お母さんへ:どうしてとごめんねとありがとうを込めて。

母との関係が壊滅的になってしまってもうすぐ1年が経とうとしています。ちょうど去年の今頃だったから。
自分の母親とうまくいかなくなるって、元々色々抱えてはいたものの、それなりに世話を焼いてみたり、焼かれてみたり。どちらかというと近すぎる関係を築いていたので、週1で行っていた実家にもいかなくなって、もう2年近くになるのかもしれないな・・・。病気なってからはいけてなかったから。今日の話はちょっと重たい話です。読んで不安定になってしまいそうな人は、どうかスルーしてください。

私に絶望が訪れた春

自分がメンタルダウンしてしんどかった時に、春には仕事を休むことも、今回はとても症状が重たく。また、職場でこれまであったセクハラについても、同じ女性だからわかってもらえるかと思って母親には告白していました。でも、言われたのは「でも今まで何とか頑張ってこれたんだから、なんとかなるんじゃないの?」とても心配そうな私を労わるような口調で。

母はきっとうまく伝えられないだけなんだ、状況が理解できないだけなんだってその時は飲み込んで、あまり言い返さないように我慢するのが精一杯で。でも、絶望した。そんな春でした。
文章を把握できなくなった私は、字も読めないからということも伝えていたんだけど、辞めたいことを伝えると「辞めるのは仕方ないけど、辞めるなら少し休んで元気になったら死ぬ気で勉強して資格とらないと」と言われて。私はきっとそんな風に生きていくべきで、そして、お金に困っているところを母親に見せてはいけないんだなってそう思った。
もう考える能力も残ってなかった。いったい何を考えて、いったいこれからどうやって、どうして私はメンタルダウンなんかして、どうしてどうして、どうしようってそんな風に喫茶店で思いながら、それをどこか空中から眺めていた。私、大変だなぁって。だから泣かずに済んだ。あの頃はもう感情なんて自分の中になくて、空中に浮いてる私がずっと私を冷静でいさせてくれていたのかもしれない。よくもわるくも。

疲れ果てていた夏

私は、そこから条件反射的に両親に連絡を取らなくなった。ちょっと距離を置こうとかそんなことを考えられたわけではなくて、ただもう疲れていて。夫以外の誰とも会いたくなくて、確か両親に知られてしまうと私の自宅に押し掛けてくるかもしれないから、長期の休みが確実になって、もういい加減ばれてしまうかもしれないというときに話した気がする。そこからは夫に頼りっきりで生活してて、買い物も一人で行けないくらいにパニックが酷くなっていて。どこへ行くのも夫についてきてもらって。本当に文句も言わず私の闘病生活に付き合ってくれた夫には感謝しかない。

たびたび母から電話はきていたけど、電話口ではいつもくちゃくちゃと音を立てながら何か食べていて、「なにしてるの?どっかいく?」とかって言っていて。食べながらの電話もイヤで、その音もイヤで、なんだか私はサボってて足に使われるようなそんな気分になってしまって、まるで心配されてない気持ちになって、母親からの電話はイライラしがちだった。

父へのバースデーコールが出来なかった

そんな日々が続いていて、秋になり、父の誕生日。連絡をしないと母親からお叱りの電話が来るというそんな誕生日なんだけど、私は話す元気がなくて、話したら怒鳴ってしまいそうだなと感じていて、その日は電話を控えた。

こと切れた私

翌日。案の定病院の帰り道母から入電。「昨日どうして電話してこなかったの?お父さん心配してたわよ。あんたもいい加減そういうところ大人になりなさいよ。いい歳して・・・気持ちってものがないの?」と、一気にまくしたてられて。
私の何かが。
最後までつなぎとめていた何かが切れてしまった。
初めは、冷静に・冷静にと自分に言い聞かせて頑張っていたけれど。何かが切れていた私はもう我慢できなくて、小学生から大人になるまで積年の母親からの悪意のない酷い言葉たちが高速回転で私の頭の中を駆け回り、それに合わせるかのように私の口からはこれまで我慢してきた数々の我慢を言葉に替えて母親に浴びせていた。
「あのときあなたはこういった」から始まって、「私がどんな思いだったか、気持ち?気持ちなら散々殺してあなたの思う通りに行動してきただろう!!!」といった趣旨のことを、ひとつひとつ話していった。「これだけ我慢してきたのに、今だって病気で連絡できないのに、せめてそれを知った今くらいそんな状態だったら仕方ないとか思わないの?」って聞いたら「だって知らなかったから無理でしょ。それにお父さんの誕生日は年に1回しかないんだから、電話してこなかったあなたが悪い」と言われ、私は一気に脳内から身体の端々までフリーズしてしまった。

何を話してもだめなんだ
この人が思った通りになっていないと私は誤っていて、その間違いについて謝らなければうまくいかないんだな

それを悟った私はもう、何の気力もなく・・・。
親にも理解してもらえない私って一体どういう存在なんだろうかと絶望した。私は存在してていいのかな、私はどうしてここにいるんだろう。
そんな風に思ってしまった。

私のことを受け容れられなくなった母

母は母で私に怒鳴られたのがショックだったらしく、パニックになったと言って私と話すときは苦虫を嚙み潰したような顔をするようになり、あからさまに私を避けるようになりました。そこから一度は母親とあったけど、まともにしゃべってくれないのプラス私のことは考えたくない、顔もまともに見れないような対応をされたので、もうお互いにあまり距離を縮めない方が賢明なのかもと私もそこでようやく腹が決まりました。

私の決断

気持ちの上で母とは縁を切ろうって。

今はあきらめもついてはきたけど、はじめはすごく悲しくて。
私はどんなことを言われても、どんなことをされても我慢して、母親の望むようにやってきてたのに、早く死にたいとかいう母親を支えてきたつもりだったのに、私の存在って大したことなかったんだな~とか、傷つけて申し訳なかったなと思う反面、私には酷い言葉を散々かけてきたのに、自分はそれでつらいと言って被害者になるんだなって、私にどれだけの言葉を投げつけてきたと思ってるんだろうとか・・・

すっごいカオスな状態に陥ってもう考えるのが嫌になって・・・。

そのあとの自己否定は酷くて、泣きっぱなしで1週間くらいすごしていたかもしれません。でも、他人だから。親といえども他人なんだから、これ以上もう私にできることといえば。母親の傷が癒えて何かアクションがあるのを待つか、自分から何か働きかけるか、くらいしか思い浮かばないけど。
もうこれ以上私に、母に働きかける元気も気持ちもなかなか奮い立たないし、母自体も私に対しては拒絶反応なわけでそこを無理強いすることもできないし、父も母自体とは長いけど、人の痛みを理解するのがなかなか難しいかもしれないということを聞かせてくれ、総合的に判断して私は母の動きを待つことにしました。その時にまた考えればいいくらいの気持ちで割り切ろうと・・・。

複雑な子供心

自分のことを親不孝だと思ったりもするけど、でも、今は自分を大切にしたいっていう気持ちを大事にしたいから。それに夫もちゃんと私自身の気持ちや状況を理解してくれたうえで私の意見を尊重してくれるので、夫婦2人、一緒に乗り越えていくスタンスは整っているかなと思っています。

本当はもっとうまくやりたかったけど、私にはこれが限界で、その時できる精一杯が我慢だったのであって、我慢したこと自体は間違いだったのかもしれないけど、私のできる精一杯は頑張ったから、過去はもう良しとしようと。
そして、相手は母親なので。まさかここまで傷付けてしまうなんて思ってもいなかったから申し訳なかったけど、最後に勉強させてもらったと思うことにしました。

自分にも相手にも優しくあるために

これからは、病気の時そういう苦しくなってしまうような連絡が来たときは、電話をとらないという選択が出来るようになるといいな・・・。自分が無理をしないことが相手を労わることに繋がることもあるんですね。
これからは自分が冷静でいられるように、自分を労わって相手も労われる努力をしていけたらなぁと思うのです。

また、母にはもう理解を求められないことがわかったので、そのつもりで接していかないといけない人もいるんだということを、私自身も肝に銘じなければいけないなぁと思いました。
理解を求めずに付き合っていく方法も自分のなかで構築していけたらいいな。なっかなか難しそうですが・・・。

これからも人生は続くので。何とかこれからは少しでもよりよく生きていきたいから。苦しい勉強だった。おかあさんとの確執。
最後に傷付けるようなことになってごめんね、それが言えなかったのは後悔してるから、せめてここで。ごめんねを母に。
でも、私は私で。母の機嫌を窺うのはもうやめる。教えてくれてありがと。
親の望みはもう叶えられないけど。私の人生だから、なんとかここからでも、自分の思いと意思と足で前へ・・・。
それがいつか母に報いることになると思いたい。
ごめんねとありがとうを込めて。

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