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お茶を点てて、空っぽ

千春さんは、耳が聴こえない。だけど、私は千春さんといっぱい話す。
4年前に、私はすべり症になって歩けなくなり、あらゆる治療をしていた。そんな時、千春さんから「私、助けられるかも。」とメッセージが来た。信じる信じないがあるかもしれないけれど、千春さんに手を当ててもらうと涙が出た。 30歳を過ぎてから聴力を失った千春さんは普通に話せる。声を出して、話すことができる。私は手話ができないので、大きな字で紙に書いて話す、筆談ね。 いっぱい笑うし、悩み事も聞いてもらう。

千春さんの家には茶室がある。遊びに行って、お茶を点ててもらうと、いつも心がしぃーんとする。 お湯が沸く音、茶碗に湯を注ぐ音、千春さんの所作を見ていると、私の中で塵が沈んでいくみたいになる。 「一番のもてなしは、私自身が静かである事だと思う。難しいけれど。」と千春さんは言う。私はおいしいお菓子とお茶をいただくばっかり。
私はこのところ、耳鳴りに悩まされている。自分の耳鳴りがうるさくて眠れない。耳鼻科に行っても(どこの医者でも言われることだが)「You are aged!(加齢です)」と。 耳鳴りのことを言ったら「私なんかもう、ずーっとそう。」と言って驚いた。千春さんの頭の中はしーんとしてると思ってた。

昨年の夏に2ヶ月の間、エストニアへ行くことが決まると、自分がしーんとするためにお茶を点てられるようになりたいと思った。千春さんに連れられて、お茶の先生の所へ行ったけれど、けっきょく千春さんに教わることにした。海外で、テーブルの上でできるように道具を揃える。家にあった籠を茶箱に見立て、茶筅と茶巾を入れる筒は竹皮に布を貼り付けて自分で作った。なつめは静岡の茶道具屋さんで中古の良いものを見つけた。何十年も前に自分でつくったジリアンという茶碗が2つ、籠の中にぴったりとおさまった。こぼし(茶碗をあたためたお湯を捨てる器)は、韓国へ行った時、購入した真鍮のマッコリコップ。帛紗は捌き方がわからないので、うさぎ模様の古帛紗を長野の茶道具屋さんで見つけた。だんだんと、自分だけの持ち歩き茶箱ができていくのは楽しかった。そうして、8月20日に日本を発つまで一日一回、お茶を点てた。1つは夫のため、1つは自分がいただく。そうすると、見てる夫は「しーんとする。」と言い、私自身は空っぽになれた。空っぽ、この言葉がいちばんしっくりくる。よし、これで、エストニアで心乱れても大丈夫、鎮められる!と、スーツケースにお道具一式の入った茶箱を忍ばせた。

いざ、エストニアに着いてからは、そこでの生活に慣れるのに精いっぱいだった。日記を見ると、到着した翌朝、眠れないまま朝を迎えて一度お茶を点てているが、その時以来、しーんとする余裕すらなかった。私はなぜ、エストニアに来たかというと、街に住む人々の台所を訪ねて一緒にご飯を作って食べるプロジェクト「Kitchen Stories」のエストニア版をつくるためだ。しかし、台所というプライベートな空間に、そう簡単に入れるものではないので、滞在先のNarva Art Residencyのスタッフからイベントをやって参加者に聞いてみたらどうか?と提案があった。ディレクターのヨハナに「すごくステレオタイプなこと言うけどさ、Tea Ceremonyとかできないかな?」と聞かれた時は、びっくりした。自分のために点てようとお茶道具を持ってきた私は、誰かのためにお茶を点てることになった。
当日は、滞在先の庭で植物の世話をしているマリアとスタッフのグレッブに手伝ってもらい、なんとか部屋をそれっぽく仕立てた。同行の写真家・花坊さんが半東を担えたのも偶然だけど、私はけっきょく15人にお茶を点てた。それぞれの所作の意味を知りたいというリクエストには困ったけれど、なんとかやり遂げた。2ヶ月の滞在中、同じく滞在制作に来ていたアーティストや、私たちを台所に招いてくれた方やスタッフのためにもお茶を点てる機会があり、40回くらいは点てたんじゃないかなぁ。自分のためにはあんまりできなかったけれど、私はお茶を点てている時、他のことは忘れて空っぽになれた。だからまぁ、自分のためでもあったのかなと今は思う。

なんとなく茶室っぽい(写真:Maria)
右手のは、Mariaの茶碗(写真:花坊)

先日、お茶を習っている友人から、LINEでお茶菓子がのった器の写真が送られてきた。あ、と声が出てしまったほど、なつかしい自分が作った器は、20年も前にお茶の先生が購入してくださったもの。うれしい。60歳になった私のところに、一周回って茶の湯が舞い降りてきた。

Monetという名前の器(写真:石田万里子)

*こちらのお抹茶を使っています。手頃で、おいしい。 

*茶箱を組むのに、この本がとても楽しく参考になりました。


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