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#160 問題提起や主張は主語を「みんな」ではなく「私」にする 24/5/4

みなさん、こんにちは。
今日は、何かを交渉・提案する際の主語について考えてみます。

これも日常の従業員との会話や、仕事場面でよくみられることです。
先日、従業員からの面談で話を聞いて引っ掛かりを覚えたのが改めて書いてみるきっかけとなりました。
それは、主語を大きくしてしまうと、途端に相手の主張の信ぴょう性が下がることです。

たとえば、従業員が、このような問題意識を話してくれたとします。
「所属する部門のチームリーダーが、リーダーにふさわしくないと感じています。それは、プロジェクトの方針があいまいで、上司の課長や部長からの指示があると、その都度コロコロ変えてしまったり、そもそもが確たる方針やビジョンが発信されていないからです」。

「みんな、チームリーダーの適性が足りないと言っています」。

この「みんなが」が曲者ワードです。

経験的にわかっていることは、これは意見者が主張に説得力を持たせたいがゆえに引き起こす過度な強調の場合が多いです。この場合に使われる、「みんなが言っています」「みんなが不満に思っています」の「みんな」を掘り下げてみます。

「具体的には、誰さんと誰さんがどんなことを問題と言っているのかしら?」
「チームの何人中何人くらいが言っているのかしら?」
と質問してみます。

すると、ほとんど大半は
「具体的には、ちょっとわからないのですが」
「こうこういっていた人がいました」
「不満を持っているとほかの人から聞いたことがあります」
と質問とは意図的にずらした回答が返ってきます。

このとおり、かなりあいまいだったり、雰囲気で言っていることが多いです。その意見者が「そうであってほしい」と思う願望によって、みんなの意見が形成されてしまっていると考えます。人の思い込みとは、残酷です。

「そうである」事実ではなく、「そうであってほしい」願望が、当人にとっての心理的事実を事実化させてしまうのだと想像します。

これは、ほかのことに置き換えると、自分にも多かれ少なかれあるのではないでしょうか。もちろん、わたしにもあります。

たとえば、社長や自分の上長にあたる、一般にリーダーの役割に位置づけられる人について、「リーダーとはこうあるべきだ」と自分の持っている価値観バイアスによって、相手を評価してしまうことです。自分の理想像との比較をもって、相手を自分の価値基準に持ち込んで、判断してしまうことです。

このバイアスに引きずられて、「みんなが不満に思っている」と危機感を煽って自分の主張を通す、あるいはお客様に問題解決策を提案する行為を続けているとどうなるか、です。何度も続けてしまうと、その主張者に対する信頼は、どんどん目減りして、ゼロに近くなってしまうと考えます。

人は、そんなに単純なものではなく、ある条件AではAの行動をするが、条件BではBの対応をしていることがあります。

ですから、ある一面だけを切り取っていたり、しかもそれが客観的事実ではなく、自分の心理的事実に置き換えてしまう癖を自覚せずに切り取っていることがあります。

それを続けていると、主張を聴く側、仕事でいえば経営陣や上長からすると、「この人はいつも自分のバイアスでしかみてないな」と思うことになります。するとせっかく部分的には真実、かつ重要な問題解決の主張を聞き流されてしまうリスクが生まれてしまいます。

そして最終的に、あの人は「問題だ、問題だ」と言っている、オオカミ少年、とのレッテルを貼られてしまうリスクを高くする、と考えます。

さて、みなさんは、何かを主張するとき、主語を「私」にして言えていらっしゃいますか。
それでは、また。

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