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ヒガン

ヒガンも最近のお気に入りでリピしているんだけど、ずっと右手の血が聖痕に思えてしまうので考察したよ。どうもこんばんは。彗月はづき 漣太郎れんたろうです。バカになってほどちゃんとした考察をしてないよ。何故なら宗教全然わかんないマンだからな!

※ついったで書こうとしたのを文字数増え過ぎてコピペしたので敬語になっているよ。


多分違うと思うんですけど、もしかしてJohnさんの『ヒガン』って駈込み訴えのユダの曲ですか……?

宗派を混合して話すのでごめんなんですけど、ヒガンって多分ダブルミーニング(悲願と彼岸)で、『彼岸』だとしたら「波羅蜜(彼岸に至る≒最後の修行(を終える))」って意味になるらしいんですよ(宗派による)キリスト教ってユダの裏切りによってエルサレム(復活の地≒キリストが神の子として完成された地)に十字架を背負っていくじゃないですか。

ユダの裏切りの時にキリストはユダの裏切りを他の弟子に宣告した上で『おまえの為すことを速かに為せ』って言っていて、それがどういう意味なのかユダはわかっているからもう全力で裏切るんですけれども、それよりも前にキリストの処刑の事を知っているんですよ。噂話で『大衆の前でやると暴動になるから弟子だけの時に捕まえるぞ(意訳)』ってのを商人から聞いているので。(ユダは会計や買い出しでお金をやりくりする担当だったから?)

なんでこれをキリストが自分を裏切るようにユダに言ったのかというのも諸説あるんだろうけど、処刑され復活するのが神の子である証明・神の子としての誕生になるとしたらその役目がユダに与えられたんじゃないか説を推すよ!(キリストはむしろユダを一番信頼していたって話もあるよ)キリストはユダが裏切ったことに対してその裏切りを残念に思うというよりは『(こんな役割をするために生れてしまった)不仕合せな男』と言っているんだけど、この辺りを考えると、イエスはユダに対して、今後永遠に裏切り者としての役割を背負わせてしまうという辛い気持ちから『その人は、ずいぶん不仕合せな男なのです。ほんとうに、その人は、生れて来なかったほうが、よかった』って言ってるんじゃないかなって激エモなんですけどわかってください。

で、そういう駈込み訴えしか知らんような人間の解釈でヒガンについて話しちゃうんですけど。僕ずっとヒガンで最後に左右の手に血が付いてるのが気になってまして。これ聖痕じゃね?ってずっと思ってたんですよ。いや吐血した時に付いただけかもしれないけど。

駈込み訴えの作中では『大基本はユダの、キリストへの激重感情』で話は進んでいくんだけど、何度も何度もキリストに対して裏切らないで改心しよう改心しようって思い返すんですよ。ユダが会計係をしていたことも考えると唐突に『金だって自分で出すし側に居させて』ってのが歌詞に入るのも納得できるし。

(駈込み訴えの中では「あいつ誰にでも施しとか言いながらパンあげてるけど裏では俺がやりくりしたり供物とかめっちゃ管理してるから本当は俺が居ないと何も出来ないんだよ」って愚痴ったりしてる)(ユダは土地持ちなので(ユダが「もう伝道師としてじゃなくのんびり暮らしてさぁ……うちには桃の畠があるし俺の実家でキリストとマリヤ(聖母マリアの方)と移住して俺とのんびり暮らそうよぉ……」ってもはやプロポーズ(違う)(召使として働くからさーって言ってる)してるのに対してキリストは「お前がよくても他の弟子はそんな生活できないからさ」って断ってる)

駈込み訴えではユダはキリストが死ぬ事を先に知っていて、そも商人の話を聞く前からキリストが落ちぶれている(ように見てしまう)事をすごく嘆きながらもとにかく激重感情で離れられないんですよ。それがこう……『まるで死んだ真夏の廃魚』『しかし美しいだろう』にかかってるのかなって……。

廃魚≒肺魚(として考える)(廃魚で検索しても出てこん)(死んだ魚のことを単に廃魚と言っている可能性はある)って肺で呼吸する魚なんですよね(エラもあるけど基本的に成体は肺呼吸らしい)この辺り考えるとなんかまるで『所詮お前も人間』って感じしませんか。ちなみに野生の肺魚は夏は本来はそんな腐って死んだりとかで死なないらしく(穴に潜って夏眠に入る)じゃあ死んだ真夏の廃魚って何なんだろうって考えると(まあ環境とか事故は置いといて)①そも肺魚って夏眠時以外には捕食されやすいらしい(水面に顔を出すので捕食されやすいらしい)②夏眠時だと人間に食われやすいらしい。丸まって固まってるから拾って水に戻して食ったりするのに手軽なんだと。③飼育されていて死ぬ。のいずれかなんですよ。まあ他の病気とか寿命を考えなければね。夏眠と目覚めを繰り返すのもキリストの復活を示唆していると思いませんか?

そんないつ死ぬかわからんただの人間だけど、ユダはこの偉ぶった自称神の子をただただ人間として愛してるんですよ。(ユダはキリストの弟子ではあるしキリストを教師として慕っていたけど、他の弟子と違ってキリストのことを主ではなく『ラビ(先生)』と呼んでいたらしいし、キリストもユダのことを最後に『友』と呼んだらしい。駈込み訴えにおいても「俺あいつと年齢的には2ヶ月しか変わらん同じ年なんだわ!!」って冒頭キレてる)

『君にゃわからないだろう』っていうのはその辺りでキリストを神の子として崇めているような弟子や民草には理解出来ないだろうね!俺はこいつの人間的な部分の尊さを知っているけど!っていうマウントをずーっと必死に取ってる感じ。必死に取ってる。

ペテロやヤコブたちは、ただ、あなたについて歩いて、何かいいこともあるかと、そればかりを考えているのです。けれども、私だけは知っています。あなたについて歩いたって、なんの得するところも無いということを知っています。

太宰治『駈込み訴え』より

『両手を重ね合ったってなにもないよ』もそう。だってキリストは人間なので。奇跡でも何でもなくパンはめちゃくちゃ自分が駆け回って調達しているから無限に出せるわけでもない。そのくせ偉そーにしてさ!ってずっと眺めている。そんな感じ。ユダはキリストがどれだけただの人間で勘違いヤロウで、でもずっと愛して着いていこうと全てを捧げて過ごしていたんです。毎回毎回嫉妬したり「もうちょっとやさしくしてくれてもいいじゃーん!」って思ってるけど。でもユダは後方腕組み彼氏面を崩さずにいたんです。キリストにはばっちり見破られてたけど。でもキリストはキリストで「寂しい時に寂しい顔なんかするんじゃないよ。むしろ寂しい時でも変わらないような顔して生きるべきだ。父なる神を信仰するならね」って切り捨てちゃう。キリストはニブチンギャルゲ主人公なのかもしれない。(不敬)

てなると今度は『あ そんな野暮なお召し物で奴の気を引くつもりかい』はいつの話なのかなってなって来るんですけど、これはユダがキレ散らかし過ぎてパニックになってるシーンで、マリヤ(マルタの妹の方)がキリストに香油をぶちまけるシーンかなって。ユダがマリヤに「はぁ〜〜〜???バカなの!!?その香油いくらすると思ってんの!?」ってキレたらキリストがそんなユダをめちゃくちゃ叱るんですよ。どういう事をしようとしてるのかマリヤは理解して最大限のねぎらいをしてるんだぞって。それでユダが何を思ったのかって「お前百姓女に恋でもしたのか!!?こんな尽くしてる俺にはあんなに冷たいのに!!?それでも付き従ってるのに!!?そりゃ美人だけど!!!!!」ってキレるんですよ。でもその直前までの心境としては『あの人(キリスト)はこれまで、どんなに女に好かれても、いつでも美しく、水のように静かであった。いささかも取り乱すことが無かったのだ。』という評価なんです。それが崩されたのもキリストの醜態だと感じているんですよね。

そうやってずーっと繰り返している『だから愛してくれなくったって 気にしないよ』はこの激重感情についてのユダの強がりなんだと思えて来るんですよ。これまでキリストに何度も何度も冷たくされていて(本人がそう思っているだけでキリスト自体はユダをどう思っているかは前述の通り『可哀想な運命に置かれた友人』だと思っているし、そんなつらい命運を託すぐらいには信頼している)でも何度も懊悩しながらもやっぱり殺せなかった。それが、その運命の時になって裏切りをした時に『だから愛してくれなくったって に変わる。これはもう決心を固めた時のユダであり、キリストを殺すユダになったことの表れなのかなって思うなどしたんです。完全に狂ってしまってピイチクピイチク幻聴が聞こえ始めて、支離滅裂な事を言っている時のユダなんですよ。

旦那さま、お仕度は出来ましたか。ああ楽しい。いい気持。今夜は私にとっても最後の夜だ。旦那さま、旦那さま、今夜これから私とあの人と立派に肩を接して立ち並ぶ光景を、よく見て置いて下さいまし。私は今夜あの人と、ちゃんと肩を並べて立ってみせます。あの人を怖れることは無いんだ。卑下することは無いんだ。私はあの人と同じ年だ。同じ、すぐれた若いものだ。ああ、小鳥の声が、うるさい。耳についてうるさい。どうして、こんなに小鳥が騒ぎまわっているのだろう。ピイチクピイチク、何を騒いでいるのでしょう。

太宰治『駈込み訴え』より

銀三十で、あいつは売られる。私は、ちっとも泣いてやしない。私は、あの人を愛していない。はじめから、みじんも愛していなかった。はい、旦那さま。私は嘘ばかり申し上げました。私は、金が欲しさにあの人について歩いていたのです。おお、それにちがい無い。

太宰治『人間失格』より

怖くないよといいながらボロボロに泣いているイラストに、それでも本当にめちゃくちゃに愛していて、自分を騙せなくてそのまま『またねアンタは光なんだ 私にとっていつも 馬鹿みたいな話だ』と終わる。駈込み訴えでも最後は報奨金を受け取るけど、最初はマジギレ(しかも国王に対して)するんですよ。「キリストを愛していてこのまま醜態を晒す前に俺が殺さないといけないから裏切っただけで、金欲しさで裏切ったんじゃない!ふざけんな!引っ込めろカス!」ってひとしきりキレた後に「いや、そういうことにしておこう。俺なんかに金で売られたんだ。俺は愛していたわけなんかじゃない。俺がただ金欲しさに売っただけなんだ。その通りに違いない。俺は愛してなんかいなかった」って自分に言い聞かせて受け取るんです。でもそんな事しても本人も自分の中でのキリストへの愛は絶対に消えないしそれを理解しているから『馬鹿みたいな話だ』で終わっちゃうんです。なんかそんな感じの話なのかなって思いながら聴いてました。

そして『ひとつ見つけた幸福が全て救うはずだし』は何なのか。この流れで僕の中の答えは「他のヤツらが自己愛のためにキリストを崇めているのと違って、自分は自分の全て(それは実家も仲間もプライドも、キリストですら犠牲にして)キリストへの愛だけを貫いたという事実」なのかなって。皮肉なことにその幸福は一番最初の方の『何なら君の最終話の最後のページに僕は立ちたいんだ』になるんです。ユダの裏切りはキリストの最終話のページになったんです。

ユダはキリストを裏切った罪悪感に耐えきれずにこの後首を吊ったとか、身投げをしてぐちゃぐちゃになったとか言われていますね。お金も使ったりせず返そうとしたり、宮殿に投げ捨てたりしたとかで、キリストへの裏切り、キリストの試練としての概念、サタンの化身(これは聖書によって話が分かれるらしいですね。というか、聖書読んだことがないから全体的にふわっと解釈ですよこんなん)という、『キリストを神の子と証明する人物』として人生を終えたユダのヒガン悲願の話なのかなって……ずっと考えている……。

多分こういう解釈じゃないよね……また深読みオタクが謎考察してる……。

ほしリス。

次回予告。

他に依頼も感想文もあるんだよぉ!!!(歌詞考察ばっかり書いてもなとTwitterに軽く流すだけのつもりが、ヒガンはもちろん駈込み訴えが好きすぎるのも相まって4000字越えたからこっちに載せた)

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