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木村花さんを自殺に追い込んだ男性らやメディアの軽すぎる罰

久しぶりに木村花さんの名前を見ました。今年の5月にプロレスラーの木村花さんが自殺した件について、彼女を自殺に追い込むような投稿を繰り返したとして大阪府の20代男性を書類送検したという話題を目にしました。罪状は侮辱容疑とされています。行なっていた行為は相手の背後に刃物を突き立てる行為と何ら変わりがありません。殺人罪に相当する行為をしたにも関わらず、罰はせいぜい30日未満の勾留か1万円未満の科料だそうです。何ともやりきれない気持ちになります。

今回は特に過剰だったとされる20代男性が槍玉に挙げられていますが、おそらく彼の投稿に便乗した人たちは多くいたでしょう。本来であれば一人ひとりに何ら罰を与えて回りたいところだと思います。

書類送検された男性は警視庁の聴取に対して「番組を見て嫌になり、傷つけたいと思った」と供述しているそうです。番組とは木村花さんが出演していた恋愛バラエティ「テラスハウス」です。私はこの番組を視聴していませんでしたが、聞くに木村花さんを悪役に仕立てるかのような演出が繰り返し行われていたようです。

テラスハウスで行われていた演出の是非は放送倫理・番組向上機構(BPO)の審議に委ねられています。しかし本来であれば加害者側であるテレビ業界による任意団体に委ねるのではなく、法的機関によって公的に検証されるべきです。木村花さんが番組に出演しなければ自殺に追い込まれることはありませんでした。それは書類送検された男性の供述からして間違いないと思います。

話は変わりますが「コロナいじめ」というのが存在しているというを耳にしました。中国武漢市を発祥とする新型コロナウイルス感染症に感染した人や家族が村八分に遭い、最終的に自殺に追い込まれるのだそうです。噂には多分に尾ひれがつくものなので鵜呑みには出来ません。しかしツイッターでその様な話を目にするのと同時に、人伝いでも似たような事例を聞くことがあります。

コロナいじめの加害者は自殺者に直接的に手を下していません。しかし言葉の刃を背後に突き立てていた状況としては変わりないでしょう。マスコミに焚き付けられた大衆が個人を追い込む構図としては、テラスハウスの件と何ら変わらないと感じています。

言葉は刃物です。包丁が使い方次第で美味しい料理を作れたり人を殺められたりするのと同じ様に、言葉は使い方次第で人を幸福に導いたり恐怖に陥れたりできます。映像制作側にしても直接的に侮辱する者にしても、この単純な原理を理解できていない気がします。テラスハウスの件を受けて総務省はネット中傷を対策する制度作りを進めているそうです。それはそれで結構なことですが、あまりにも事務的で局地的な対応でありもどかしさを感じざるをえません。

根本として言葉が刃物であるという認識をより多くの人が強く胸に刻む必要があると感じています。木村花さんを自殺に追いやった多くの人についても、コロナいじめで他人を自殺に追いやった人についても、せめて重い十字架を背中に感じて余生を過ごしていただきたいものです。

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