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ただ「伝えたい」想いがおこした奇跡

伝えたい想い


私は今、心因性だと思われますが、発声できなくなり「2日目」。今朝驚きのメッセージをいただいたことで気づいた、不思議すぎる事例を、発信をしようと思いました。

「ところでさぁ気づいてるかな?発語機能を封鎖されたらめちゃ文章力が戻ってる‼️文章が長くなって、しかも流れが途切れない‼️なんだ⁉️この機能の補佐⁉️バックアップ⁉️」というメッセージをいただいた今朝、やり取りを見返すと確かにスムーズな「文章」をやり取りしていました。​

伝えたい!想いだけでこんなに機能は回復するのだろうか・・・

確かに、少し前「感覚過敏研究所」でも、初期の文章から数か月で「別人」のような文章力が戻ったことに、メンバーたちが驚き見返してコメントをくれたことがあります。

発声できない、理解はできる。伝える手段が「メールやメモ」以外に今はない。

ライターの時は「多くの人に知ってもらいたい」という強い想いで、公報や記事にとりくんでいましたが、今回の場合「仕方ない手段」と「育ての親への想い」また「自分の思いをつたえたい」それだけなのです。

交通事故でおそらく「ブロガー失語」が初期にあったことはわかっています。PETセンターでの画像の記録は今は入手できませんがその時の、記録はあるのです。その病院も市の経営難で今は他の私立経営になり、名前だけは継承されていますが「市立○○」ではなくなり内部も全入れ替え。

以前カルテや自分の初期の状態を取り寄せようと試みましたが「患者氏名がありません。入れ替わる前ではありませんか?」とのことでした。

その時から、なるべくMRIや採血などは、電カルをコピーしてもらうようにしていました。某病院では「写メないの?とっていいよ」と脳外科部長がいってくれ造影剤後のMRIの写メを取らせてもらったこともあります。

しかし、この数日。まだ2日目か3日目の発声できない症状が、ここまでスムーズに文字でのやり取りを可能にした事実は、私自身驚きです。

根本にあるタイピングのリハビリ

おもえば、高次の機能障害が一般的に知られていない頃診断された私ですが、それは当事者であり医者である方が診てくれたという偶然のつながりがあります。彼は「毎日、新聞のコラムを打つ→コラムを印刷したファイルを作る→翌日は前日のこらむをみる」そのリハビリ、もう一つは家事は多くの事を同時にするから一番リハビリになるといってくれました。何年も続けたタイピング、後にはいつもノート、いいことノートを毎日夕方打つ。自分なりに形を変えて継続してきました。

運動、家事、タイピング

この三つの柱が、この二年は特に崩れる環境でした。しかしその中で見つけた「研究所」との出会いや、多くの医療関係者、心理士との出会い、芸術家やアドバイザーとの出会い。

今回の事例も、打っていない期間が長いほど文は書けなくなる。言葉の理解も落ちていく。

その反面で、発声できない状態になると「伝える手段」として、20年近く前 初期に体で得た事が「実戦でよみがえる」
医学的にはわかりませんが、気づかせてくれた方々にも感謝を込めてこの記事を発信しようと思いました。

最後に

無事発声も可能になった今です。





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