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1.景義先生と私

 近所に景義かげよし先生と呼ばれる人がいる。先生と呼ばれているが、何かを教えている訳ではなく、また過去にそのような職業に就いていた訳でもないらしい。昼間は大抵、公園に面した一軒家の縁側で穏やかに佇んでいる──景義先生と『私』の奇妙な関係、に取り憑かれた町の、時々軋む日常オムニバス小説。


 近所に景義かげよし先生と呼ばれる人がいる。先生と呼ばれているが、何かを教えている訳ではなく、また過去にそのような職業に就いていた訳でもないらしい。昼間は大抵、公園に面した一軒家の縁側で穏やかに佇んでいる。その家に他に人の気配はなく、公園から生垣の隙間を抜けて勝手に入る子供たちに麦茶と菓子を振る舞い、ある時は五円玉に紐を掛けて作った亀や蛙を子供に配り、またある時はチラシを正方形にした切れ端でくす玉を作っていた。

 浮世離れした人物であるが、風貌はどこにでもいる老人である。しかし長らくその姿である事から、景義先生をよく知る大人たちは、彼が妖怪や仙人の類ではないかと噂している。稀に不審がり、子供の出入りを恐れた大人が『景義先生の家には死体人形がある』だの『景義先生が吸血鬼のように血を啜るのを見た』だのと脅して子を近付けまいと手を焼いていたが、不思議と子供が離れる事はなかったように思える。

 私が景義先生と出会ってから二十年になる。その日、周りの同級生の縄張りが公園から近所のデパートへ移る頃、波に乗ることが出来ずにいた私は、それまで気にしないふりをしていた生垣の隙間へ、ついに入ってみる事にしたのだ。

 当時、貧民窟スラムとも形容すべき古い集合住宅に住んでいた私は、微かにでも足音がすれば鉈を持って飛び込んでくる階下の隣人や、女子供と見れば誰にでもちょっかいをかける老人が居たため友人を家に呼ぶ事がかなわず(これも縄張りから孤立した原因の一つだったように思える)友人を呼ぶ事が出来ないのだからお呼ばれする事も控えるようにと言われていたため、身の回りの人間が景義先生の家へ入っていくのをいつも生垣のこちら側から眺めていた。親しい友人がそこに入った際も、生垣越しに話すといった風にしていたが、親切な景義先生はそんな私を気にかけ、手製と思われる歪んだ椅子を向こう側から差し出し、他の子供たちと同じ菓子と麦茶をくれたものである。

 親の言いつけを律儀に守っていた私は、その日のあまりにも寂しい公園の静けさに耐えかね、具合もあまり良くなく、しかし息苦しさのある家に帰る気にもならず、ほとんど泣き付くようにして生垣を越えたのである。景義先生はいつも通りに縁側に居て、その日は何か、どんぐりだか小石だかを丁寧に磨いていたのだが、余程顔色が悪かったのか、慌てた様子で側に駆け寄り、身体を支えるようにして縁側まで連れて行ってくれたのだった。

 景義先生は、あまり口数が多い人ではなかった。
「休んでいくかしら?」
温和な声で訊ねられ、私が黙って頷くと、景義先生は縁側に座る私の背中を数回撫でて、麦茶と菓子盆を置いた後は、ただ隣で石を磨いていた。磨き終わったただの石を光にかざし、満足げな顔でそれを眺める景義先生の横顔を見ているうちに眠ってしまったが、これといって奇妙な事はなく、目覚めると、粗末なバスタオルが布団がわりに腹にかけられていただけだった。相変わらず景義先生は隣に座っていたが、今度は石を磨く代わりに、カラフルなビーズの色分けをしていた。
「お茶を飲むといいよ。随分と大きく口を開けていたから、乾いているでしょう?」

 優しく微笑むその顔に、その瞬間、どうしようもない劣情を抱いたのだ。気付くと私は、景義先生を押し倒していた。辺りにビーズが散らばり、それが景義先生の髪にいくつか絡まって、その一粒一粒が、蜘蛛の巣に囚われた蝶を彷彿とさせた。
「怒ったの?」
そう言うと、景義先生は抵抗する事もなく私の返事を待っていた。その顔が、たまらなく愛しく見える。否、恐らくは景義先生もそれを拒むつもりがなかったのだろう。声には明らかに色を含んでいたのだった。
「奥に……お茶のおかわりがあるから、そこへ行こうね」
囁き声が耳をねぶる。ふらふらと立ち上がった私は、ぱらぱらと髪の中からビーズを払いながら前を歩く景義先生の背中を追った。

 夜中まで、私は景義先生を蹂躙した。夕陽の落ちる台所の、古い小さな冷蔵庫にしがみ付くようにしてその身を震わす首筋に何度も噛み付き、背中を舐め、本来は排泄する所であるその穴へ何度も欲望を吐き出した。月明かりが差し込み、崩れ落ちるように床へ手をついて、休ませて、と息も絶え絶えに言う景義先生の首を絞め、唇を貪った。しなやかな彼の身体はがくがくと痙攣し、やがて生温いものが身体を濡らした。月にすら見放され、切れかけた街灯だけが時折辺りを照らす中、弛緩した景義先生の足を持ち上げ、その足が机にぶつかった拍子に箸立てが倒れた。耳をつんざく音と共に中身が散らばる。私は銀色のフォークを手に取り、景義先生の顔へ何度も突き刺した。骨に当たる感触はなく、ぬるり、とぬかるみに沈むようだった。

 動かなくなった景義先生を見下ろし、我に返った私は、部屋を飛び出し、水分を含み匂う靴下のまま走って帰宅した。

 土日を挟み、月曜。人を殺めてしまった絶望感と。若干の怖いもの見たさに、私は公園に向かった。その日も公園に人の気配はなかった。恐る恐る、生垣の向こうを覗くと、そこには普段と変わらずに座っている景義先生がいた。その顔や身体には傷一つ残っていない。こちらに気付くと、景義先生はあの色気のある顔付きでこちらに微笑んだ。もう後戻りは出来ないのだ。そう思った、あの日から、もう二十年になる。


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