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5.景義先生と桜

 社会人になってからは夜に出歩く事が日常となった。まだ人の賑わいの多い大通りを抜け、コンビニでメンチカツとアルコール度数の高いチューハイを買い、私は公園のベンチに座っていた。寄り道などせずに素直に帰ってしまえばいいのだが、社会人の足は若者のそれより重たいものである。

 家庭、という概念はしばしば幸福の象徴として描かれ、我が家も特段問題のある環境ではないが、幸福は各々が役割を演じてこそ成り立つものであり、まあ、それなりに緊張するもので、会社と家では人の良い顔をしているつもりの私には、何よりも重労働なのである。その日もいつも通り揚げたてのメンチカツを頬張り、タバコを二本吸ってから、ぐい、と缶を空けた。季節限定のサクランボの甘苦い炭酸が油とヤニを流していく。

 ベンチとは真向かいにある砂場の向こう側、生垣の向こうには立派な桜がちょうど満開を迎え、はらはらとこちら側へも花びらを落としていた。嵐でもこない限りは葉桜になるまで数日はつであろう、ちょうどいい頃合いである。最寄りの駅までの道中で、もう少し近くから眺め、それから帰ろうと桜ばかりに集中していたら、酔いが回っていたのか、いつの間にやらいつもの生垣の隙間から、ほとんど身を乗り出して見つめていた。はたから見れば他人の家の生垣に顔を突っ込む不審者である。

「おや」
からから、とガラス戸を開ける音がしたと思うと、景義かげよし先生が向こう側から携帯コンロを持って現れた。
「あ、いや、どうも。すみません、あんまり見事なものだから、つい」
「今日は月もまん丸だもの。ちょうど今から花見酒でも、と思って。さあさ、お上がりになって」
「いえ、その、今日は寄るつもりが……なかったんです……ただまあ、ええ……」
家には妻も子供もいる。夕飯もある。とはいえ、誘いを断るにはあまりにも見事な桜だった。私は曖昧な返事をしながら、景義先生の招くままに縁側へと招待された。

 熱燗のとろとろとした甘さをめながら桜を眺めている。公園から出てすぐに踏切があり、電車が通っているはずだがその音は随分と遠くに感じた。ほとんど絶え間なく鳴るかんかんという音はとうに風景の中に馴染んでおり、本来の役割であろう警告の意味を放棄していた。ごう、と電車が通る時の風は確かにそこに吹き荒れてその度に、桜の花びらがぶわあと舞い上がる。そのひとひらがちょうど手のひらの中の猪口に落ちるのが合図だったように思う。

 がたん、と熱湯が地面にぶち撒けられた。体勢を崩しかけた私は景義先生の肩とガラス戸の木枠を掴んでどうにか転ばずに済んだようだ。幸い鍋は上手いこと我々とは逆方向へひっくり返ったらしい。景義先生はさして驚いた様子もなく、お水がいるかしら、と囁いた。
「いらない」
どっどっと心臓が跳ねる音がする。腹から湧き出る笑いのようなくすぐったい恐怖だった。するすると私の足首を撫でる指先は布越しにふくらはぎをつつ、と撫で、膝の裏へと滑っていく。
「こんなに、熱くなっているのに?」

 桜から目が離せない。足元から這い上がる手は二本以上ある。ズボンの円周の物理法則を無視して四本も五本も腕が素肌に絡み付いている。チャックが降ろされ、下着が降ろされていくはずなのに腕が離れる様子はない。立ち尽くした私に構う事はなく、はぷ、と景義先生が私の縮み上がった亀頭を口に含む音が聞こえた。舌全体を押し付けるように刺激し、器用にかり首をさりさりとくすぐる。ぬるい手のひらが陰嚢を包み、綿をほぐすようにやわやわと刺激している。ん、ん、と甘やかな声と同時に背中越しの声が聞こえた。

「桜は散り際が一番好き」
何本目かわからない、細く白い手が優しく私の手を取り、足の間で蠢く頭へと導いた。欠片しか浮かんでいなかった小さな雲がわざわざ満月の前を横切る。私は、景義先生の頭をぐいと腰へ力任せに押し付けた。ぐ、と小さな呻き声が聞こえ、喉奥がぎゅうぎゅうと締め付ける。いくつかの手のひらが足や尻や背に爪を立てているが構わずに押さえ付けていると、ごぽ、と小さな音を立てて喉が開いた。ばたばたと足元に腕が落ちる音がするが、それと入れ替わるように次の口が、腕が、臍の穴を舐めながら首元に近付いてくる。

「それじゃあ、道中気を付けて。おうちのひとにもよろしくね」
玄関で景義先生が手を振っている。私は、季節の匂いが強く香る桜餅を片手に駅へと向かった。今から帰れば夕飯時には間に合うだろう。ごう、と吹き上げた風が夜空に桜色を散らした。


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