反復横跳び

「あなたのコンプレックスは何ですか?」と聞かれて、真っ先に思い浮かぶのは、父である。

「お父さんがコンプレックス?」と不思議に思うかもしれないし、これを娘である私が言うのもおかしいかもしれないが、父はいわゆるイケメンなのである。顔が整っているのである。ちなみに母も可愛らしい顔立ちをしている。何を言っているんだ自分。

幼い頃は、自分の容姿を父と比較して優劣をつけたことなんてなかった。しかし、ある時「あの子の親は顔が良いけど、あの子自身は……」というような会話を小耳に挟んだことをきっかけに、私も周囲からそのように思われているのではないかと気にするようになってしまった。

私のコンプレックスの話をもう2つくらい。

私は唇が厚い方らしい。母はよく「羨ましい」と褒めてくれていたので、そこまで気にしたことはなかった。しかし、Twitter(当時)で「可愛い子は唇が薄い」というような投稿を目にしてから、世の中の人は唇を薄くしたがっていることを知り、自分の唇が少し嫌になってしまった。

私は自分の歯並びはそこまで悪くないと思っていた。実際、今までに「あなたは歯並びが悪いね」と言われた記憶はない。しかし、他の人が撮ってくれた自分の横顔の写真を見たときに、「実は私って歯並びあんまり良くなくね?」と気付き、自信が持てなくなってしまった。

ここで1つ気付くことがある。

私のコンプレックスはすべて、自分自身で発見したものと言うよりは、他の人の言動や行動をきっかけに発見したものであるということ。つまり、他の人が言っていることを耳にしなければ、他の人が撮ってくれた写真を目にしなければ、気付かなかったということ。

決して、「私のコンプレックスが生まれたのは他の人のせいだ」ということを言いたい訳ではない。写真を撮るのに関してはまったく悪いことではない(笑)他の人の言動や行動をきっかけに気付くということは、もともと自分はその部分を悪いものだとは思っていなかった。その程度のものだということを言いたいのである。

昔の私は、他の人の美しさや可愛さの基準を気にして、それに合わせようと頑張っていた。それに合わせなければ、私という存在は他の人に受け入れられないのではないかと思っていた。今は、自分の基準で美しいと思うところや可愛いと思うところは、無理に変えなくて良いと思っている。私は他の人のためではなくて、自分のために美しく可愛くありたい。そのために頑張りたい。そういう人に、他の人も魅力を感じるのだと思う。

父との容姿の差の話に関しては、鼻を高くするとか、目頭を切るとか、根本的に顔を変える手段が何回か頭をよぎったことが、正直なくはない。しかし、今はその他の手段で色々と頑張ったりして、自分らしい美しさというか可愛さというか何というか、そういうものに近付けていると思う。どうしても下を向きたい日はあるけど(笑)

唇の厚さに関しても、唇の端をコンシーラーで消すとか、リップをグラデーションにするとか、方法は色々とあったと思うけど、もうコンシーラーで消すこともせずリップはゴリゴリに唇全体に塗っている。なんならはみ出しているときもある。歯並びの悪さも、もはや「1本や2本、ちょっと飛び出てた方がチャーミングじゃね?」と思っている。

めちゃくちゃポジティブなことを言っているが、こうやって文章にしているのは自分に言い聞かせるという意味もある。ずっとこういう前向きな考え方でいることは不可能!マジで(笑)根本的に考え方や性格を変えようと思っても、なかなか変われないことに気付いて、のたうち回りたくなることは多々ある。

しかし、「変わりたい」と「変われない」の間で反復横跳びを続けることの先に、「変わる」があるのだと思う。落ち込みながらも傷付きながらも、「変わる」という気持ちを捨てないことは、例えそこまでの道のりはまだまだ遠かったとしても、とても強くてかっこ良いことだし、それが一番の近道であったりすると、私は思う。

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