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短編小説「4年のような10日間の恋」

「もう、同じ日常を繰り返したくなかったの。あなたと付き合えば、何か変わるんじゃないかって、そんな気がしたの。」
彼女は駅のホームのベンチに座り、そう語りかけてきた。
彼女と出会ったのは13日前だ。でも、私には4年くらいの長さに感じられた。

職場の同僚が主催の花見で初めて会った彼女は、少しおどけた時がとても表情豊かで、はにかむ様に笑う笑顔がとても美しかった。人見知りしやすい私も比較的すぐに打ち解けられるほど、彼女は気さくで優しかった。
「じゃあ今年から転職で?」
「はい、今は契約なんです。働きながら資格とか取らなきゃいけなくて、今勉強中なんです。」
「働きながら資格の勉強か。大変だ・・・」
「でも合格したら、正規雇用の採用試験受けるつもりなんです。やっぱり生活が安定するから。」
私より歳下なのに、しっかりしていて、努力家の彼女はとても魅力的に感じた。
花見が終わって、私は家に帰り、仕事に行き、また家に帰り、仕事に行き、いつもの日常を繰り返した。しかし、一週間経っても彼女の顔が忘れられない。ほとんど初めての感情だった。私は恋愛をしたことがない。恋人がいたことは何度かあるが、相手の事を本当に好きでいられたかというとあやしいものだった。要するに他人に興味が持てないのだ。他人の事を考えて、その言葉や表情に一喜一憂して頭を悩ませ、心をすり減らし、そんなことに時間も精神も使うのは非常にタフな作業であろう。私は子供の頃から、無意識にそれを避けて生きてきたのだ。友人が著しく少ないのもそのせいだろう。
結局恋愛でもその癖が抜けず、相手にそれを感じ取られてはフラれたり、自然消滅をしていた。
それは私という人間の欠落であり、ある種の特性なのだと諦めているつもりだった。
そんな私が30手前で初めて、恋愛感情なるものを感じている。いや、過去に比較材料がない以上は断定できないが、少なくとも私はこの数日間ずっと彼女の事を考えては一喜一憂しているのだ。
連絡先を聞かなかったことを私は後悔した。しかし、奇跡というのは意外と起こるものだ。
その日、私は学生時代の友人から合コンに呼ばれた。元々そういった場に興味が湧かないし、今は特に乗り気になれなかったが、欠員が出て人数が足りないからと頼まれたので断れなかった。しかし、店に着くと、私はその友人に人生最大の感謝の眼差しを向けた。なんと女性陣の一人に彼女が座っているではないか。
彼女も私を覚えていたようで、その合コンは私にとって一気に幸せなものへと変わっていったのだ。
店を出て、二次会に行く流れになったが、彼女は飲み過ぎた女性陣を一人介抱すると言って離脱した。私も彼女がいないのなら、二次会まで参加する意味はない。LINEは交換できたため、大きな前進だと誇らしげに帰宅した。

翌日、私はすぐに彼女にメッセージを送った。返信はなかなかなく、2日後に返ってきた。
『先日はありがとうございました。そうですね、また機会あればお願い致します。』
2日待ったにしては淡白な文章に、私はげんなりした。「機会あれば」というのは「機会をわざわざ作るほどではない」という意味にもとれる。これは脈なしかと、正直かなり凹んだ。生来の人間関係への怠惰さが顔を覗き始めていた。しかし、人生初の恋愛だ。ここで引くには早すぎるような気もする。
引くか押すか、そんな面倒くさい駆け引きらしきものに頭を悩ませ、私は翌日も仕事に出向いた。

「本当にすみません、先輩。」
「まあ、仕方ないよ。とりあえず誠意をもって謝罪しよう。」
普段はオフィスワークだが、その日は後輩の発注トラブルにより、顧客のところへ謝罪に行かなくてはならなかった。プライベートでも頭を悩まされているのに、正直、仕事にまでこんなトラブルを持ち込まないでほしい。
この顧客は以前私が担当していたという理由で付き添いを押し付けられたが、こういう時は管理職が来るべきじゃないのか。
加えて、ここの営業部長は機嫌によって態度がガラッと変わるのだ。訪問はいつも博打打ちの気分だった。
そして、今日は、賭けに失敗した。
延々と聞こえる罵声に気が遠くなる。後輩は完全に腰がひけていて、結局は私1人で謝っているようなものだった。

90分弱に及んだ拷問からやっと解放され、顧客のオフィスがあるビルを出るとすでに18時を回っていた。
「本当にすみませんでした。僕、今から会社戻って報告書作ります。」
ケロッとした表情で話す後輩に腹がたったが、今日はもう怒る気力もない。私はタクシーに乗る後輩を見送り、会社に直帰の連絡をした。

この駅には大きな駅ビルがあり、立派な商業施設になっている。この顧客の担当だった時は時々このビルで昼食を食べていた。
今日の疲れを癒やため、私は何か食べて帰ろうと駅ビルに入った。
そんな私を神は見ていたのか、奇跡が再び舞い降りたのだった・・・。

駅ビルの中を歩いていると、本屋に入っていくパンツスーツ姿の女性の横顔が見える。
花見や合コンの時とは違い、働く女性の服装だ。手を振ったが、まだ距離がある為気が付かない。
私は思わず後を追い、店内に飛び込んだ。
彼女は何やら資格勉強の教材を探しているようだ。大きな瞳が更に大きく、真剣な顔で探している。

本を選ぶ彼女の横顔は、息を呑むほどに美しかった。


私は腹を括った。
限界まで、この人の事を想って一喜一憂しよう。
人間関係への怠惰さは、この人だけには捨て去ろう。

奇跡も2回続くとそれは必然だと聞く。今までそう言った恋愛にまつわる名言などに共感したことは無かったが、今はそれが胸に沁みた。
奇跡が3回続くと何になるのだろう。4回続くこともあるのだろうか。とにかくこの奇跡が続いてほしかった、いつまでも。

本屋で声をかけて、私はその場で彼女を食事に誘った。
駅ビルの上に入っていた少し小綺麗なレストランに入り、コースメニューを頼んだ。
予約が無いと入れなさそうな店だが、平日の夜だったのが幸いした。
「このお店よく来るんですか?」
「うん、以前この近くの顧客を担当していたから、たまに来てたよ。」
「お洒落なお店をご存知なんですね~。」
本当は初めて来た。あることは知っていたが、以前よく来ていたのは1階に入っているラーメン屋か牛丼屋だ。少しでもよく思われたくて、嘘をついてしまった。

メインが終わり、デザートも食べ終わった。グラスのワインはもう少ししか残っていない。
私は覚悟を決めた。
まだ3回しか会っていないが、4回目の奇跡がある保証はない。
想いを伝えると、彼女は少し言い淀んだが、その後はっきりと言い直した。


「ごめんなさい」

彼女の答えが聞こえると、私の視界がゆがんだ。
というより、ねじれた様な奇妙な感覚だった。彼女の声も段々と遠くなっていき、やがて聞こえなくなる。

気が付くと、私は自分の顔を覗き込んでいた。目の前の鏡には、寝ぐせのついた自分の姿があった。自宅の洗面所だ。
私は失恋のショックで気でも違えたのだろうか。何ともみっともない。リビングに戻ると、空いたカーテンから日差しがまぶしく注いできた。ついさっきまで夜の駅ビルのレストランにいたはずだ。一体どれくらいの時間気が動転し、どうやって帰宅したのだろう。彼女に迷惑などかけなかっただろうか。
そう思ってLINEを開くと彼女とのメッセージが表示されない。そもそも友達の中に彼女のアカウントがいなかった。
その時、スマホの画面にLINEの通知が来た。職場の同僚からだ。開くと、見覚えのある文章で、花見の集合場所の案内が書かれていた。状況が呑み込めず、私は今の日付を確認した。日付は今日より10日前、花見当日だった。
やはり、私は動転している。
大の大人がフラレたくらいでなんて有り様だろう。
とにかく落ち着け。
私はコーヒーを1杯注ぎ、ソファに腰掛けた。15分程かけてコーヒーを飲み干し、再びスマホのトップ画面を見た。
日付は、10日前を表示している。
ベッドの脇に置いてある目覚まし時計の日付表示も確認したが、やはり10日前だ。
一体何が起きたのか。
あのレストランの記憶は幻だったのか?
まさか彼女の存在すらも?
そんなはずはない、私ははっきりと彼女の美しい横顔を思い起こした。
居ても立っても居られなくなった私は、花見の集合場所に向かった。

そこにはやはり、彼女がいた。
白いブラウス姿にデニムジャケットを羽織って、暗い茶髪のセミロングが風になびいている。
10日前、初めて恋をした時と同じ姿だった。
やはり、彼女は美しかった。これはおそらく、今まで恋愛を疎かにしてしまった私への救いなのだろう。
私は彼女との10日間をもう一度経験し、10日後の夜、もう一度あのレストランで想いを伝えた。
答えは「ごめんなさい」だった。そしてまた、視界がねじれた。

その日から私はこの10日間を何度も繰り返すことになった。
既にもう142周、この10日間を繰り返している。毎回あのレストランで告白しは断られ、次の瞬間は花見の日の朝だ。

私は・・・
さすがに飽きてきた。

こういう同じ時を何度も繰り返す話は、強い忍耐力とモチベーションを持っていて初めて成立する。
愛する彼女を死の運命から救う為、人類滅亡を阻止する為・・・・
でもそれはフィクションだからできるのだ。
私には無理。正直、4周目でもう飽きている。
最初の3回は彼女に好意を持ってもらえるよう、自分の行動を少しずつ変えていった。
しかし、無理なものは無理なのだ。
付き合えてすらいないが、私の気持ちはとっくにマンネリ化している。
5周目の10日目は、もう彼女に会わずにその瞬間を過ごした。しかし、結局は1人で自宅にいながら10日間を巻き戻されただけだった。
一体どうすれば私の時間は進むのだろうか。段々頭がおかしくなって、どうせ戻るんだから銀行でも襲ってやろうかなどと考えたこともある。しかし、もし戻らなかったらとんでもない。
花見で彼女を見ても、もう何とも思わなかった。むしろ、こう何度もフラレていると、もはや憎たらしくさえ思えてくる。あんなに美しく見えた彼女の笑顔も不思議と不愛想に見えてきてしまうのだから、もう末期症状だろう。
願わくばこれで最後の10日間にしてはくれまいか、私は天に懇願した。

143周目の10日目の夜、勝手知ったる駅ビルのレストランにいつものように彼女と入り、いつもの窓際の席に座った。窓には今から告白するとは思えないほど仏頂面の私と、すっかり憎らしく見えてしまう彼女の顔が映っている。飲み物が運ばれてくると、私はすぐに告白した。
「付き合ってください、お願いします。」
本来は「付き合ってください」を強く伝えるところが、「お願いします」が強く聞こえてしまったかもしれない。本当に、もう、終わってください、お願いします。
「はい、お願いします。」
そう、もう本当に、いい加減お願いします。これで最後に・・・。
「え?」
私は素っ頓狂な声を出してしまった。心の声が強すぎて彼女の返事を空耳してしまったようだ。
「だから。お願いします。」
「それって、付き合ってもらえるってこと?」
「それ以外にあります?」
空耳ではなかったようだ。あまりの事に私は茫然としてしまった。
今回のループで、一体私は何をしたのだろう。142回変わらなかった彼女の返事が変わるほど、大した事はしてない気がする。
まあ、バタフライエフェクトという言葉もある。いや、この場合は風が吹けば何とか・・・ってやつか。
しかし、彼女と付き合ったからと言って、このループが終わる保証はどこにもない。
茫然としたまま、身のない会話を続けて食事を済ますと、私たちは外に出た。視界はねじれていない。今はまだ10日目のままだ。
「じゃあ、また。」
「うん。また。」
付き合うことになったばかりの2人とは思えないほどあっけなく解散し、私は帰路に着いた。彼女と付き合ったことなど、もはやどうでもいい。私は11日目を迎えられるのか。いつもならもう戻されている時間だ。期待と不安を同時に抱えながら、電車に揺られ、私は帰宅した。冷蔵庫から缶ビールを出して一口すすると、時刻は23時10分を指していた。とてもシラフではいられない。結局私は缶ビールを4本煽り、日付が変わる前に眠ってしまった。
再び目が覚めた時、11日目の朝を迎えたことを確認し、私は喚起した。心の底から嬉しく、床に仰向けになって涙した。
4年に渡り続いた私の10日間は、こうして終わりを迎えたのだ。

11日目の朝、私は会社に出社した。こんなに晴れ晴れとした気分で仕事に向かったことはないだろう。今までは毎朝同じ伝達事項を朝礼で受け、同じ顧客から同じクレームを受け、同じ書類の確認をしてきたのだ。
違う日常を生きる、これがどんなにワクワクすることか、私は忘れていた。
12日目も13日目も、そうして続いていった。
13日目の帰り道、私は電車で偶然彼女に会った。正直、もう彼女だけにはうんざりしていた。マンネリ状態で抜け出せない恋愛を4年もしてきたのだから無理もないだろう。しかし、一応最後の10日目で付き合ったことにはなっているし、それを契機にあの地獄の日々を抜け出せたのだから、邪険にはできない。
「次の駅で降りませんか?」
「え?」
「ちょっとお話があります。」
面倒くさい。元来私は他人に興味がないのだ。
「すぐ終わるので。」
気乗りはしなかったが、一応私は了承した。ループを止めてくれたせめてもの礼だ。
電車を降り、ホームのベンチに座ると、しばしの沈黙があった。彼女は何か言葉をさがしているようだったが、やがて深くため息をつくと話を切り出した。
「別れてください。」
「ほっ?」
唐突だったから素っ頓狂な声が出た。
「すみません、急に。」
「別にいいけど。」
「こないだ返事したばかりなのに、答えを覆してしまって。」
別に構わないのだが、彼女からすればつい数日前に付き合い始めた相手を振っているのだ。しかもその時以来一度も会っていない。この数日で嫌われる要素などなかったはずだが、何故気が変わったのか純粋に気になった。
「ちなみに、何で気が変わったの?」
「変わってないんです。最初から、好きじゃありませんでした。」
「はっ??」
「嫌いな訳ではないですけど、別に好きではないです。」
意味不明だ。最初から好きでない相手と何故付き合うのだ。
「じゃあ、何でこの前OKしてくれたの?」
「信じてもらえないと思うんですけど・・・」

少し間が空いた。彼女は深く息を吸い、瞬きをしてから話した。

「私、タイムリープしてたんです。」
「え?」
タイムリープなんてそんな馬鹿な!とは絶対に言わない。私だけは。
「同じ10日間を何回も何回も、繰り返して。気が変になってたんです。終わらせるにはその10日間の中で何かを変えなきゃいけないんじゃないかと思って色々試したけど、結局ずっと繰り返して・・・。本当に何をやってもループは終わらなかったの。」
「10日間を・・・。」
「もう、同じ日常を繰り返したくなかったの。あなたと付き合えば、何か変わるんじゃないかって、そんな気がしたの。」
「そう・・なんですか・・・。」
「そう。でもそのおかげで、本当にあのループを終わらせることができたわ。だから、あなたには感謝してます。どうもありがとう。」
次の電車が来るまでにまくし立てるように言い切ると、彼女はベンチから立ち、今着いたばかりの電車に乗り込んだ。ドアが閉まってから軽く会釈をしてきたので、私も会釈で返す。電車がゆっくりと走り出し、やがて夕闇に消えていった。
「こちらこそ、どうもありがとう。」
私は空を仰いだ。恋愛というのは、本当に疲れるものだ。

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