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映画「巴里のアメリカ人」を読む③

⚠︎︎続きものの、最後です。

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8.それから
 ミロの提案を受けたジェリーは、それから二ヶ月、真面目に絵を描き続けた。その傍ら、リズともデートを重ね、さらに二人は心を通わせていた。しかし、ジェリーもリズも言い出せない心の内を、秘密を抱えたままだった。
 そもそも、二人で会える時間も、互いの仕事の合間を縫ってせいぜい一時間程度だったため、無理に言い難い話をしようとは思わなかった。

 そんなある日、いつもの喫茶に立ち寄ったジェリーは、たまたまいたアダムに心の内を打ち明ける。「僕には愛する彼女がいる。……僕はその愛する人のことを何も知らない。僕も彼女に個展のことと支援してくれている女性のことを話せていないままなんだ」
 どうしようかと悩んでいるジェリーに
「で、その愛する娘ってのは誰なんだよ」
 とアダムは問う。

「リズ。リズ・ブーヴィエ」

 アダムは思わず飲んでいたコーヒーを吹き出した。口をぱくぱくと動かして、言葉にならない声を上げる。───リズってあのリズだよな、名字も一緒だよな、え、俺この間アンリから同じような感じで紹介されたんだけど、え?───しかし、当の本人はその真実を知らないのだから、アダムだけが異様に慌てふためいていた。
 そこへ颯爽とやってきたのは渦中の人物、アンリ。滝汗を流すアダムを挟んで、ジェリーとアンリは挨拶を交わした。次の瞬間にアンリは爆弾を投げる。
「ジェリー、アダム、実はめでたいことがあってな。僕結婚するんだ!」
(リズとだよな、)
 これもまたアダムしか分かっていない。
 ジェリーは素直におめでとうと祝福の言葉をかけた。「ありがとう、僕は幸せ者だ」朗らかに笑ったアンリは、おやと片眉を上げる。目の前に座るジェリーの方は、自分と違って少々落ち込み気味に見える。相談に乗るよ、とそう言ったアンリにジェリーは「実はかくかくしかじかなんだ」と話した。
「ふむふむ、ジェリー。その子は君に惚れてるかい?」
「多分そう思う」
「じゃあ簡単だ、……愛していると君は言ったかい?」
 アンリは問う。ジェリーは首を振った。
「彼女に振られるんじゃないかと、勇気が出なくて」
「では、愛していると言えば良い。彼女にとってその言葉が、きっとどんな愛情にも勝るはずさ」
 信じがたいというふうに頭をひねったジェリーに、アンリは言う。
「愛していると伝えよう。きっと彼女も応えてくれるさ。……僕と君は幸せ者だ!!」
 そう歌うように力説するアンリを見て、ジェリーも徐々に笑顔を取り戻していった。なんだか上手くいく気がする、とジェリーは晴れ晴れとした気分になった。 
 なんて素晴らしい!!と二人は立ち上がる。今は何も怖くない、今なら空も飛べそうな気持ちだった。
「ああ、本当に素晴らしくワンダフルな人生だ!なんて奇跡だろう、」───彼女が僕を好きなんて!!


9.愛している
 いつもの待ち合わせ場所でリズと再会したジェリーは、一目散に駆け寄ると肩を抱き寄せ、熱く抱擁する。「ああ、リズ!リズ、愛しているよ」滔々と溢れ出す想いに、ジェリーは当然リズも応えてくれると思っていた。だがなにか可笑しい、リズは沈んだ表情を崩さない。
「ジェリー、私言わなければいけない事があるの。……私、結婚するのよ」
「なんだって……?」
 沈黙を破って発せられたその言葉に、ジェリーは驚きを隠せなかった。

「ごめんなさい。私も貴方と一緒にいたい、だからどうしても言い出せなかったのよ」
 縋るようにジェリーを見たリズは、結婚の相手がアンリだということ、彼には恩義があって確かに自分も愛していたこと、アメリカに演奏旅行とハネムーンに行くからもう時間が無いということを伝えた。
「分かって、ジェリー。どうか、お願い」
 そう繰り返すリズに、ジェリーはただ打ちひしがれていた。もう言葉も出ない。

 暫くして、ジェリーはぽつんと言葉を零す。
「……そ、う。僕にもスポンサーがいてね、個展も開くし、今は絵に集中したいんだ。僕にとって絵が一番大切だから」
 口早にそう言い切ると、ジェリーはリズに背を向ける。逃げるように元来た道へ踵を返す。
「……ジェリー!!私も愛しているわ」
 リズは声を張り上げ、去っていくジェリーの背へ呼びかけた。
 

10.パリは全てを知っている‐エピローグ
 ジェリーはその足で、自暴自棄な気持ちを連れてミロの部屋を訪ねた。
 何も言わず、ミロを口説きにきたふうのジェリーの誘いに、ミロは浮かれていた。
「美術学校の仮装パーティーがあるんだ、パリの人々も来て賑やかだ、一緒に行かないかい?」
 喜んで、と頷いたミロを連れ、ジェリーは美術学校の会場へやって来る。大晦日のパリ、パーティーに参加している人々が、歌えや踊れのどんちゃん騒ぎだ。

 ミロはそんな中でピアノを弾くアダムに出会う。散々ジェリーに振り回されたアダムは、皮肉を交えた酒をミロと飲むと、また人々の輪の中へと戻っていった。

 ミロとジェリーは、リズを連れたアンリと出会った。如何にも“何事もない、今此処で初めて会った”かのように振る舞うリズとジェリーの様子にミロは気付いてしまったのだ。
「婚約者のリズだ」
「おめでとう、お幸せに」
 苦しげな表情を垣間見せたジェリーに、ミロはそれまで忘れていたあの夜のことを思い出した。
 ───嗚呼、この男の心はまだあの日バーで出会った彼女に奪われているのだ。アンリとリズと別れてから、ジェリーは「すまない、僕は今まで自暴自棄になっていた。忘れられるかと思ったが、無理だった」と一連の行動の理由を打ち明けた。
「……ああ、すごくお酒を飲みたい気分だわ」
 そう言い残してミロは人混みへ消え、ジェリーは一人になった。
 
 一瞬でも忘れていた空虚な感情を思い出したジェリーは、パーティーの喧噪から目を背け、一人夜のパリを見下ろすバルコニーにいた。
 ジェリーは後ろに人の気配を感じた。リズだった。ジェリーと同じように悲しげに目を伏せていた。
 どうしても離れがたい気持ちが、華やかな衣装に身を包んでいるリズを苦しめた。
「……パリは人を忘れさせるわ」
 リズは淋しげにぽつりと呟いた。ジェリーは無言で首を振り、パリの街を見下ろす。
「パリが?それはない。君がいないこの街は、僕には色褪せて見える。夢を描いて此処にいた。めまぐるしく変化するこの街なら、何かが変わるかと思って。だが、今はもう。……それも全てパリにある。───パリが、一体何を忘れさせようか」
 
 名残惜しげにこちらを見上げたリズが、車に乗り込むのが見える。ジェリーは遠ざかるエンジン音を耳にしながら、鮮やかな日々を思い出し、追憶の日々にふけった(ここで、ガーシュインの「パリのアメリカ人」がフルで流れる)。

 暗い車窓を見つめるリズ、それを淋しげに見つめるアンリがいた。───アンリはその意味を知っていた、先ほどのジェリーとの会話も、理解していた。

 回想から目覚めたジェリーは、自分の名を呼ぶ声を聞いた。ばっと振り向き、バルコニーから身を乗り出す。階下にはエンジンを吹かした車。その隣にはアンリがいて───ジェリーはリズの走り出す姿を認めた。
 空が明るく白みはじめる。
 ジェリーはバルコニーの手すりから手を離すと、風のように階段を駆け下りていった。自然と顔が綻んでいく。駆け上がってきたリズをジェリーはしっかりと抱きとめた。顔を見合わせ、柔らかく微笑む。ジェリーはもう一度リズを強く抱きしめた。
 すがすがしい朝を迎えたパリの街が二人を優しく包んだ。

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参考:
 映画「巴里のアメリカ人」(1951年)
 巴里のアメリカ人 映画 画像/Web検索

お読み頂きありがとうございました。
 映画最後の、ガーシュウィン「パリのアメリカ人」をBGMとした十分超のダンスシーンは、フランスの絵画をモティーフとして雰囲気がどんどん変わっていきます。これもひとつずつ調べてみると面白そうです。

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