私とゲーム#1『ポケットモンスターブラック・ホワイト』

※この記事は、ゲーム『ポケットモンスターブラック・ホワイト』のネタバレを含みますのでご注意ください。また、この記事は、2022年9月21日に公開し、その後非公開にしていたものです。今読み返すと非常に恥ずかしい部分もありますが、それは当時の私が思っていたことであるのは確かなので、なるべく修正せずに再公開します。

このシリーズは、私が今まで遊んできたゲームの中で最も印象に残ったゲームたちと、それにまつわる私の思い出や感じたことを、とりとめもなく書き綴るものである。そのため、ネタバレが多くなってしまうこと、記憶違いがある可能性があること、あくまでも私自身の個人的な感想であること、をご容赦いただきたい。ゲーム以外にも、映画や音楽など様々なものを、「私と○○」という形で紹介していきたいと考えている。

「ベルが 旅をはじめるなら 最初の一歩は みんな 一緒が いいって」「みんなで 一緒に 1番道路に ふみだそうよ!」
「じゃ 行くよ!」
「せーの!!」

『ポケットモンスターブラック・ホワイト』

以上に引用したセリフは、ゲーム『ポケットモンスターブラック・ホワイト』の序盤で登場するものである。主人公の旅は、幼馴染であるチェレンとベルと一緒に、1番道路へ一歩を踏み出すところから始まる。同じ目標を持って同じ一歩を踏み出したはずの3人は、その後別々の道を歩んでいくことになる。この作品は、私にゲームの新しい楽しみ方を教えてくれた。

私のゲーム好き自体は、この作品に始まったことではない。子どもを小さい頃からゲームに触れさせるのは嫌がる大人が多いだろうが、私の家ではそういうことはなかったように思う。年上のいとこの影響で家にゲームのおさがりがあったり、家族でゲームをしたりすることは割と普通のことだった。

この作品と出会うまで、私にとってゲームと言ったらマリオだった。クッパ一味に攫われたピーチ姫をマリオたちが助けに行くというお決まりのストーリーで、障害物を乗り越えたり敵を倒したりしながらコースをクリアすることを繰り返す。それもまた楽しいことではあったが、私にとってゲームはそのような「単純明快な」ものだった。

それ以外のゲームを自分から買ってほしいとねだることは、あまりなかったように思う。『ポケットモンスターブラック・ホワイト』も、自分が買いたいと言い出した訳ではなく、ただいとこが買いに行くと言うから、私もついて行って買ってもらっただけだった。

いざ遊んでみると、まだストーリーのすべてを理解できるほど大人ではなかったが、どんどん引き込まれ夢中でクリアしたように思う。「ポケモンを人間から解放する」という目的のためなら残虐な行為も厭わない悪の組織、組織の「王」だと自称し行く先々で主人公に勝負を挑んでくる謎の青年、組織の真のボスであり極悪非道な全ての黒幕、双子の王ととある2体のポケモンの神話、葛藤しつつそれぞれの道を見つけていく幼馴染たち、主人公のピンチを救うためにジムリーダーが全員集合する展開、感情の整理がつかないまま迎えるエンディング。

こうして見ると、建前上は全年齢対象ではあったが、明らかに小さな子どもを対象にしたゲームではなかったことが分かる。後になって、この作品は他の作品よりも上の年齢層をターゲットにしたものだったと知った。しかし、私はこの作品を通して、ゲームの新しい楽しみ方、つまりストーリーを楽しむこと、を知ったのであった。マリオのように、誰か絶対的な主人公がいる訳ではない。この作品は、主人公のストーリーと様々な登場人物それぞれのストーリーとが重なり合って、1つの作品として成立している。マリオのように、何が悪で何が正義かはっきり決められる訳でもない。タイトルこそ『ポケットモンスターブラック・ホワイト』で、ゲーチスという圧倒的な黒幕がいるものの、最後には何が悪で何が正義か考えさせられるようなストーリーだった。

ゲームは「悪いもの」だと言われがちだが、私はそうは思わない。私は、比較的小さな頃からゲームが好きだったが、それを後悔したこともない。ゲームは、確実に私の人生を豊かにしてくれたからである。また稿を改めて述べることになるが、ゲームは私に考えることの面白さを教えてくれた。ゲームを遊ぶこと自体が悪いことなのではなく、なぜゲームを遊ぶのか、どう遊ぶのか、が重要なのだと私は思う。

さて、ここで冒頭で引用したセリフをもう少し深掘ってみたい。ポケモン好きならご存知、BUMP OF CHICKENの『アカシア』という楽曲に、こんな歌詞がある。

君の一歩は僕より遠い 間違いなく君の凄いところ
足跡は僕の方が多い 間違いなく僕の凄いところ

BUMP OF CHICKEN『アカシア』

主人公の幼馴染の1人であったチェレンは、最初は勝利に固執していたが、旅を続けていく中で本当の強さとは何かを知っていく。ベルは、主人公やチェレンとの実力の差に悩んでいたが、旅を続けていく中で自分にできることを探していく。『ポケットモンスターブラック・ホワイト』の2年後を描いた『ポケットモンスターブラック2・ホワイト2』では、チェレンはジムリーダー、ベルは博士の助手へと立派に成長している。

確かに2人は、順調に強くなり、チャンピオンになり、悪の組織を倒した主人公より、回り道をしたかもしれない。しかし、それぞれが回り道をしながらも、自分の強さと弱さを受け入れ、進むべき道を見つけることができたことが尊いのである。誰が一番すごいか、という話ではないのだ。

このように、ポケモンは主人公以外のキャラクターも魅力の1つである。チェレンとベルだけではない。狂ってしまった母親からとあるポケモンを守りたいと奮闘する少女。無敗の実力と絶大な人気を誇るチャンピオンである兄を持ち葛藤する少年。それぞれが苦悩しながら確実に成長していく、ポケモンにはそんな人間ドラマがある。

それに加え、ポケモンには色々な楽しみ方がある。私のように世界観を楽しむ人、バトルに熱を上げる人、ポケモン図鑑を完成させる人、ミニゲームを極める人。真っ直ぐ進むも良し、寄り道するも良し、人の数だけ楽しみ方があり、それは先ほど引用した歌詞を彷彿とさせる。

画面の中の主人公とキャラクターの数だけ、物語がある。画面の外で遊んでいる人の数だけ、物語がある。それが、ポケモンが子どもから大人まで幅広い世代に、25年という長い間愛されてきた所以なのだと、私は思う。

最後にこれだけは言っておきたいが、決してマリオをディスっている訳ではない。今でも大好きなゲームだ。また、ポケモンだからと言って侮らず、ぜひこの作品を自分の手でプレイしてみてほしいと思う。


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