美と対称性
だいぶ賢くなってきた気もするのですがさらに賢くなるためにはどうすればいいのか?それを考えていました。すると次のような解答に至りました。
「他人から見ればアホ、自分から見れば賢い FOR型」
FOR型なるものは最初はどうあれどの過程を経たとしても統計的に”他人から見ればアホにみられ、自分から見たら賢い”というものに収束する。
FOR型なるものは常にそもそも正解はないのであるのに解答がでてしまうことある。これは1対多の問題を示している。
論理学的にはa>=0であること。
「他人から見れば賢い、自分から見ればアホ TO型」
TO型なるものは最初はどうあれどの過程を経たとしても統計的に”他人から見れば賢こくみられ、自分から見ればアホ”というものに収束する。
TO型なるものは常に正解がありそれに沿って正しいか、正しくないのかがはじき出される。これは1対1の問題を示している。
論理学的にはあb<=0であること。
「手順が間違っているという問題」
詰将棋をやっているとありがちなのが⑴⑵⑶という手順があり⑶があってることがわかるのに⑴⑵⑶でなくて、⑵⑴⑶である順であったということがある。このような最終的な解答が合っているにもかかわらず、手順が間違っていたという問題がある。
「より早く目的を遂行することを目標にするTO型」
TO型の特徴は、具体的に課題をより早く解決する能力を問うということである。つまり、より早く、ある課題を解決するこの3要素は不可欠である課題解決能力のことを言う。
この場合の評価基準につぎのようなものがある。
⑴遅く解決することは罪、早く解決することは功
⑵課題は高尚であるべき
⑶解決は当然であるべき
このような評価基準が見受けられるのがその特徴である。
「義務で迷うのはなぜか」
ところでひとはなぜ迷うのか?
⑴他によいものはないか探っているから
⑵即決の訓練が足りていないから
⑶疑ってかかっており信じていないから
⑷習慣化されていないから
最低これだけ挙げられるだろう。
「嘘と方便」
⑴遅い方がええもんできるという嘘
⑵早い方が確実でええもんであるという嘘
目的を達成するためにはこのような嘘と方便を使い分ける必要がある。
「弁護としての方便と嘘」
実際問題さきほどの2つの嘘は使い分けられていないといけない。
⑴正解しているのに不満である
⑵不正解であるのに正解していると思っている
↓
⑴現実感のなさとその意味をしっかりと考えていない
⑵誤った思考
「理論点(高尚な目的)には」
理論点とは物事の頂点である。つまり、目的を果たしたということ。
⑴理論点が本質的かつ実質的なナカミを問うている
⑵理論点がナカミを問うていない
この2つの問題がある。
↓
⑴理論点を求めているときcloseして左右し左右されない 寄せ編
⑵理論点を持つときopenに左右せず左右される 凌ぎ編
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?