私がめざすところの「プロフェッショナル」
みなさん、こんにちは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
昨日から、大叔母様が、家に泊まりに来ています。
何でも、同伴者が必要な目の手術らしいのですが、自分の家族は遠方にいるために来られないので、姪にあたる私の母に同伴をお願いしたとのこと。
大叔母様が「近くに頼れる人がいて、ありがたい」と喜んでくれていました。
私も、HSPや生きづらさ、創作に関して、そうして頼っていただける存在になりたいなと、最近意識できるようになってきたのです。
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「頼っていただける」ということは、信用がある、プロである、ということも、同じように考えられます。
個人的に悩んできたことなのですが、どの時点で以て、ある一つの分野を学び実践してきた人を「プロ」と呼ぶのだろうかと、思っています。
自分が知りたい答えを、プロが持っていなくて、全くの素人が持っていたりする。
そういった場面に遭遇した時に、何を指して「プロ」と言うのかと、考えてしまうのです。
特に、私の場合ですが、いじめの経験をはじめ、生きづらさを緩和してくれる「プロ」と称す人達を頼ってきたけれど、期待出来る状態になれませんでした。
得られなかったことに加えて、かえって事態が悪化したのです。
こんな状態になったのは「すべて、あなた自身のせいだ」と言ったきり、放置され、現代社会の状態に合わないことを、ものすごく怒られた。
そこから「プロ」を信用出来なくなりました。
プロが信用出来ない以上は、自分自身が何とかしないといけないと思って、たくさんの人に、いろいろな迷惑をかけながら生きましたが、とても辛かった。
なんでこんな私を生かそうとするのか、全然わからなくて、何もなくて、いつも死んでしまいたい気持ちでいっぱいでした。
そんな経験をしてきた私が「誰かに頼られたい」と思うなんて、不思議な話です。
だけど、こんなふうに思えたのは「プロ」に助けられて、今でも迷った時に、その人が助けてくれるから。
そのプロは、私の主治医であり、HSPや生きづらさを一緒に考えてくださる師匠のような方。
専門性を極めていらっしゃるから、私の知らないことをたくさん教えてくださるのですが、一方で、いろいろな質問をされたり、考えを聞かれることがあります。
「先生のようにたくさん知っておられる方が、どうして私に聞くんですか?私はプロじゃないのに…」
と聞いた時、
「その分野においては、私よりも、禧螺さんの方がよくご存知だし、いろいろな考えや視点を持っておられる。確かに、この時間は、医師として診察していますが、それと同時に、禧螺さんから多く学ぶこともあるんですよ。」
とてもにこにこしながら、私が言ったことをノートにとっておられました。
そして、思いました。
自分は「まだまだ未熟」と思っていても、他人から見れば「プロフェッショナル」だと思われている部分があるのだな、と。
おそらく私も、プロをめざしている過程にあるのでしょう。
けれど、プロフェッショナルに凝り固まった人間になりたくない。
確かに、専門性は大事です。
でも、それが、人間を見えなくするようなものであれば、そんなもの欲しくありません。
私が相手にしているのは人間です。
機械じゃないし、規則的なものじゃない。
もし、自分なりに「プロフェッショナル」を定義してもいい権利があるなら、
「プロです」と名乗ることに違和感があること
とするでしょう。
私は私にとってのプロでしかなく、相手も相手にとってのプロでしかないところに、
自分のプロフェッショナル性が、誰かにの人生で生かしてもらえる機会があれば、嬉しいです。
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トップ画像は 大須絵里子様 からお借りしました!
ありがとうございました。
みなさんに、ここで出逢えて嬉しいです。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。
それでは、今日はここまでです。
みなさんの本日が、素敵なものでありますように。
ஐ・:*:・✿ஐ・:*:・✿ஐ・:*:・✿ஐ・:*:・✿ஐ・:*:・✿ஐ・:*:・✿ஐ・:*:・✿ஐ・:*:・✿ஐ・:*:・✿
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上のかわいいお花の絵文字は「なるの推し活」様からお借りしました。
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