見出し画像

理解と知識の土台となること

これまで作ってきた内容は、それぞれコンセプトがあった。たとえば、パズル&クイズなら、「答えが必ずでるはずのものをちゃんと答えること」であった。そのほか、読書会は、小説以外のものでやや時系列を欠いても要点をまとめる、ことであった。
このようなコンセプトを元にほとんどの仕組は出来上がっている。
ところで、今回作ることになったのが、「憧憬」(ヒトリゴト)である。
このドウケイなるものはどのようなコンセプトで作られたのであろうか、というと、ヒトに話しかけるように情景を言語化するということであった。このことはやってみて、成功しているといえるだろう。
また、これとは別に、このことを通してわかってきたのが、「好奇心を走らせることができる」ということである。物理学でもこのようなことがある。それは慣性の法則である。
慣性の法則では、摩擦やそうした抵抗なるものがない状況において、どこまでもその物体は動き続けるという運動の第一法則である。
この物理学においても言えることがこのドウケイでもいえることがわかった、ということだ
それは、「抵抗がなければ物体は動き続ける」ということと、「抵抗がなければ好奇心をどこまでも走らせられる」というのが同じであるということだ。ここでいう抵抗とは、摩擦などの抵抗がない状況のことである。
普段、ジャーナリングがどこまでも続けられるように感じることができるのも、そこに抵抗がないからである。すなわち、一切合切「何を書いても良い」という縛りのないことが抵抗をなくし、障壁を取っ払い、何でもかんでも好きなように書くことができる、それゆえに、抵抗がない状況を作り出しているということだ。
この制約の無さこそが抵抗の無さなのである。
そして憧憬(ヒトリゴト)においてもそれが成り立つということに気がついた、というわけだ。
 このような抵抗がある状況とない状況がなぜ起こりうるのか?今回はそれについて考えてみた。

 「抵抗というある種の偏見がなぜ起こるのか」

なんでも書いてもいいという制約の無さは抵抗の無さであった。また、憧憬もまた、ノイズ入りのそのままの言葉である。
そして、慣性の法則において、抵抗がなければ物体は動き続けるということ。
 この共通点は、まさに「抵抗」(制約のないノイズのある状況)であることがわかる。
では、抵抗がない状況で何を動かし続けることが大切なのか?
 それは憧憬の場合、好奇心である。物体の場合は、力であり、ジャーナリングの場合は、思考であることがわかる。
 ここで重要なのがノイズが入っていることであり、それはノイズキャンセリングされていない状態での思考や力、好奇心であることだ。
 また、思考や、好奇心、力は、常に何らかの目的を果たすための重要なエネルギーでもあると言える。なぜなら、好奇心のないものは知りらないし、力がなければ物体は動かないし、思考することがなければ、何もわからないからである。
 すなわち、思考はわかることを目的にし、好奇心は、知ることを目的とし、最後に力は動くことをその目的にしている、ということだ。
これらが今回わかったことである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?