リンカーネイションを語りたい

はじめに

このnoteを手に取ってくださり、ありがとうございます。ある理系です。
みなさん、遂にあるあすのアルバムが出ました。私も追加で買ったアクリルパネルと共に届いて、すぐに飾りました。朝起きて限界化して、夜寝る前に限界化しております。推しは最高ですね。
さて、今回は明透ちゃんのアルバムから新曲「リンカーネイション」です。

アルバム発売の当日にプレミア公開され、圧倒的なMVと歌声にひたすら感動していました。ひたすら聴いています、もう歌詞を覚えるほどに。
さてそんな重度のあすナーな私なのですが、色んな方が色んな曲で行っている歌詞考察、こちらを今回初めてやってみます。是非、温かい目で見て、補足、反論、疑問等を私にくだされば幸いです。
それでは行きましょう。

歌詞考察

まず、タイトルの「リンカーネイション」から。リンカーネイション、英語タイトルだと「reincarnation」となっています。言わずもがな「転生」です。転生、その中でも輪廻転生が今回のテーマになっていると思われますが、そもそも輪廻転生とは何度も生死を繰り返し、新しい生命に生まれ変わることを意味します。このタイトルを念頭に置きながら考察を行っていきましょう。

今も耳鳴りの様に貴方の声が この血の中を巡る

「耳鳴り」とは何も音が聞こえていないのに耳の中や頭の中で音が聞こえる現象を指します。ここで「貴方の声」が「耳鳴り」として聞こえているという歌詞は貴方は既に目の前にはおらず、存在を確認できないが、自身が覚えている貴方は命や存在の比喩である「血の中」にいると読めます。
つまり、貴方が死んだ、もしくはいなくなってしまったが、私の命、人生の中に貴方の存在が根付いているということです。

逸らしてばかりの眼 ひとりでに動いた その視線の先に

「逸らしてばかり」には2重の意味があると思います。

  1. 現実から「目を逸らしている」
    「貴方」がいなくなってしまった、という現実から目を逸らしているという慣用句的な解釈です。

  2. 風景として「目を逸らしている」
    情景として貴方の墓の前にいると考えると、墓を見ない=「貴方」がいなくなってしまった事実が目の前にあり、そこから物理的に目を逸らしているともとれます。

「ひとりでに動いた その視線の先に」は2. の物理的な情景の方がより適切でしょうか。自分、もしくは誰かが供えた花(次の歌詞を鑑みると自分でしょうか)が意識しなくても視界に入ってくるということを表しています。

受け入れられない心情とは裏腹に辛い現実を突きつけられています。

すぐさま鼻をついた 甘く移ろう ただ魅力的なその匂い ただ感じてるままに独り 貴方の名前 呼ぶだろう

「貴方」の墓標にたむけたであろう花は生前「貴方」が好きだった、もしくは何か思い入れのある花でしょう。
その匂いによって「貴方」が存在したころの思い出が浮かび、「独り」になってしまった私が「貴方の名前」を呼んでいるのです。

以下、小話
タイトルの「リンカーネイション」、ここから想起される花は何でしょうか。意見の一つとして「彼岸花」があると思います。彼岸花は文字通り「彼岸」の頃に咲く毒をもった花であり、昔は土葬した遺体を様々な害獣から守るために植えられていたそうです。
「彼岸花の匂い」=「墓場、死の匂い」ともいえます。ここからも「貴方」の死が色濃く描写されているともとれます。
さらに他の考え方として、人が他人を忘れる際、最後まで残っているのは「匂い」なんだそうです。記憶としての貴方の存在が薄れていく中で、最後に残った香りで貴方の存在を感じていると考えるとロマンがありませんか?

ただ側に居させてください 命 焦げ付くまで そして幾千命を紡いで 私に届けて それを今は奇跡と呼ぼう 正しくなくとも

愛しい「貴方」のそばで命を燃やして生きていたい。その結果、私の命が貴方に「焦げ付く」となっています。調理器具などで分かるように、一度焦げ付いたモノは簡単には落ちません。そんな風に貴方のなかにしっかりと私とのつながりを残し、その繋がりをたどって今度は幾千の輪廻転生の果てに自分の元に会いに来てほしい、そんな思いが込められているのではないでしょうか。
ここで、輪廻転生の科学的な根拠がないこと、そして、ある種自分を枷として貴方を縛っていることが「正しくない」ことは分かっているけれども、それでも「貴方」に再び出会えること、それを「奇跡」と表現しています。

言葉少なに綴る歌は何時しか 地平線に埋もれてく 砂上の中から貴方 見つけてくれたら 幸せでした

この歌詞の中で「地平線に埋もれていく」に注目します。本来であればこれは太陽や月に使われやすい表現です。ここではそんな天体の動きを時間の流れの比喩として使われており、貴方と言葉(歌)を綴った時間は、前の歌詞の「幾千命を紡いで」経過した、途方もない時間の中で埋もれていってしまっています。
さらに、砂上とは、砂時計の砂が落ち切った後の上であると考えると、経過した時間の上から自分と貴方の交わした、ほんのわずかな砂粒(時間)を見つける=輪廻転生の果てに再び出会う、これが幸せなのでしょう。

疲れて膝をついた 針の筵 落ち着かない脈打つ鼓動 知らず知らずのうちに罠に嵌り 壊れるのを待つだけだろう

続いては少し毛色の異なる歌詞となっています。まず、「疲れて膝をついた」、これは輪廻転生の時間の中での苦しみだと思います。再び出会うまでにはずっと記憶を保持しておく必要があり、その辛さは想像を絶するものでしょう。
そして「針の筵」「落ち着かない脈打つ鼓動」、これらはそんな輪廻転生を取り巻く周囲の人の反応や、自分の焦り、不安でしょう。輪廻転生は本来、そこから脱却するべきものであり、それ自体が希望的な手段ではありません。それをおこなっている私に対しての周囲の糾弾の声や、出会うまでの過程で記憶が薄れてしまうかもしれない不安、早く会いたい焦り、それらが表現されています。
そして輪廻転生にとらわれていること自体が「罠」であり、そのなかで過ごす時間の中で壊れていってしまう可能性もあるわけです。

今 言葉交わして下さい 舌を捥がれるまで そして この体が何時しか 貴方になるまで そこで一つ涙落とそう 美味しくなくとも

「言葉少なに綴る歌」とは対照的に、舌をもがれるほどに言葉多く、会話をすることで、私の存在と貴方の存在を同じと見れるぐらいに、貴方への理解を深めていきたい。しかしそれは同時に「貴方」が現実から消えてしまい、あくまで自分の中にしかいなくなってしまうことを表しており、そこに涙を流しているとなります。
「美味しくなくとも」、は単純に読むと「舌を捥がれている」からこそ味を感じていないとなります。
一方である種のこじつけをすると涙は感情によって味が変わるらしいです。
悲しい時や嬉しい時は水っぽく薄い味、悔しい時などはしょっぱいようです。そのときの感情が反映された涙が美味しくない、と読むと、言葉を交わして貴方の存在を強く自分に刻みたいが、それによって貴方がいなくなってしまったことがより強く浮き上がってくる、そんな葛藤が表れているようにも感じ取れます。

記憶が全て 貴方はそう言うだろう 間違いではないだろう 言葉尻 捕まえ転生を急いだ 私を笑って

そもそも、輪廻転生は現実にはあり得ないはずだから「記憶」があろうとも意味はないはずです。しかし「言葉尻 捕まえ転生を急いだ」とあるように藁にも縋る思いで貴方と再び会えることを願っている。さらにその上で、記憶は生まれ変わりを繰り返し時を経ることで薄れていってしまう、だから「転生を急いだ」んだと思います。
「記憶がすべて」と「貴方」が言ったからこそ、言葉を交わして貴方の存在を記憶に、体に刻もうとしているのでしょう。

まとめ

いかがでしょうか。
曲全体のまとめとしては

  • 「私」と「貴方」が輪廻転生の果てに再び出会うまでの物語

  • 互いに存在を刻み込むことで、不安、焦り、苦しみがあっても再会するために命を紡いでいる

というようなことが読み取れます。
たった一つの曲、数分の歌詞にこれだけの意味や世界観を作り出せるのは本当に天才ですね。(一部こじつけもありますが…)
ぜひ、このnoteを読んでまた「リンカーネイション」を聞いてみてください。きっとなにか新しい発見があるはずです。
それでは、ある理系でした、またお会いしましょう、ばいばい。

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