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日本音楽史を学ぶことは。

 ───どうか、音楽を学ぶ人に届いてほしい。


 音楽史は、大きく二つに分けて勉強する。「西洋音楽史」──クラシック音楽の本場であるヨーロッパの音楽の歴史、と「日本音楽史」である。
 では日本音楽史は何を勉強するのかとなったとき、大抵はじめに思い浮かべるのは、中学生のときの音楽の教科書に掲載されているような内容ではないだろうか。
 確かに、日本音楽史を学ぶ上で出てくる人物名は“宮城道雄”だったり“八橋検校”などであるし、“歌舞伎”や“浄瑠璃”もあれば、“琴”や“鼓”なんかでもある。 
 そう考えると、なんだ義務教育課程で学ぶようなことの応用か、と思ってしまって、クラシック音楽を学ぶ学生の立場においてもつまらぬものに感じてしまう。特にクラシックを学ぶのであれば、尚更西洋音楽史のみで良いのではないか、と。
 ──しかしこんなことは知っているか。“三味線”にはたくさんの種類があって、沖縄の“三線(さんしん)”とは少しルーツが違うのだとか、日本の音階──五音音階にも四つほど種類があって、実は西洋音楽史の原点である「教会旋法」と似ているのだとか。教科書に載っていた“義太夫節”は、人形浄瑠璃に使用されて「語り物」音楽と呼ばれてたり、教科書の同じ場所に載っていた歌舞伎に使われる“長唄”は『同じ』じゃなくて「歌い物」音楽というものに分類されるのだとか。

 西洋と比べれば何とも素朴で、いぶし銀のような地味さかもしれない。それに慣れていなかったり、映えを求めたりするならば興味を持たないかもしれない。だけれど、例えば歴史が好きならば、少し日本史に戻ってみてもいいのではないだろうか。

 *

 平家物語というものがある。

『祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす』

 から始まるものだ。平家物語は、元々、盲人である琵琶法師によって語り継がれた話だ。古典の授業や若しくは百人一首などで触れたことがあるはずである。百人一首の札の中には、蝉丸というお坊さんが居るだろう。彼はそんな琵琶法師の一人である。というか、職として平家物語を語り継ぐことを始めたのが彼だとも言われている。

 “那須与一”という青年を覚えているだろうか、源平合戦の源氏側についた弓の名手である。古典の教科書に、扇を射る場面が載っていたのでは無いだろうか。彼を語った話が「平家琵琶」にも当然収録されている。平家琵琶を演奏する課程で、最後の方に習得する話のひとつだ。
 琵琶を爪弾き、間に声にて場面を語る。ギターの弾き語りとは違う奥深さがある。例えば、「ヒョウ」と矢を放ち、それを打ち落とした場面は一番盛り上がるところだ。歌詞の中に、

“一揉、二揉み揉まれて、海へ颯とぞ散たりける”

 というものがある。この『与一が遠くの船の扇を、見事打ち落としたぞ』という様子は、表現するとしたらどうなるだろう。

──与一の放った矢を、その場にいた兵士たちが目で追った。ごくりと皆が息を飲む。源氏も平氏もその全員が息を止めた。一本の矢が、何十米も先のあの扇を打ち落としたのだ。パンッと乾いた音と共に、棒の先に据えられていた扇が落ちる。白く輝く扇がふっと宙を舞い、海面までをふわりと風に揺られて舞い散っていく。
 奇妙な静寂の中に、突如くぐもった様な音が響き、彼らははっと我に返った。ひしめき合う船と船の間を見ると、深い青の海面に、あの白い扇が漂っていた。

 と、こんな感じだろうか。文字で表現するならば、扇が舞い落ちる瞬間には「ふっと」「ふわりと」などの句が用いられるだろう。そうして落ちていくのを確認して、やっとその場に居た者達全員が、“現実に引き戻される”。その瞬間、源氏の者だけでなく、平家の兵士までもが心を打たれた。
 映像として脳内で再生してみると、恐らくその瞬間は、映像が“ゆっくり”と、まるでスローモーションのように流れていくように見えるのではないだろうか。そしてその後、元の戦場の喧騒が戻る。

 これを、音で語るのが平家琵琶だ。唄い方に技法があり、それにより場面の緊迫感などを表現するのだ。
 例えば、“スローモーション”の場面には「走リ三重」という技法が用いられる。これは、高音域の節でゆったりとしかもこの技法は、『一揉』の一瞬だけだ。この一瞬だけに、「走リ三重」を使うことで、効果的に情景を思い起こさせることが出来るのだ。
 文字は読み手の“間”によって伝わり方や感じ方が変わるし、当然あの時代には“映像”という概念は無い。そんな中で、時間の流れをリンクさせることが出来るのは、音楽であり、琵琶と歌であったのだ。

 *

 室町時代前後で、「当道座」という単語をよく聞く。当道座は盲人の人々によって構成された組合である。
 映画の「座頭市」を知っているだろうか。あの題名の“座頭”というのも、当道座の階級のひとつである。一番最も上の階級から、「検校」「別当」「勾当」「座頭」と並び、さらに細分化されて約七十三個の位がある。映画「座頭市」の“座頭”はそれである。
 もっと親しみ深いもので言えば、中学校の音楽教科書の琴について記載されているページを見てみよう。八橋検校という人物が載っていないだろうか。彼、八橋の名前の後に付いている“検校”という言葉も、当道座の最高階級の呼び名である。
 彼が成したことは琵琶による平家の語り継ぎではなく、今日で言う「琴」の改良や奏法、箏曲の作曲による貢献だ。

 よく現代人が目にする、若しくは思い浮かべる「琴」という楽器は、音楽の専門用語で言うところの「箏」という楽器のことである。厳密に言うと「琴」では“無い”。

「箏」は“そう”と呼ぶ。逆に「琴」は“きん”と読み、よく見る十三の弦が張られているアレは、実は「箏」なのだ。
 ──じゃあ、「琴」は何なの?「琴」と「箏」の違いは、①弦の数②柱(じ)が有るかである。
 “柱(じ)”とは、本体と弦の間に挟まっている三角のコマのことである。可動式の柱(じ)を動かして音程を変化させるのだ。
「箏」は先程も言ったように①十三弦で、②柱(じ)がある。これがよく見る“こと”。
「琴(きん)」は①七弦で、②柱(じ)が無い。しかし所謂「琴」は平安時代頃に盛んに演奏されていた楽器で、今では数が少ない。「箏」が主流である。

 八橋検校は覚えていないぞという人は、京都土産を思い浮かべて見て欲しい。硬い生地の茶色いお菓子がある、「八ツ橋」だ。あの三角のモチモチした「生八ツ橋」では無く、ニッキの練り込まれた煎餅のような方、あれの形に見覚えは無いだろうか。四角い茶色の、少し反った形──あれは、「箏」をモデルにしていると言われている。「箏」の発展に貢献した八橋検校を偲び作られた、という“説”がある。
 あくまで一説ではあるが、意外と身近なところに音楽史は関係している。

 このように、上記に説明した事柄でも、ふと思い巡らせてみるだけで、日本の歴史と深い関係性があることがわかる。
 日本音楽史は、なにものからも切り離された厳格で古典的なものだと思われる節があるように思うが、案外、日常の中に垣間見れたり、学びに関係があったりするものだ。
 少しかじってみるだけで、少し興味を持つだけで、TVや本で触れる箏や歌舞伎といった日本の芸能の見え方が、今までと違ってくるはずである。そして、きっとそこに美しさを面白さを感じることができるはずなのだ。

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