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【モチベーション】孤独と「ひとり」は別物であり、そして孤独とはぶれずに理想を追い求める崇高な趣味。だから安心して向き合おう。

もう ひとりはこわくない。


こんにちは。りこです。

きょうは、インスタでご質問頂いた「孤独」と「ひとり」の概念についてわたしの個人的な考えをまとめました。


・毎日孤独感に苛まれている
・誰かと一緒にいてもなぜか心が寂しい
・孤独や一人との向き合い方がわからない
・自分は一生一人なんだと思ってしまう
・どうせ自分は誰かに愛されないと思っている

こんな子たちの悩みの解決になれば幸いです。

この記事を読んだら…


・孤独との向き合い方がわかる
・悩んでるのは自分だけじゃなかったんだと思える
・一人の時間に対する概念が変わる
・誰かも自分も愛せるようになる
・ひとりでいても寂しくなくなる

きっとひとつでも当てはまることでしょう。

(こちらのnoteはわたしが以前有料noteで刊行していたもののリライト版となります。文体や表現などはあえて昔のままにしてあります)



「孤独の対義語って何?」


旧知の友人と飲んでいて、ふと出た疑問。

そのときはお酒もいい感じに進み、類義語と対義語についてのお話をしていました。

例えば「生」の類義語は「在」、対義語は「死」だとか。

「永遠」の類義語は「永久」、対義語は「一瞬」。

お酒の席なので、それが正解かどうかなんて関係なく自分の思いつく単語を発してはそれはどうだのしょうもない反論をしてみたり。

その中で、ふと孤独というキーワードが出た際。

「孤独の類義語は孤立、単独とかいろいろあるけど、じゃあ対義語は?」

「群れるとか、連帯、連携とかじゃないの?」

「それは孤立の対義語じゃん。孤独ってただ単にひとりになることじゃなくない?」

「そう?じゃあそもそも孤独の定義って何?

ひとりになること。

ひとりで生きること。

その意味を、考えるきっかけとなりました。


人それぞれの「孤独」。


そもそも人の考える「孤独」とは。

それから様々な人に「自分にとっての孤独って何?」といった疑問を投げかけてみました。

ある人は「絶望」と言いました。

ある人は「ぶれないこと」と言いました。

ある人は「寂しさ」と言いました。

「受け入れてもらえないこと」「好きな人と別れたとき」「大切な人がいなくなったとき」「友達とバイバイしたあと」…

孤独という概念一つにとっても、その人が生きてきた軌跡や辛かったこと、プライドなどが凝縮されてとても感慨深さがありました。

でもやっぱり、悲しかったり誰かがいなくなったり、そういった印象を持っている方々が多かったかな。

では、孤独は悲しいもの?


昔はひとりが怖かった。


わたしは昔から、コミュ障で人がとても苦手でした。

挨拶のタイミングすらわからなくて、教室のすみっこで泣いたことがあるくらい。

人と話したいのに、一緒にいたいのに嫌われるのが怖くて臆病で、何か発言するたびにこの言葉は大丈夫だったかな、誰か傷ついたりしてないかなって、恐怖におびえていました。

それなのに、人一倍寂しがり屋で、常に誰かがいないと不安でしょうがありませんでした。

こんなんじゃ生きていけない、どうしようって悩んで。高校生の頃からは自分なりに色々と試行錯誤をしてきました。

お酒を飲みました。

少し気が大きくなって、細かいことを気にせず話すことができたから。

繁華街へ出かけました。

きっとわたしを受け入れてくれる誰かがいると期待したから。

色々な薬に手を出しました。

この辛さを誰かにわかってほしかったから。

でも、何をしても孤独でした。

満たされるのは、その時だけでした。

何をしても、満たされるのはその時だけで。

夢から醒めればそこにはまた何も変わらない孤独が横たわっていました。

それどころか、迷惑をかけた友達は去っていき仕事はなくなり社会不適合者のレッテルを貼られますます自分の首を絞めるだけでした。

でもそれでも一人が辛すぎて、誰にも受け入れられてもらえない、わかってもらえない自分が、息ができなくなるくらい辛かった。

そのときの私にとって孤独は「逃れることのできない、生きることができないくらい辛いもの」でした。


結局、誰も自分の孤独はわかってくれない。


どんなにもがいても、結局自分の孤独を埋めてくれる人なんていない。

段々と、自分の思う孤独や辛さ、寂しさはもう自分で処理するしかないと、ただ我慢して押し殺すものが美徳なんだと思うようになりました。

その方が誰にも迷惑をかけないから。

これ以上誰にも嫌われないから。


でも結局、それって

「自分の弱さを孤独という概念で言い訳しているだけ」

そして

「自分の孤独の概念を相手に押し付けているだけ」

つまり「自分の中身のなさを、他人を使って誤魔化していた」んです。

確かに、孤独って自分以外の誰かがいるから感じることのできる気持ちであって、完全に一人では「孤」という概念は成り立ちません。

考えてみたら、こんな生まれて生かされて物理的にも精神的にも繋がり、繋がることのできる時代に自分には誰もいないだなんて、誰かがいる人間の贅沢であることに気づいた時があったのです。

でもだからといって、それと自分の中身のなさを人に押し付けるというナンセンスな混同をしていいといった話ではありません。

そんなこと他人に求めても、わかってくれるはずがありません。

単にわかってくれたという錯覚で、一時的に自分の穴を埋めていただけだから。

それに気づいたとき、わたしはこのぽっかりした穴はもう一生埋められないものなんだと思いました。

誰に求めても、何をしても満たされることのない大きな闇だと思っていたから。

この生きづらさを抱えたまま、生きていくんだろうって覚悟をしました。

コミュ障で生まれた自分が悪いんだ。

こんな中身のない人間、誰も受け入れてくれないんだって。

しかし。

そこからしばらくしてわたしの「孤独」の概念は少しずつ変わっていきました。

「寂しさ」から「美しさ」へ。


自分の中身を埋めるのは自分。


宅建から始まった勉強生活、そしてダイエットを突き詰めることはわたしにとって大きな転機となりました。

自分の為に努力する。

他人に受け入れられるという視点ではなく、まず自分の中身を充実させる。

自分に目を向け、自分を追い求める。

勉強を始めたら、人と会う時間がなくなりました。

それはそれで、一種の孤独だったけど。

ただその孤独は今迄と違い、物理的に「ひとり」なだけでそこに寂しさはありませんでした。

目標があって、選んだ「ひとり」だったから。

ダイエットや美容も、人といると食べたり飲んだりしてしまうので細く美しくなりたいという目標を持った時にそれをセーブするよう心掛けました。

誰かといなくては不安な自分は、段々と消えてゆきました。

ひとりじゃないとできないこと。

自分と向き合って、自分の中身を充実させること。

そこに他人はいませんでした。

唯一無二の自分の中身を満たすその手段が「ひとり」であるということによって孤独の概念が変わってゆきました。

判断基準が、人から受け入れられるかではなく自分がその選択を受け入れられるかどうかになることによって怖さと後悔がなくなりました。

自分の意志で動くことによって、ダイエットの研究に専念することができました。

勉強時間をたっぷり確保することができました。

「ひとり」と「孤独」。

どんなに仲が良くても、どんなにわかりあえても、自分と一生一緒にいて一緒に生まれて死ぬのは自分だけ。

でもそれは「孤独」じゃない。

ただここに存在する自分が「ひとり」なだけで、決して「寂しい」わけじゃないということを知りました。

誰かや何かに答えや救いを求めるのはもうやめました。

わかってもらいたいは、押し付けるんじゃない。

自分で形にしたものに、共感を得られること。

それが「人に受け入れられること」でした。

誰かに孤独を押し付けていたときは、誰もいなくなりました。

ひとりで頑張ったら、誰かがわかってくれるようになりました。

「孤独」は、絶望ではない。

何かを生み出すことのできる人間が愛する、贅沢な趣味ということを知りました。

そう思うことによって、わたしはむしろ中途半端な人間や付き合いに時間を割かなくなり、結果的にさらに「自分の価値」が上がったようにも思えます。


孤独とは、自分を愛すること。


やっぱり、そうはいっても何もかもひとりでこなすというのはとても怖いことだと思います。

最近は、寂しさではなく先の見えない不安や知らない世界という大きな海にひとりで漕ぎ出すことがとても怖かったです。

でも「ひとり」自体はもう怖くない。

わたしは孤独じゃないから。

あんなに怖かった、ひとりで生きることは今はこんなに美しく思えます。

こんなに人と繋がることのできる時代。

毎日新しい情報、新しいコンテンツや人間が溢れてくる世の中であえて孤独を選ぶこと。

それは何ものにも流されず、自分と向き合い、自分を愛し、自分の足で価値を作っていくという現代においての崇高な趣味だと思います。

だからもう大丈夫、ひとりは怖くない。


ぶれずに地に足をつけ、孤独を愛し、自分だけの価値を作っていく。

「きれいであたまよくなる」「自分の力で自由に生きる」という

自分の理想をただ追求する為だけに努力する。

それもわたしの中での「美しさ」なのかもしれません。


P.S.孤独についての一節。


人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。(仏説無量寿経より抜粋)

(補足しておきますがわたしは全くの無宗教であり、特定の思想や流派を支持することはありません。)

浄土真宗の経典の一節です。意訳するとこんな感じみたいです。

「人は皆、世間の情にとらわれながら暮らしているけれど
結局は、独りで生まれ、独りで死に、独りで来て、独りで去るのである
人は皆、それぞれの行いによって、苦しい世界や楽しい世界に生まれて行く
全て自分自身がそれを受けて行くだけであり、誰も代わってくれる者はいない」(仏説無量寿経の中の言葉から)

孤独についてとても深く説かれている言葉だなって思います。ご興味のある方はぜひ。


「りこ」って何者?


モチベーションジャンルの記事はこちらもご参考になれば幸いです。


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