞く ーセラピー、キュアとしての触れること

繋がる触れ方?

繋がる触れ方、というのを教えようとしている動画が出てきた。

見てみると、ふとお身体に載せているような、でも力加減でコントロールしているのではないような、重くなく、軽さを意図しているのでもなく、密着しているけれど圧し着けているのでもなく。

そうねえ。繋がっているかんじ、と繋がっていないかんじ、の違いは、触れられてみると分かる。そのかんじの違いを経験している人なら、かもしれないけれど。

触れ方の質は測れない

あん摩マッサージ指圧師の先生で、マッサージスコアとして触れる圧を数値化して教えようとしているのもあった。けれど、数値の高い触れ方を見ても、こんな触れ方はされたくない/したくないなあと感じた。

繋がり具合(とここでは言っておこう)の違いは、数値では測れない。数値で済むもので大丈夫な人もいるのは分かるし、最低限のことを大勢の生徒に伝えるのには一つの手法ではあるだろう。

「やさしい」と言われる施術のバックグラウンド

施術をして、よく言われる感想:「手が温かい」「手で癒される」「ていねい」「やさしい」…。

多くの鍼灸師は、触れて身体の情報を受け取って、いわゆるツボを取る(決める)経験を積んでいるので(たぶん)、一種の繊細な触れ方に長けているだろう。

私のバックグラウンドの土台は瞑想のボディワークで、共鳴性やエネルギー状態を受け取る、けれども変えようとしない、というトレーニング・経験を積んできた。

そして、オイルトリートメントのトレーニングでは、チカラで圧さない、けれど、しっかり密着する、というトレーニングを受けた。

今は、オステオパシーの先生について手技のトレーニングを続けている。

その間に、レイキや、頭蓋仙骨療法(クラニオセイクラルセラピー)などさまざまなエネルギー系や繊細な手技のトレーニングも受けた。

経歴はそうだ。
けれども近い経験を経た施術者でも、触れ方の質は大きく違ったりする。

触れられる側としての質

施術を受ける側として、良くも悪くも繊細さの質があると思う。

今でも、交換練習で、また施術を受けに行って、たくさんの施術者に触れてもらう。練習だと不慣れな手技でも大丈夫なように、どこか感覚に蓋をして受けるときもあるけれど。それでも触れられてドキッ、ビクッとして身体がギュッと縮こまるようなときがある。

侵入感、とでもいうのか。

もしもし? と身体に聞いてくれるような、ソフトランディングだけれど、遠くで遠慮しているのではなく、ちゃんとこちらの声を聞いて呼応してくれるような。

それがなく、はいはい、これで効きますよー、この手技しますよー、ここ圧して、次こうして…という触れ方・侵襲のしかたで来られると、ギュッと身体が閉じて反応する。

過敏なのかもしれない。
繊細さん(HSP?)なのかもしれない。
でもこの感じを捨てたくはない。

高名な鍼灸師でも、マッサージ系セラピストでも、あるいは武術系の指導者でも、この感じで「無理」な人には近づき続けることができない。そんなフィルターになっている。

施術を受ける側のこんな質が、治療としての施術をする側として有効なのか、あるいは余計なことなのか。どちらもあるのだろうが、一回一回の施術で、生きたお身体に出逢って、触れるのが、「セッション(即興演奏、というような)」で。数値のような、技術書に挙げられるような技術のようには、触れることができずにいる。

鍼灸の施術者としてこんなことでいいのかまだわからない。
こんな触れ方でよさそうと思う人たちに出会えたらお互いになによりだけれど。


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