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第3球 「新しい世界」


「洛西支部ですけど~」

夜の8時ごろにインターホン越しに男の声が聞こえてきた。

「あんた。なんか支部から来てはるで」

母親が俺の部屋に入ってきて様子をうかがうように呼びかけた。

「ラクサイシブって何?なんの団体?」

「ほら、あんたが中1の時に一回サマースクールとかいうやつ行ったやろ?その関係のやつやん」

俺はそこでやっと思い出した。

実は今から約2年前に在日コリアン学生が集まるサマースクールというのに参加していた。

その時は、正直楽しかったし、俺以外にもこんなに在日コリアンがいるのかとショックを受けた。

しかし、部活やらで中2、中3と参加はできず、結局そのまま右京支部をはじめ在日団体のことなど忘れていた。

そして、今はもう来月から始まる新しい西高生活に思いを馳せるのに忙しい日々だった。

「ほら、外で待ってはるから早く出なさいっ!」

母親にせかされ、俺は邪魔臭そうに玄関に向かった。

ドアを開けると、そこには大学生ぐらいの男性と女性が笑顔で立っていた。

「こんばんは。

早速なんやけど・・・

歌とか歌ってみない?」

「えっ?なんで僕が歌うんですか?」

「実はなぁ、今度3月に『みんなのためのコンサート』っていうのがあって、ここに君みたいに日本の学校に通っている在日の子らが一杯出演するねん。

で、君が歌うまいって聞いたから誘いにきたんやけど・・・」

なんちゅう分かりやすいウソなんだ!

確かに歌には自信ないことはないが、どっから俺が歌うまいって聞いたんじゃい!?

あかん!めんどい!

断わろうっ!

「あの~、でも僕今入学の準備とか忙しいし、また全然知らん人らばっかりやからちょっと・・・」

「いや、ちゃうねん!

ほんまは人があんまり足りてないねん!

このままやったら中止になるかもしれへんから、、、、

どうか頼むわ!

それに君は一度サマスも行ってるし、ちょっとは興味とかあるやろ?」

確かに興味はある。

日本の学校に通ってたら、そういった民族的なものに接する機会は恐ろしいほどない。

それに・・・

恋愛に関してもうあんなことで悩みたくないし(第2球参照)・・・

また、同じ在日の子らとちゃんと交流ってしたことがないよな・・・

うううん・・どうしよう・・・

「でも、コンサートってことは歌だけじゃなく、他にもなんか色々出し物あるんでしょ?

僕、正直歌だけなら出てもいいけど、他のはちょっと・・・」

おぉーーーー!

俺は無意識に何をくちばしっているんだ!

大丈夫か俺っ!?

「え?

マジでっ!?

出てくれるの?

ありがとう!!

もう歌だけでいいし、出て出て!

ちゃんとそれは伝えとくし!

ほんならまた練習日を連絡するわ!

がんばろな!」

そう言って二人はこっちが驚くほど喜び勇んで帰っていった。

玄関前で、僕は少し戸惑いを感じながらも、不思議と胸を躍らせてるかもしれないと思っていた。

そして、指定された練習日初日。

「はい、これ。

ソゴ(小鼓)。

これで今から踊りの振り付け教えるし」

初めて会った高3のS先輩から、おもむろに渡され農楽の指導がマンツーマンで行われはじめた。

「え?

いや、僕、、、、

歌うだけって聞いたんで来たんですけど・・・」

「うそん?

そんなん聞いてへんで。

なんか君は歌も、舞踊も、演劇も出るって聞いてるんやけど・・・」

・・・俺はタカラジェンヌかっ!

話が違うやんけっ!

あー、でもこれはいまさら「無理ですっ!」っていえる雰囲気ではないなぁ・・・

くそっ!

今回はなんとか乗り切ってやるが、もう今度からは絶対に出んとくぞ。

そしてその日から、がむしゃらではあったが歌、農楽舞踊、演劇とタイトでハードな練習スケジュールをこなしていった。

当初はかなりダルく思っていた練習も、回を重ねる内に気楽になり、何よりも同じ在日の学生たちとバカやったり真剣に練習するのが何よりも楽しかった。

さらに、意味は全く分からずカタカナ表記でしか覚えられない歌も、歌舞団の人らから解説してもらいなんとか歌えるようになってきたし、踊りも初めて触れるものばかりで好奇心が刺激されていった。

そして、本番3日前の合宿の夜、

僕は歌舞団のYという男性指導員と休憩がてら雑談をしていたのだが・・・

「君は日本の学校出身やから、日本の友達多いんやろうな。

俺は朝鮮学校出身やから、正直あんまり多くはないけど、でも何人かは日本人の友人がいるで。

この前も、その人と飲みにいって「Yさんと一緒に飲むと楽しいわぁ」とか言われしなぁ、ははは」

えっ!?

ちょ・・・ちょっと待って?

このY指導員は、

日本人から朝鮮名である「Y」という名前で呼ばれているのかっ!?

朝鮮人ということをその日本人にバラして付き合っているのか?

俺はその時、強力な衝撃に襲われた!

彼はおそらく何気なく雑談しているつもりなのだろうが、その発言は俺にはとてつもないものだった。

俺ら在日朝鮮人は日本名使うのが当たり前じゃないのか?

実際、親や親戚みんな日本名を使ってるやん!!

また、それは隠しておくのが常識じゃないのかっ!!

この日本社会でわざわざ自分が朝鮮人って主張するなんて損なだけやんっ!

隠しておくのが賢いんじゃないの?

なんでや!?

なんでこの人は本名で呼ばれ、出自をバラして、日本人と対等に付き合ってるねん!?

ん?

ひょっとして・・・

こういう生き方もあるのか?

「新しい世界」があるのか!?

俺も、

こうやって生きられるのかっ!!?

「価値観の転換」が俺の上にズシリと乗っかってきた。

そして無事にコンサートの本番も終え、俺はこれを機会に母体となっていた団体「学生会」に高校へ進学してからも通い始めた。

そこでは、初めて自分の名前をハングル文字で書いたりした。

「○が二つもあってなんか弱そうー!」

と思ったりもしたが、生まれて初めて書くハングルに心躍らせてもいた。

また、日本の友人たちとまた異なる同胞の友人たちとの不思議な関係に惹かれていった。

そして、この説明しがたい素敵な心地良さをもっと自分と同じような学生達に伝えたいと欲するようになっていた。

学生会という場で、

俺は、

新しい朝鮮人の生き方を見つけられるんじゃないだろうか?

道は全く見えないけれど、進んでみる価値はあるのかも。

俺の心の中で、希望とも不安とも言いがたい複雑な感情が加速度的にうごめきだしたのだった。



しかし、

学生会活動にも慣れ始めた高校2年生の秋・・・

俺は自分がいかに甘かったのかを心底思い知ることになる・・・


今日もコリアンボールを探し求める…


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