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コロナに感染して死にかけた話

みなさん、フェミイさんなのだ!福岡から帰りいよいよ札幌の雪まつり、そしてマジカルミライinサッポロを控えワクワクして2月を待っていたのだ。
そんなある日違和感が

喉がやたら痛い

ある日突然、喉が痛みだして食事するのにもつっかえてつらい感じがしたのだ。ただそれ以外には症状はなく、その日はそのまま食事を済ませて寝たのだ。

熱が一気に上がる

その次の日、普段低体温気味のフェミイさんが微熱を出したのだ。このご時世だし一応念のためということで会社を休み夕方から始まる発熱外来に予約。その日は寝て待ってたのだ。
しかし昼頃に一気に熱が出たのだ。昼には38.4、そして発熱外来に行くときには39.2にまで跳ね上がり、しんどさもりもりだったのだ。
そして頭痛と咳、全身の関節痛もしてきて病院までいくのに一苦労したのだ。

発熱外来で待つのはつらい

これはきちんと空調が整った医療機関なら当てはまらないのだが、フェミイさんがいったクリニックは空気感染を防ぐために外にブースを作りそこで診察するスタイルだったのだ。元々この日は寒波が近づいてたし熱があるとき特有の寒気で地獄を味わったのだ。

抗原検査からの陽性

他にも熱が出てしんどそうな人二、三人と待っていると検査が始まったのだ。鼻の奥の奥まで綿棒グリグリされる。めちゃくちゃ気持ち悪い。そしてあえなく陽性が判明したのだ。

その後のことはあまり覚えてないのだ。たぶん熱上がってて意識半分だったのかも。ただ、抗ウイルス薬は自分か代理人が同意書かかないと処方してもらえないので、フェミイさんはなんとかきを引き締めてそこは書いたのだ。
ちなみにこのラゲブリオという薬、3割自己負担になれば約3万円なのだ。5類にしたがる政府やコメンテーター、何考えてるのだ?

療養生活は基本心細い

こうして家から出てはいけない療養生活が始まったのだ。基本的には寝て、起きたらトイレにいってまた寝る。眠くなくても目を閉じるという感じなのだ。頭痛がひどくてtwitter開くのすらしんどい時もあるからのだな。
何もせず寝てると心細い。もちろん雪ミク旅行もキャンセルで治ってからの生きる希望もない。このまま苦しみ抜いて死ぬんじゃないかと何度思ったことかなのだ。

自治体の支援はフル活用しよう

栄養や水分をとらないわけにはいかず、かといってこの状態で買い物にいくなどテロ同然なので東京都に配食を頼んだのだ。

各自治体がこうした食料支援やパルスオキシメーターの貸出をしてくれるのでかかって比較的落ち着いてるときは調べておこうなのだ。  

死が見えた二日目

療養2日目の昼、事件は起きたのだ。頭痛で目が覚めたのでとりあえず水分補給をしようと思ったのだ。だけど体が動かない。それどころか声も出ないでヒューヒューいう。視界も普段の家とは違うものが見えてる気がする。まずいと脳ではわかってたけど救急車を呼ぶ能力すらなく、そのまま体感30分死を感じたのだ。ようやく体が動き始めて視界も戻ってから熱を測ると39.8。たぶん意識混濁してたときは40度超えてたんだろうなー。

療養期間は終わったけれど…

こんな感じで一時死にかけながらなんとか薬飲んで寝て熱はさがったのだ。そして療養期間も解除となったのだが、声が出ない。
咳も時々出てとてもじゃないけどこれまでのペースで外に出るのは厳しいのだ。このまま症状が固定化してしまえばコロナ後遺症になるので、まだ余談を許さないのだ。

コロナになった感想

まだ症状が残存してるけど振り返りたいのだ。
まず相当しんどい。よくマスクやワクチンが嫌いな人たちがコロナはただの風邪とかいうけどそんなわけねえじゃん!少し頭がクリアになった時彼らの糞ツイートをみて怒りで熱が上がりそうになるとか何度もだったのだ。

次に5類移行、マスク不要論なんてとんでもない。幸いお医者さんや自治体の手厚いサポートでおちついたのだが、5類になれば自己負担も発生するし自治体の患者観測も雑になる。見捨てられる人が増えるということ。それが自分だと想像したら恐ろしいのだ。
あと熱にうなされながら寝てると「あそこ密だったかな」とか「電車の隣の席の人マスクしないでしゃべってたな」とかいろいろかんがえるのだ。手洗いうがい、マスク、アルコール消毒。これは当分やるべきなのだ。気休めかもしれないけど、後悔が残らないようにしてほしいのだ。

あとMSDさん、ラゲブリオカプセル不味いからなんとかしてなのだ。

以上フェミイさんのコロナ体験記なのだ。
ちなみに雪ミクのキャンセル分は4月に18切符旅行することでフラストレーションを解消することにしたのだ。そちらもお楽しみになのだ!
後遺症でキャンセルなったら病むから声戻って(切実)



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