思い出って綺麗な言葉だと思ってたけど
わたしはほかの人よりほんのちょっとだけ記憶力がいいみたいです。
記憶… 思い出はそれなりに大事にしてるつもり。
「つもり」な くらいだけど。
まわりの人たちとの思い出が増えていくのは嬉しい。
たとえばぬいぐるみとか服とか、どれもひとつひとつだっていつどこで買ったものだとか、誰に貰ったものだとかちゃんと覚えているし、思い出とか気持ちが宿っている。
思い出 ってやさしくてあったかい言葉だと思ってた。
ある時、わたしが応援していた頑張ってる身近な人たちに対して、
「こんなのただの思い出作りじゃん」と嘲る声を聞いてしまった。
「顔出してネットにこんなの上げてさ、一生残るのにね〜」と動画を見ながらお酒を片手に笑っていた。
すごく悔しかった。
それまでその発言者の方に対して特に悪い印象はなかったけど、本人じゃないわたしがすごくショックを受けてしまった。
思い出作り?
こんなに時間捧げて人生使って何かをしようって頑張ってるのに?
そんな言葉で片付けられちゃうの?
あまりにも極端に悪意が込められた本来の言葉とはちがう言葉に思えた。
でも、それからはそう思われたくないなって『思い出』って言葉はあまり使えなくなった。
一緒に日々を過ごしたとして、それは確実に思い出であるんだけど、
思い出を作りたくて活動してるわけじゃない。
それも、その当時のわたしはようやっとこの1年だけアイドルを目指してみようって気持ちを固めて動き始めた時期で、まだ本格的に好きなことを仕事にすることも頑張ることもあんまりできていない頃だった。
だから好きなことを仕事にして目標を持って頑張ってる人はみんな輝いて見えて……
自分とはちがうなってその差に苦しくなることもあった時期で、
だからこそ苦しくなったんだと思う。
日々の軌跡を共にしたとして、それは思い出にほかならなくて、
でも『思い出ができましたね☆』だけじゃ、苦しいな。
言葉って難しくて、きっとニュアンスの違いだけなんだけど、
なんだろう、記念受験みたいなそういう活動したくないって思うんだ。
本当は「たのしい」を共有できるのがエンターテインメントで、
それだけで成立するものだとはわかってるんだけど、もっと感情を動かせるようなものを作りたいな。
お値段以上の方がみんな好きじゃない?ラッキーじゃない?
結局のところ求められているものを提供できるものが選ばれて成立している世界で、
求めていない人には刺さらないんだなっていうのもわかったけど。
わたしたちのことを選んでくれる人がきっとまだまだいて、その人たちのことまだまだ楽しませられるんじゃないかなって……希望があるんです。
一概に「思い出」というのを否定しているわけじゃなくて、
振り返った時に楽しい思い出だと思えたらもちろん素敵なことだと思います。
わたしと過ごしてくれた人たちの中に思い出が残っていたらすごく嬉しい。当たり前。
最近は言葉をどうにかわかってもらおうと思って考えることも多い。
日本語ってきっと難しいわ。数ある言語の中でも。
きっと日本語しかわたしには操れないけど。
対面で表情や身振り手振りがあったって誤解されることもあるのに、こんな時差のある書き言葉ですべて伝わるとは思えないし、伝えようとも思ってないけど。
伝えたいと思ったことはできるだけそのままみんなに伝わるように伝えていきますね。
わたしは嘘をつけるような器用さは持ってなくて、本当のことしか言えないのに全部は言えなくて、
それでも言葉で温度が通じ合えたらって思ってます。
思い出……
気持ちが疲れちゃった時に思い出してもらえる存在ではありたいな。綺麗な言葉に余計なものを乗せずに話していたいね。
重要ライブたちザーーーッと
全部思い出作りじゃないよ。
もっと大事なもの作っていこうね。
來世
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