直線定規

今「あなたは自分を好きですか?」と聞かれたら、私は何て答えるだろう。

私の好きな音楽家、長岡亮介さんはとあるインタビューで、「自分を好きでいるために大切なことは何ですか?」という質問に対し、「無理をしないこと」とおっしゃっていた。私はそれを聞いて、確かにそうだと思った。

「無理をしない」とは、一体どういうことだろうか。

私は、小学生の頃は、明るく元気で目立ちたがり屋の子どもだった。新しくクラブ活動を創設したり、応援団に入って副団長までやったり、クラスでは輪の中心にいることが多かったり、自分で言っていて恥ずかしくなってくるくらいだ。自分のことを好きか嫌いかなんて、考えたこともなかった。当たり前に好きだったと思うから。

そんな私が変わった瞬間は、明確に覚えている。中学校に入学したばかりのとき。近くの席の女の子が、小テストの点数が低くて落ち込んでいるのを見て、励ますつもりで「私もそんな点数取ったことあるから大丈夫だよ!」と声をかけたら、周りの空気がひきつったのを感じた。そこで私は、中学校からはこのノリで行ってはいけないんだ、空気を読まなきゃいけないんだと悟った。

高校生のときから、確実な違和感を察知するようになる。当時は部活を掛け持ちしていて、そのどちらにおいても、自分という存在が浮いている感じがした。ギスギスしていた訳ではないけれども、相手とは決定的に何かが違うという感じ。上手く言葉にできないが、浮くくらいなら相手のためにもこちらから関わらなければいいと、自ら壁を作ることを覚えた。

私は自ら壁を作っておきながら、なぜ周囲は自分のことを理解してくれないのだと思っていた。最近、ふと高校時代や大学時代初期の様々なメッセージのやり取りを見返してみたのだが、そんなに感情を剥き出しにしなくてもと思ってしまうほど、自分で自分をなだめたくなってしまうほど、尖っていた。終始ツンツンしていた訳ではなかったけれど、そりゃ浮くわと言われても仕方がない(笑)当時関わってくれていた人たちには、この場を借りて全力で謝罪したい。ごめんなさい。

この通り大学でも、自分とタイプが違う人が多いと思う集団においては、最初は自ら壁を作っていた。でも、それがだんだんしんどくなってきた。いつの間にか自分のことも嫌いになっていた。私は、本当にこのままでいいのかと思うようになった。珍しく居心地の良かったサークルで、自分の変なところを面白いと言ってくれる人たちと出会って、ありのままの私を見せてもいいんだという実感を得たのもある。

だから私は、自分を取り繕わない、自分で壁を作らないという選択をした。もちろん、人に迷惑をかけることや、不快な思いをさせることは絶対にしないよう心掛けているが、こうしたら人から引かれてしまうのではないか、嫌われてしまうのではないかということはあまり考えていない。そうしたら、シンプルに生きるのがすごく楽になった。

最初の問いに戻ると、「無理をしない」とは、「自分の心に嘘をつかない」ということだと思う。

中学生のときだって本当はありのままの自分でいたいと思っていたはずだし、高校生のときだって本当はみんなと仲良くしたいと思っていたはずだ。それなのに、自分を取り繕って、自分で壁を作って、自分の心に嘘をついていた。しかも、そうしたところで、みんなから好かれるようになった訳ではなかった。自分の心に嘘をつくことは、自分を裏切ることを意味するので、自分を嫌いになって当然だと思う。

自分の心に嘘をつくことは、自分だけでなく、周囲も裏切ることになると思う。自分を取り繕いながら相手と接するのは、短い間は上手くいくかもしれないが、長い目で見れば必ずどこかで自分が限界を迎える。限界を迎えたとき、相手は受け入れてくれないかもしれないし、もし受け入れてくれたとしても、それまで相手と積み上げてきたものは崩れ去ってしまう。

だからと言って、「無理をしない」こと、「自分の心に嘘をつかない」ことは、自分の欲望に忠実に生きることとは、少し違うと思う。

したいと思っていても、しない方がいいことはある。逆に、したくないと思っていても、した方がいいこともある。「自分の心に嘘をつかない」ことは、自分の気持ちに反してそうしなければならないという状況にあっても、自分の気持ちを押し殺さずに受け入れることだと思う。

自分の気持ちが落ち込んでいるとき、このまま何もしたくないと思っていても、いつまでも何もしない訳にはいかない。しかし、その落ち込んでいる自分の気持ちを押し殺して、無理に何でもかんでもやろうとすると、確実にもっと自己嫌悪に陥る。そういうときは、落ち込んでいる自分の気持ちを受け入れながら、自分なりに元気が出る方法を試していく方が、自分をさらに好きになれると思う。

これがなかなか難しい。意識的ではなく、無意識的に自分の気持ちを押し殺していることもあり、それは自覚できないからだ。

また、したいと思っているときにして、したくないと思っているときにしない、というタイミングをはかるのも難しい。そのときはしたいと思っていたのに、実際にしたら、した自分が嫌になった。逆に、そのときはしたくないと思っていたのに、実際にしなかったら、しなかった自分が嫌になった、ということがある。

「無理をしない」こと、「自分の心に嘘をつかない」ことは、簡単なことのように見えて、技術が必要なことだ。一歩間違えれば、自分を好きでいるために大切なことだったはずが、自分を嫌いになってしまうことに繋がる。こればっかりは、経験を積んでいくしかないのだと思う。

色々と言ってきたが、すべては「無理をしない」私、「自分の心に嘘をつかない」私を、受け入れてくれる人たちと出会えたからこそのことだったと思う。あんなに未熟だった私でも、昔も今も変わらず仲良くしてくれる中学時代の友人や高校時代の友人、あんなに変な私でも、嫌いにならずむしろ面白がってくれる大学時代の仲間には感謝しかない。本心はどう思っているのか分からないけど(笑)ありがとう。

ここでふと、いつもお世話になっている教授が「居心地がいい環境は自分で作るものだ」とおっしゃっていたことを思い出した。自ら壁を作っておきながら、なぜ周囲は自分のことを理解してくれないのだと思っていた昔の私は、「居心地がいい環境は相手によって決まるものだ」と勘違いしていたのだと思う。「無理をしない」こと、「自分の心に嘘をつかない」ことは、「居心地がいい環境は自分で作る」ことに近いのではないかと感じた。

今「あなたは自分を好きですか?」と聞かれたら、私はこう答えると思う。自分に対して真っ直ぐで、誠実であろうとしている自分が、ちょっと好きだ。

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