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明日への逃避行 1話「Lovers sing⑧」

 高校の頃、私はイジメられていた。何だか自分が惨めに思えるから、当時はイジメられていると認めたくなかったが、今から考えるとはっきりイジメられていた。
理由は分からない。最初は廊下を歩いている時に後ろからクスクスと笑い声が聞こえるだけだった。それも一度も話した事のない違うクラスの女子グループだったから、まさか自分の事を指して笑ってるなんて思ってなかったが、頻繁にその場面に出くわすと流石に気づいてしまう。
「何なん?さっきから。」
 流石に変だと思った私は少し剣のある声で訊ねた。すると彼女達は返事をすることも無く嘲笑とヒソヒソ話をしながら去ってしまった。
ある朝、教室へ入るといつも仲良くしていたメンバーも私と話さなくなっており、代わりにあの薄気味悪い嘲笑とヒソヒソ話が聞こえた。やはり理由が分からない。昨日まで嵐の大野君のドラマの話を一緒にしていたのだ。
たった一日で世界は私に牙を向いた。
 中学が一緒だった隣のクラスの子が話しかけてきて理由が分かった。mixiのチャット内でバレー部の女子グループを中心に私の容姿を揶揄して盛り上がったらしい。
「人を馬鹿にしてるような顔が鼻につく」
リーダー格の子がそう発言すると、私と同じクラスのバレー部員が、『木戸をハブるノリに入って来ないからノリが悪い』と悪口を上乗せしてそこからどんどん広がって行ったようだ。
顔は生まれつきだ。馬鹿にしているつもりはないし、そう感じるのは馬鹿にされても仕方ない人間性だと身に覚えがあるからではないのかと思う。
木戸というのは同じクラスの木戸詩織さんで、高校に入って早い段階から無視されていた。そちらの理由もよく知らないが、誰かをハブるノリは自分に自身のない連中にはお決まりのパターンだ。入学からしばらく経って、皆自分がハブられるのを嫌がったから、どこのグループにも入っていなかった木戸さんが槍玉に上がったのだろう。
私は昔からそういうくだらないノリには参加しなかった。だから普通に彼女とも話していたのだが、それが気に食わなかったらしい。
 ある時、駅前の本屋に立ち寄ると隣の高校のバレー部員から笑われ、スマホで隠し撮りをされているのが分かった。まさか他校の全く知らない連中にまで伝染しているとは。好きなラノベの新刊が出るから買いに来たのだが、買うところを見られる。どうしようかと迷ったが、何を躊躇う必要がある、間違っているのはあいつ等だ。そう心に言い聞かせ、私はラノベを手にレジに並んだ。その間もキャッキャした甲高くて耳障りな笑い声が後ろから聞こえ続けた。
 会計を終えると脇目も振らずに出口へ向かった。店の外までつけられるかと思ったが、流石にそれは無かったようだ。大好きなマンガを手に、やるせない気持ちを必死で怒りに上書きしようとしながら駅へ向かって歩いていると、後ろから声をかけられた。
「品川さん。」
振り返ると、木戸詩織が立っていた。
「デュラララ、好きなん?」
木戸詩織は私の手に提げているレジ袋を指して言った。
「え、うん。新刊やから。」
 返事としておかしいが、その時の私にはそれが精一杯だった。
帰り道、私と木戸さんはひとしきり好きなラノベや漫画、アニメの話をして盛り上がった。当時はまだ「推し」なんて言葉は使われていなかったが、あの作品の誰々がかっこいい、あのキャラの声優さんがどうだとか、そんな話が尽きることは無かった。電車でもずっと話続け、私が地元の駅で降りると彼女もいっしょに降りた。そのまま駅前のファミレスに入って結局夜の8時くらいまで話し続けた。お互いクラスでは毅然としているつもりだったが、周囲の全てを敵だと感じる日々は決して精神を保てるものでは無かった。気にしていないと言い聞かせつつ、どこかいつも自分が笑われている、見られていると気にし続けていた。
しかし、二人で話がはずんでいる時だけは、そんなこと一切頭によぎらなかったのだ。こんなに何も気にせず人と話したのはいつぶりだったか、多分彼女も同じ気持ちだっただろう。

その日から私と詩織は何となく一緒に過ごすようになった。朝は時間を合わせて同じ電車の同じ車両に乗り、休み時間も帰り道も休みの日も、会うのはいつも詩織だった。
イジメは相変わらず続いたが、エスカレートする事なく、直接的な攻撃があるわけでもない。ずっと微妙に距離をとって、クスクス笑い、陰口を言うだけ。何て陰湿な奴等だろうか。詩織と2人ならなんてことは無かった。
話す話題は大体アニメや漫画の話だったが、次第にもっとパーソナルな話もするようになっていった。詩織は上に兄がいて大学受験に失敗してから、もう2年浪人しているらしい。ろくに勉強もせずにだらだら遊んでいるだけだから、今年も受験には受からないだろう。最近はアルバイトを始めて、バイト先の人と麻雀に明け暮れているようだ。
「昨日もお父さんと朝から言い合いしてて、最近ずっと家の空気が悪いんだよね。」
「まあ、浪人しててその感じやと親は心配するよね。」
「でもお父さんもお父さんなんだよ。すっごい厳しくて、現役の時に私立の受験させなかったんだよ?」
「国公立しか認めん!みたいな?」
「そうなの。滑り止めなんかの為に金は出さないって。」
「詩織も大変やん?」
「あたしの時は多分そんなことないと思う。お兄ちゃんにだけ厳しいの、昔から。」
詩織は生まれも育ちも三重だが、基本的に標準語で話す。お母さんが子供の頃からそうするように言っていたのだそうだ。
彼女の家の話を聞くと自分の親はすごく甘いんじゃないかと思ってしまう。

1年が終わった春休み、二人でユニバに行くことになった。
「どうする?バックドロップ乗る?」
「いや!この前乗った時すごい怖かったもん!」
詩織がそう言うので、普通の列に並んだが、列が少し進むと、さっきの発言が気になって聞いてみた。
「ユニバ最近来たん?」
「うん、実は先週来たのよ。」
「え、そうやったんや!よかったん?そんな直近で2回も」
「うん、もちろん!美咲とも行こ!って前から約束してたじゃん!」
「そうやけど。」
「この流れでなんなんだけど、ひとつご報告があります!」
詩織が少しおどけるので、私もおどけて答えた。
「なに?結婚すんの?」
「そこまでは早いよ!でもね、彼氏できたの」
私は一瞬、固まってしまった。
いつも通り二人ではしゃいでいたところに、突然の報告だったからだ。決して喜んでいないわけではない。
「え、まじ!誰!」
「同じ中学だった子!幼馴染で、何回か話したことあると思うけど。」
「あ、公文から一緒やった人?」
「そう、雅史くん。最近よく会ってたんだけど、この前急に話したいって呼び出されて。」
「告られたん?」
「うん。中学の頃から好きだったって。」
「最高やん!!おめでとう!」
詩織に彼氏ができた、それは良い事だ。私はおめでとうと言った。

2年生の始業式の日、いつもの時間に電車に乗ると詩織はいなかった。学校に着くと先に詩織は着いていた。
今日いつもの電車じゃなかったの?
ごめん、今日は彼氏が一緒に行きたいって言うから
それなら先にメールをくれても良かったのにとも思ったが、詩織が彼氏と上手くいっているならそれを喜ぶべきだろう。
ある日の帰り道、私は本屋に寄ってから帰るとたまたま詩織がホームにいた。
横にはあまり見慣れない制服を着た男がいる。
私は声をかけるのをためらったが、詩織の方が気づいて、隣の男を紹介してくれた。
「彼、仁瓶雅史くん。」
詩織は彼氏を紹介した。写真なども見た事は無かった為初めて親友の彼氏を見た。
背が高く、細見で綺麗な顔立ちだ。イケメンといっても差し支えないレベルだろう。
「初めまして。詩織からいつも話聞いてます。」
「いや、もう、詩織がいつもお世話になってます。」
「いや、二人とも何でそんなかしこまってるのよ。」
少し空気が和んだタイミングで電車に乗って座った。
扉が閉まる直前に駆け込んできたグループを見て、私は少しため息が漏れた。同じ学年のバレー部だ。二人だけなら静かに車両を移るのだが、今日は二瓶君もいる。自分の学校での状況を詩織が伝えているのか分からないし、席から立って車両を移るのは不自然だ。
迷っているうちにバレー部の一人がこちらに気づき、コソコソと話しては笑い始めた。携帯を掲げて写真を撮っているようだ。いつものことだが二瓶君からすれば何事かと思うだろう。少なくとも自分の彼女を笑われているのだ。何か行動は起こすだろうと思っていた。だが3駅過ぎても彼は何も言わず、詩織や私とも目を合わさずに携帯を触っている。まるで自分は他人だと言わんばかりに。
いつも詩織と二人だから何も感じなかった。あいつらは自分たちより所詮下の人間だ。笑われても何も思わない、そう思ってきた。だが、親友が彼氏から守ってすらもらえない様を見て、私は今まで押し込めてきた感情が爆発し、気が付くと私はバレー部集団に駆け寄っていた。何を口にしたのか自分でもよく分からない。ただ私を取り囲むバレー部とその手に持つ携帯のカメラ、必死にもう降りようと私の腕を引く詩織が涙目を浮かべていることは分かる。私は詩織に腕を引かれ電車を降りた。降りる直前、何事かと視線を向ける乗客の奥で唯一絶対に視線を携帯から背けない一人の男が座っているのが見えた。

翌日、「叫ぶヤマンバ」というタイトルでがバレー部が取った私のムービーが掲示板に上がり、詩織は彼氏からメールで別れを告げられた。
それからしばらくして私と詩織は高校を辞め、通信制の高校に転入することになり、無事に高校を卒業した。

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