クーちゃんのイッツ・ア・スモールワールド

あらすじ
主人公は小学五年生の海野 空(うみのそら)。周りからはクーと呼ばれている。スポーツ万能で勉強も得意。でもそんなところは全然見せず、まわりを笑わせるのが好きな子。クーちゃんが五年生に進級した四月から一年間の物語。
 小学生には当たり前のような友だち関係を、主人公のクーは悩みながら乗り越えていく。おかしくも必死に毎日を楽しもうとする姿や、自分自身の成長の助けにしていこうとするエピソードが溢れている。そこには小学生の世界の中で生きていく一人の人間の姿がある。
  主人公「クーちゃん」の小さくても貴重な世界、イッツアスモールワールドな世界を覗いてみませんか。

目次
1,春
2,夏
3,秋
4,一年前の出来事
5,冬
6,あたらしい春

【四月七日(月)
 今ごろ、運動場では始業式をやっているころだな。毎年スタートでつまづいてしまうんだよなぁ。誰と同じクラスなんだろう。担任の先生は誰かな?
 天井の木目は毎年変わんないなあ。でもなぜか毎年違う生き物に見えてくるから不思議だよな。きっと新しい担任の先生が午後に訪ねてきてくれるだろう。しっかりあいさつしよう。早く学校に行けますように。】

               春

 私は、毎年新学期がスタートしてしばらくたった一週間ほどなぜだか体調を崩すのだった。新学期の一週間を除けば活動的でまわりを笑わせることが得意だったのだけど。そんな私でも一週間も欠席した後の登校では、教室に入り友だちに声をかけてもらうまでの長い時間は耐え難いものだ。その時間をクリアすると今までの欠席が嘘のように友だちとの距離が縮んでいく。
 五年生になった今年も例にもれず、私は一週間遅れの登校となった。
「クーちゃん。久しぶり!風邪治った?」
「うん。治ったみたいだよ。」
「なんだよ。治ったみたいッてさ。」
まわりの友だちも腫物がとれたような安心して話しかけてくれる心地よさをこの瞬間味わうのだ。
「もうさ、こんなに顔がぼこぼこに腫れるくらい蕁麻疹が出てさ、まいったよ。」
少し大げさに休みの間の状況を説明しながら和気あいあい感を出そうとしているとき、
「きもちわっる!まさかそれってうつらないよね。
ハイ出ました!いつも自分が中心でないと納得しないれんちゃんが割り込んでくる。
「うつるわけないよ。ただクーちゃんは風邪をひいて蕁麻疹が出ただけだよ。」
まじめで優しいもとちゃんがひと言。
「ならいいけどね。」
れんちゃんももとちゃんの優しさの前には引き下がるしかない。でも、こういう時って笑わそうと思っていった本人が置いてけぼりを食らっちゃうんだよね。今回もまいったな。それにしてもれんちゃんの話が止まらない。
「そういえばさ、クーちゃん。私たちの担任の先生、ケバ子だよ。すっごいお化粧が濃いんだよ。はあ、二組の先生がよかったってはなししてるんだよね~。新しく来たんだけどかっこいい先生なんだよ。ねえ~えまちゃん。」
甘えたような言い方。今年のれんちゃんの一押し友だちはえまちゃんに決まったんだ。
「あっえまちゃん。はじめて組になるね。海野 空だよ。空だけどクーって呼ばれているんだ。よろしくね。」
「えまちゃん、クーちゃんっておもしろくて一緒にいると笑いすぎてお腹痛くなるから気を付けてね。」
れんちゃんはハードルをあげる紹介をしてくれた。
「こう見えてクーちゃんは成績も優秀なんだよね~。」
もとちゃん、その紹介は嫌われるパターンありだからやめてほしいなあ。
「スポーツ万能のクーちゃんだよね。よろしくね。」
れんちゃんにピタッとくっついたえまちゃんは笑っていなかった。

【四月十五日(月)
《はじめての登校!わたしもやっと五年生だ》
 五年生になって、やっと今日がはじめての登校でした。
みんなが笑って声をかけてくれたことがうれしかったです。
 クラスはとても楽しそうな人が多くて、この一年が楽しみになりました。先生はちょっときびしそうだけど高学年だからしかたないなあと思いました。よろしくお願いします。
 一週間休んだので、明日からの勉強がんばりたいです。】

【四月十五日(月)
《はじめての登校!わたしもやっと五年生だ》
 五年生になって、今日やっと登校することができた。たった一週間でいくつかのグループができていた。そりゃそうだ。
 朝一番の声かけでどうにかリラックスできたかも。今年れんちゃんはえまちゃんと組むんだな。別にいいけどね。
 そうだなあ、今年の目標は・・・4年生の時のようなことは絶対しない!これだ!ちえさん、がんばるよ。ちえさんもがんばってね。
 そうそう、勉強がんばることも忘れないよ。よろしく!】

昨日の日記に書いてはみたものの、授業は私にお構いなしに進んでいる。わかるわけない。こういう時に先生は何も気にならないのだろうか。確かに私は低学年の頃には欠席が祟って一学期はわからないことが多かったけれど、五年生になった今では欠席中に一通り教科書に目を通すというくそまじめなことをやっていたので、二・三日するとどうにかついていくことができるようになる。それにしても、担任の先生のお化粧のにおいが勉強よりも気になる。それとも気になるのはお化粧のにおいだけなんだろうか。
勉強はめんどくさいけれど学校の行事は大好きだ。私が好きな行事ランキングはというと、
①ポートボール大会(バスケットボールのような競技で、男女別クラス対抗)
②運動会(学校の一大イベント。弁当も楽しみ)
③ミニ運動会(創立記念日にやる運動会で代表者だけのリレーがある)
④相撲大会(これも男女別代表者によるクラス対抗)
それもミニ運動会と相撲大会はクラス代表のみが出場する行事で、スポーツが苦手の子どもは出番がなく応援だけというものだったけれど、みんなが周りの人たちの特性を大いに認め、一目置くことができていたので子ども同士の中で学校行事などいたるところですみわけが出来上がっていた。
 一学期の行事はポートボール大会だ。この行事はクラス全員出場できる人気の行事で、4年生からしかない上級生の楽しみな行事でクラスから男女別に2チームずつがエントリーされる。8クラスあったので女子だけで16チームのトーナメント戦が繰り広げられることとなる。
 一チーム12人。基本前半と後半で選手交代していく。どのクラスも優勝を狙えるチームを一つは編成しぶつけてくる。ということはおのずともう一チームは運動が苦手な子たちだけで編成されるのだ。これって結構残酷だよね。でも、みんな優勝することが目標だから一個人の思いなんて関係ないと考えていた。優勝したら羨望のまなざしで見られるクラスの一員であるのだ。そのことを勝ち取りたいとみんなが思っていた。
「クーちゃんはうちのチームね。」
「クーちゃんは外せないよ。優勝には。」
何を隠そう私はスポーツなら全般できて、大げさに言うと花形的存在だった。学級の選抜は毎年当たり前。リレーだとスタートにアンカー。体は小っちゃかったのに相撲大会のメンバーにも毎年名前が上がった。だから、妬みや嫌味も多かった。でも、私はそういう類のものはいつも笑って誤魔化してきたのだった。
 案の定、この年もポートボール大会の優勝を狙うチームに入ったのだが、今年のチームはすごかった。4年生の時の優勝を争ったチームの主要メンバーがなぜか私のクラスに集中していたのだ。先生たちのクラス編成にスポーツのスターは関係なかったということだね。でも子どもたちには何はさておき重要なことなのに。
 今回のポートボール大会のグループ編成で、私は驚きの展開をまのあたりにする。それは私の中では大きな発見だったし、何かはまだわからないけれど、何か大きなきっかけになったように思う。
「このチームだと今年は優勝だー!。」
お道化て私が言ったとき、すかさずれんちゃんがいった。悪気もなくすんなりと・・・。
「ほんとだよ~。今年はクーちゃんはもう一つのチームでも大丈夫そうだよ。逆にそのほうがいいと思うよ。」 
「えっ?。」
「確かに!そのほうがあのチームも一回は勝てるんじゃない?ここはクーちゃんがいなくてもえまちゃんもいるしさ。」
雲行きが怪しくなってきた。私はこのチームで一緒に優勝したいんだよ。みんなはそう思わないの?私は表情に出さないように、でも必死でみんなに訴えた。伝わりにくい表情で。
「でも、クーちゃんがいたら優勝がもっと確実になるよ。」
もとちゃんの一言だった。『ありがとうーもとちゃん。』心でそう叫んだ時、
「でも、クーちゃんはどう思う?」
えまちゃんの投げかけに私は、そく答えた。
「確かに!もう一つのチームも勝てたら嬉しいんじゃない?みんながよかったらあのチームに移るよ。」
なんてこった。誰かこのお調子者を止めてくれー。このお調子者はたたみかけるように、 
「よしっ。みんな決勝で会おう。」
なわけない。会えるかっ。誰も止めない。先生は、
「へぇ~。みんなのチーム編成いいね。見直したよ。」
大人だったら教師だったら子どもの気持ちを読み取れよ。心の中で叫んでも時すでに遅しであった。
 Bチームのところに行くと、あんまり話をしたことのない子たちが戸惑った感じで私を見ていた。私は開口一番、
「初めてお話しする人もいるよねー。よろしくね。」
と、できるだけ明るく言った。すると、
「クーちゃん。本当にこのグループでいいの?今だったら先生に話して、あのグループに入ることできるよ。」
クラスの中で一位・二位を争う成績の良い清美さんが、みんなの前で私の気持ちを確かめるように聞いてきた。
「うん?どうして?私はこのグループで試合に出たいと思ってるよ。」
みんなは、どのような態度を取ればいいのかわからないようで、
「クーちゃん、私たちへたくそだよ。いいの?」
ぽっちゃりのひろ子さんが、何人かの気持ちを代弁するように言った。
「へたくそ上等じゃない?やってみなきゃわかんないよ。まずは一勝目指してやっていこうよ。それにさ、みんなが思っているほど私上手じゃないよ。たぶん。」
ちょっとおどけて笑いをとろうとすると、さえぎるように清美さんが、
「勝ち負け関係なく、みんながボールを触れるようにやっていこう。みんな、心配ないよ。失敗しても誰も文句言わないから。楽しくやろう。」
みんなは口々に「そうだよね。パスをとれなくても、ドリブル失敗しても大丈夫だよね。」と、私が来た時の緊張感がほぐれていくようだった。そうか・・・みんなはいつもそんなことを考えていたのか・・・。気づかなかったなぁ。そんなことを思いながらも、「ますます、このチームでは一勝は無理だなぁ」と心の中でちょっと残念な気持ちになった。勝てっこないと思っているれんちゃんたちを驚かせたかったのに・・・。
「いい?クーちゃん。このチームはこの作戦でいくよ。」
清美さんの声ではっとした私は、
「もちのろんすけ!キャプテン清美さんに敬礼!」
でもどうしてだろう。れんちゃんたちのチームから外れたことが、心の奥でホッとしたような気がした。いやいや気のせいだよね。今までずっと一緒にいた友だちだもの。そんなはずはない。今日の日記はなんて書こうかなあ。

【四月二十四日(水)
 今日の五校時の学級会は、来週にあるポートボール大会に向けてチーム分けをしました。
 クラスはぜったいに優勝がねらえるので、みんなでいっしょうけんめい考えてチーム分けをして、わたしはBチームに入りました。チームみんなで作戦をたてて勝てるようにがんばりたいと思います。わたしはドリブルやカットがとくいなのでがんばりたいです。
 ポートボール大会が楽しみです。それと、ぜったいに晴れますようにおねがいします。】

【四月二十四日(水)
《ポートボール大会のチームが決まったぜ》
 最悪な学級会。あれを話し合いっていうのかな?れんちゃんやもとちゃんって人の気持ち考えたことあるのかなぁ。まっそういう自分も考えきれないけどね!たくさんの人が意見いわないままっていうか、言えないか。はあ・・・。
 でも、今までの体育の時間、自分はひろ子さんたちのこと笑っていた。ひろ子さんはできなくても絶対に手を抜かない子だったよな。運動ができるって特別なことなのかな?ちょっと恥ずかしかった。
 よーし!Bグループでがんばるぞ~。Bグループよろしく。】

ポートボール大会当日。運動場には白線で四つのコートが作られ熱戦が繰り広げられた。私のクラスは予想通り優勝。もう一チームは一回戦敗退。素直にすごいすごいと拍手をするクラスメイトの中で、相も変わらずお道化て、
「決勝にいってたら、うちらが優勝だったのになあ。ホントに惜しい試合だったよ。」
「何言ってんだよ~。クーちゃんたちのチームって一回戦でしょ?」
「えっ?そうだったっけ?でも、いい試合だったよね。清美さん。たのしかったよね。清美さんて、身長も高いから大活躍だよ。」
「クーちゃんって、みんなを笑わせてばかりいるからお腹痛くなっちゃったよね。」
めずらしくひろ子さんが話に入ってきた。清美さんも笑って、
「ひろ子ちゃんが欽ちゃん走りでドリブルするからだよ~。」
「ほんとほんと、私が笑わせたってひどいよ~。一番面白かったのってひろ子さんだよ。」
「でも、やっぱりクーちゃんって上手だよね。かっこよかったなぁ。さすがだよ。」
「ありがとう。でも、アキ子さんの最後のロングシュートはもっとすごかったよね。」
「ほんとほんと!」
 私は、素直にチームのみんなと称え合うことの気持ちよさを感じ、今回はこのチームで良かったなと思った。心の底から楽しいと思った。Bグループのみんなと話が盛り上がているとき、ふと気がつくと優勝チームのメンバーが離れた場所から私のことを見ていた。私は気づいていないふりをとおした。私の中にれいちゃんたちに対する反抗心というか見せつけたいというか・・・何だろう。自分でもわからない感覚がそうさせていた。

【五月二日(木)
《楽しかったポートボール大会》
 今日は楽しみにしていたポートボール大会でした。クラスはみごと優勝しました。すごくうれしかったです。
 優勝したチームのプレーは、パスもドリブルもシュートも全部上手だったし、なによりも一人一人が考えてプレーしているところがすごいと思いました。
 選手もおうえんする人もみんながいっしょうけんめいできたのでとてもいい大会でした。 
 わたしもBチームで楽しくできてよかったです。新しい友だちもたくさんできました。Bチームは負けてしまったけれど、みんなが笑顔でできたことはすごくいいなあと思いました。
 このクラスはスポーツが得意な人が多いので、これからもいろいろな行事で優勝がねらえるなと思いました。私も負けないようにがんばりたいです。】

 【五月二日(木)
《楽しかったポートボール大会》
 ずっとれんちゃんたちといっしょだったから気づかなかったけど、Bチームよかったなぁ。えっ?何がって?そうなんだよね何がよかったんだろう。みんな体育は苦手な人ばかりなのにたのしい試合だったなぁ。あんまり話したことない人ばかりだったけど、たくさん笑って楽しかった。Bチームよろしく。】

               夏
 
 鬱陶しい梅雨が明けると、容赦ない日差しの毎日。そう本格的な夏がやてくる。そして、七月に入ったら夏休みまでの約一週間、暑さをしのぐための午前中授業となる。夏休みをカウントダウンしながら、学校は午前中で終了。最高な季節がやってきた。
 夏休みに入って学校が休みなら友だちとは会わないってことが当たり前だったし、行動範囲・付き合いの範囲は近所、それも隣三軒両隣の範囲に限られる。友だちと会えないからって不安になることなんて全くない。それどころか楽しいことばかりだ。 
 さてさて夏休みは7月中旬から8月いっぱいの四十日ちょっとあるわけだから、楽しいこといっぱい計画しなくちゃいけないのだ。そこで、夏休み前には【隣組】や【○○こども会】というものにそれぞれの家庭が所属し、親同士も仲良く海水浴の計画を立てたり、子どもたちは年長のお兄ちゃんお姉ちゃんがリーダーとなってラジオ体操の準備をしたりする。めんどくさいけどこれが夏休みを楽しむための前哨戦だ。
 私の家が所属していた隣組は『はやぶさ』だった。普段はしゃべらないお兄ちゃんお姉ちゃんが仕切って、ラジオ体操や夏休みにやりたいことを話し合っていく。たったひとつしか違わないのに、すごい年上のような気がしたものだ。それにしても我が隣組はやぶさはどうしたことか、夏休みの計画が海水浴(これは毎年恒例の親が計画する一大イベントなのだ)と『どぶさらい』。なんで?
どうして夏休みにどぶさらいをするのか。この企画は絶対にウケねらいだ。自分たちでやるのに笑えるのか?何をねらってのどぶさらいなのか私には理解できなかった。そこで、私は家に帰ってから兄に聞いてみた。
「お兄ちゃん、よりにもよってなんで私たちの隣組はどぶさらいに決めたの?もっと楽しいのはたくさんあったと思うけど。」
「お前らはまだまだおこちゃまだなあ。」
「え?れんちゃんたちはカレーパーティーで、もとちゃんたちはお化け屋敷をするんだって。楽しそうでうらやましいよ。」
「あのなあ、そんなのをやるってなると準備だなんだかんだって誰かの親がつくだろ。親は『もっとこうしなさい!』とか、『みんなでもっと計画を立てなさい!』とか言ってきてめんどくさくなるんだぞ。それどころか、まるまる一日やるお化け屋敷なんて何日準備にかかるんだよ。俺たちの大事な夏休みだぜ。どぶさらいなんか、遊びに行くときにスコップ持ってどぶにつっこんでおきゃあいいのさ。帰るときに誰かが見たら、『夏休みの計画のどぶさらいをしてきました』っていやあいいのさ。」
「・・・・」
「ナイスアイディアだろう?わははははっ。」
テレビの時代劇に出てくる悪代官のように、兄は大笑いしながら遊びに出かけて行った。そういう私も悪代官の手下だ。兄たちのその考えに大賛成だった。これで夏休みを存分に楽しむことができる。
『夏休みやりたいこと表』を作らなきゃなあ。ふふふふふ・・・楽しみになってきたぞぉ~。
 お兄ちゃんたちの計画は徹底していた。お母さんやお父さんに人通りの少ない“どぶ”を選んで、大人が忙しい時間帯にそうじ時間を計画していた。おそるべしお兄ちゃんたち。

【七月十四日(金)
《夏休みの話し合い》
 今日の五校時にとなり組で集まって、夏休みの話し合いがありました。わたしのとなり組は「はやぶさ」です。
 お兄ちゃんたちが考えて「どぶさらい」をやることを決めました。どぶさらいをすると近所の人たちが助かると思うのでとてもいいことだなあと思いました。
 来週から夏休みなのでとってもとっても楽しみです。】

【七月十四日(金)
《夏休みの話し合い》
 夏休みの話し合いが今日の五校時にあった。毎年わくわくする話し合いなのになんてことだ。夏休みにどぶさらい!聞いたことないよ。まじめかよ。もっとほかにあるでしょ。と思っていた。しかし、なんてナイスアイディアなのだ。わたしも大賛成!はやぶさ隣組の定番にするしかない。はやぶさ隣組・・・悪よのう。ていうか、本当のこと友だちに言えないよ。
 わたしは絶対にじっくり考えて、夏休みにやることを決めたいんだ。なんてったって夏休みだよ。はぁ~今からたのしみでしかないよ。早くこいこい夏休み~。花火できるかな?海水浴には何回連れて行ってもらえるかな?宿題、今年こそは七月中に終わらせてやる。ハハハハハ、待ってろよ。夏休みの宿題。意味不明な日記になってしまった・・・。よろしく。】

私の家は、学校の校門をでたら5秒のところにあった。後ろが光田さんち隣が佐嘉さんち、佐嘉さんちの隣が田間さんち、田間さんちの後ろが浅岡さんち。私の家を入れてこの5軒が家族ともども仲がよく、子どもは 総勢十四人。はやぶさ隣組だ。性別も年齢もバラバラだけど、とても仲が良かった。もちろん親同士も仲が良くて大好きな海水浴の計画も立ててくれた。
 学校での話し合いから一週間。とにもかくにも、待ちに待った夏休みがタートする。
 夏休みの前に楽しみなのが、『通知表』だ。私の学校は各教科五段階で成績が出た。もちろん一番いいのは五だ。担任の先生が一人一人名前を呼んで渡していくときのワクワクした気持ちと、自分の成績を知る緊張感で教室は異様な雰囲気だ。
「えまちゃん、どうだった?え?見せてくれたっていいじゃない。私も見せるよ。」
れいちゃんは確実に自分より成績がよくない子を選んで声をかけるんだけど、今年はえまちゃんなのか。
「私、4が三つもあるよ~。お母さんに叱られるなあ。」
「れいちゃん、そのほかは5なんだからいいじゃん。私なんか5は一個だけなんだよ。」
「まあまあ、えまちゃんも得意な体育が5なんだからいいじゃない。れいちゃん、オール5目指して二学期がんばろうよ。」
「もとちゃんはいいよね。体育以外は5なんだから。」
八つ当たりみたいにすねたれんちゃんは言うと、
「清美さんオール5だって。そんなに体育上手ってわけじゃないのにね。」
自分の通知表から話題がそれたことをいいことにえまちゃんが、
「先生さ、清美さんのことひいきしてない?体育そんなに上手じゃないもん。」
「え~いやだね~」
えまちゃんとれんちゃんは口々に言いながら、三人はトイレに行った。
 通知表の内容をじっくり読んでみると、運動ができる子だけが5を取る内容にはなっていない。私は清美さんは正真正銘の『5』だと大声で言いたい(いえないけどね)。
 通知表のことでは、れんちゃんは私に話しかけない。これは今までもずっとそうなんだ。理由は知っているよ。私の方が成績がいいかられんちゃんはけして私に成績のことは聞かないんだ。私の成績は音楽が「3」で残りは全部「5」だった。音楽はきらいではないけどなぜか「3」しかとることができないんだよなあ。
 夏休み前の日は、みんなそわそわして足早に帰っていく。いつものように友達と遊ぶよりも、少しでも早く帰って夏休みの準備に入りたいんだと思う。そういう私もそうだ。通知表をお母さんに見せて夏休みの問題集に日付を書いていく。それが終わると、さあ明日から夏休みだ。どんな楽しいことが待っているんだ?わくわくが止まらないよ。
 夏休みはラジオ体操からのスタートと決まっている。夏の朝早くにラジオ体操に行くときの空気と一日の暑さを予感させる空の色と空気感は私の記憶の中に刷り込まれている。ジトっと体にまとわりつくような空気と薄い水色の空はラジオ体操に行く子どもたちを出迎える。でも、この空気も空もラジオ体操が終わる頃にはどっかに隠れてもう夏の日差しに変わっている。寝床を恋しくさせた空気と空が、もう家には帰りたくない今すぐにでも蝉取りやグッピー捕りに行きたくなる空気と空に変わっているのだ。
 適当にラジオ体操を終わらせると、運動場でひと遊びの時間だ。雲梯に鉄棒、上り棒に滑り台。一つひとつを確かめるように次々とクリアしていく。校舎の屋上から朝日が差してきて私たちみんなに本格的に夏の一日を知らせてくれるころにはみんなお家に向かって走っていく。約束の時間までに帰ってこないと朝ごはん抜きになってしまうからだ。走りながら午後の約束をしながら運動場を後にする。校舎の裏山から聞こえてくるセミの鳴き声だけを残して運動場には静寂が広がる。
夏休みの天敵は『夏休みの宿題』だとみんなは言う。しかし私は夏休みの宿題は嫌いではなかった。それは、ゴールが確実にあって終わった時の達成感を味わうことができる。そして何より午前中の暇つぶしにもってこいだったから。 
 夏休みの宿題の工作はアイディアは浮かぶのだが、器用さの技術と根気がともなはない。だから途中からは完全に妥協の塊が完成品となることを受け入れるタイプだった。他の人が見ると、
「クウちゃん、こんなのを提出するの?」
と言われる代物でも全然かまわない。
 また、自由研究もなぜか自分で考えたものでないと嫌だというこだわりがあるのはいいが、失敗の連続。でもここでも完成にこだわりがないから失敗の観察・実験でもそれなりにレポート用紙に書いて完成させる。ずば抜けた作品は一個もないが宿題はすべてこなすのが私の流儀だった。
 その中でも思い出に残っているのが、自由研究のテーマに選んだ「いろいろな蜘蛛の巣」というものだ。その自由研究は色々な形の箱の中に、屋根裏や倉庫で捕まえた蜘蛛をいれて出来上がる巣の模様は箱の形と関係するのかというものだった。結果はもちろん失敗に終わった。原因は箱の中で蜘蛛が死んでしまったからだ。それでも私は、死んだ蜘蛛と失敗に終わったがきっと結果はこうなったに違いないといった予想を、数枚のレポート用紙にまとめて提出した。すると、先生に
「蜘蛛の死骸は持って帰りなさい。」
といわれ、友だちからは、
「えぇ?クウちゃん!気持ち悪いよ。何考えてんの?いやだぁ捨ててよ。」
というようなことをたくさん言われてしまった。そこまでいわなくてもいいのになあ。蜘蛛がかわいそうだよ。そうは言っても確かに箱の中で丸くなって死んでいる数匹の蜘蛛は持っていくべきではなかったかもしれない。でも、ただ箱の中に死んだ蜘蛛を入れて持ってきただけって思われるのも嫌だしね。
ありがとう、そしてごめんね蜘蛛さんたち。生きていろいろな模様の巣を作っていたら君たちは学校の人気者になっていたはずなんだ。 
 そしてもう一つ、夏休みの思い出でお昼ご飯ははずせない。我が家の昼ご飯はダントツに『冷そうめん』だった。熱い体にツルツルと入っていくそうめんは格別のうまさだ。
 冷そうめんの時には、兄といろいろ勝負して食べた。勝負はわさびを誰がたくさん入れて食べることができるかや、誰が最後まで食べ続けられるかとか。どれをやっても母には叱られたのを覚えている。食べ物で遊ぶなということだと思うが、兄はぜんぜん堪えず、
「おい、クー。今日は鼻からそうめんを食べる勝負だ。」
「え?いやー。やりたくないよー。」
「だったら、お前今日の山の探検に連れていかなからな。」
私はこの勝負、悩みに悩んだがどうしてもできなかった。兄は得意げに鼻からそうめんを啜ったとたんにむせかえり、鼻と口からそうめんをたらしながら咳き込み、その上母に見つかりすっごい雷を落とされ、箸を取り上げられてしまった。いくら山の探検に行きたいからといって、この勝負に乗ろうかと悩んだがのせられずに自分を死守した自分に拍手を送った。
 それから、私の家にはエアコンがない代わりに扇風機が四台あった。扇風機フル稼働で夏の暑さをしのぐのだ。扇風機のモーターの音と生暖かい風にあたりながら昼寝をするのが食後のきまりだった。食べてすぐに寝ると牛になると聞いたことがあるが、我が家は牛になるのは朝食後と夕食後だけだったらしい。なぜか、お母さんは夏休みの昼寝にこだわった。きっと学校の生活リズムなるものをかたくなに守りたかったのかもしれない。夏休み以外の休みの日に昼寝をしようとするときまって、
「だらしない。掃除しなさい。」とか、「食べてすぐに寝ると牛になるよ。」と突っ込まれてもおかしくないこと言って、昼寝に反対していたからだ。そんなお母さんが夏休みには、
「昼寝してからじゃないと遊びに行ったらだめよ。」
となる。お母さんの昼寝推奨は夏休み限定だった。
 でも、そこはまだ小学生の子どもだ。満腹と扇風機の風の心地よさに睡魔が襲ってくるともう抗うことができない。この眠りに深入りしたくない。早く外に遊びに行きたい。でも体がゆっくりとひんやり冷たい床に溶け込んでいく。セミの鳴き声が遠くから聞こえ始めるともう眠りに落ちていく。
 目が覚めるとあんなに嫌いな昼寝のおかげで、体力充電満タン完了した私たちは飛び起きて外に駆け出していくのだ。まだまだ高いところから降り注ぐ夏の太陽を体中に浴びて、夏休みの楽しみを取りこぼすことがないように必死になって外に駆け出していくのだ。
近所のみんなもお昼寝をしていたらしい。心の中で『よっしゃ~』と叫びながら後れを取らないように陽射しのカーテンをめくる。
 学校の裏山の入り口で兄の友だちと待ち合わせをしていた。裏山は夏休みの遊び場としては最高の宝箱だった。冒険・秘密基地・・
どれをとっても子どもたちに魅力なものばかりだ。裏山で遊ぶことができるのは兄がいる人だけに限られていた。裏山は年長の男子のテリトリーなのだ。だからその時ほど兄の存在を誇らしく思ったことはない。
 子どもたちは、遊びで自分の我を通すことなんてしない。相手の意見を尊重するし、相手もお返しに尊重してくれる。だから多少の葛藤はあったとしてもお互い様だから許し合えたのかもしれない。また年下のことを優先して遊びを考えてくれていた。危険をともなう場所へは年下を連れて行かない。だからと言って我慢して遊んでいるのではなく年下にも『役割』を与え、仲間として扱ってくれてた。夏休みの裏山遊びでは私は兄に対して誇らしい気持ちを持っていたし、同級生の友だちにも多少の優越感を持っていた。
「おい、クー。今から山に入るから今のうちに水を飲んで来い。」
兄に言われるがまま、学校の水道に行き蛇口からがぶがぶと飲んでいると、
「こんなに飲んだら腹痛くなるぞ。よし、行くぞ。」
家で冷そうめんの食べ競争をした兄とは別人だ。足手まといにならないように走ってついていく。
 山に入ると今までの暑さが嘘のように涼しい。キラキラ光る太陽が木の間から漏れ出している。そのことを「木漏れ日」ということをもっと後になって知ったけれど、木漏れ日という言葉を知らなくても木々の囁きとキラキラする太陽の輝きは素晴らしいということは感じることができた。肌にまとわりついていた汗も、容赦ない日差しで火照った体も全てが山の中の空気に吸いとられていった。
 今日は秘密基地づくりではなく、私たち年下のメンバーを秘密基地に案内するだけで、残りの時間はトカゲや蝉を獲ることがメインになったようだ。兄たちの秘密基地を手伝うことを楽しみにしていたから残念ではあったけれど、秘密基地を見せてもらえるだけでもすごいことだ。山に秘密基地をつくれるのは男子の特権で女子には叶わない。この時には心の底から「男に生まれたかったー。」と思ってしまう。
 一通り山での遊びを終えると、学校の校庭に出てくる。そうやって色々なグループがそれぞれの遊びの締めくくりを校庭で行うために夏休みの夕方近い校庭は大勢の子どもたちであふれることになる。
 校庭では同級生同士の遊びになるから、兄たちとは別行動になる。まわりを見渡しながら遊び相手を探す。でもどうだろう。私だけかもしれないが、もしも遊んでくれる同級生や知り合いがいなくても平気だった。一人遊びも「遊び」の中の一つだったのかもしれない。
 その時、遠くのバスケットリングの下にクラスのれんちゃん、えまちゃん、もとちゃんがボール遊びをしているのが見えた。ほんのちょっと心の奥に一滴何かが落ちたように感じ、「へ~、もとちゃんは家が遠いのに一緒に遊んでいるんだ~。」今までの私ならすぐに雲梯から飛び降りて駆け寄っていったかもしれない。でも、あのポートボール大会の日のみんなの目がどうしたのか私の脚におもりをつけた。見ぬふりをしよ。視線を避けたと同時にみんなが私を見つけたのが視界に入ったが、みんなも私のことを見た後見ぬふりを選んだ。別にいい。今は一人で夏休みの一日の名残惜しい雰囲気を味わいたいと思った。校舎を染め始める夕焼けになりそうな太陽を雲梯の上から眺めるのだ。私はこの時間を邪魔されたくないと心の底から思った。クラスのみんなはどう思っていたかわからないけれど、そんなことは関係ない。なぜなら今は夏休みなんだから。
「おーい。クー。帰るぞー。」
兄貴の合図で私は雲梯から勢いよく飛び降りて、全速力でお家に走って帰る。もう、お腹がペコペコ。さあ、家に帰ったら夕ご飯までの間にやるべきことを終わらせるんだ。まずは手や脚を洗って今日一日の日記を書く。今日のお題は何にしようかな?そして、日記を書き終わったらお風呂だ。お姉ちゃんやお兄ちゃんは夏でもお湯で入る。私は夏は水風呂に決めているんだ。一日遊びまわって火照った体を水をぶっかけて『ひゃっ』ってするのが好き。
「クーちゃん、水風呂って風呂上がりに汗かくんだよ。それに体の垢落ちないよ。」
って、お姉ちゃんは言うけれど、そんなことあるもんか。お風呂はみんな同じさ。そうやってお姉ちゃんの話は聞かない私だけど、お母さんの「クー、ご飯だよ。」の声はしっかり聞くんだよね。

【七月二十八日(水曜日)天気(晴れ)
 今日は学校のうら山のひみつ基地に行きました。中に入れてもらうことはできなかったけど、外から見るだけでも満足でした。とてもかっこいい基地でした。次に連れて行ってもらう時には中に入れてもらえるとうれしいです。
 うら山からの帰りに校庭に行くと、同じクラスのれんちゃんたちも遊びに来ていました。みんな夏休みを楽しんでいるんだなあと思いました。二学期が始まったらいろいろお話したいです。】

【七月二十八日(水曜日)天気(晴れ)
 今日の一番楽しかったことは《うら山のひみつ基地》へいったことだ。あんな基地を作るってお兄ちゃんたちはすごいと思う。わくわくするよなあ。かっこいいよなあ。
 校庭にれんちゃんたちを遊びに来ていた。学校まで来ているのに私は呼びに来なかったんだ。いやいや呼びに来ていたらなんて断った?うん?断るつもりだった?どうだろ?わかんないや。れんちゃんたちはうら山に行くことはきっといやだだから、これでいいのだ!今日も楽しかったからこれでいいのだ!
 明日は雨がふるらしい。泥団子でも作るか!雨よろしく】

毎日外で走りまわった後お腹を空かせて帰ると、夕飯のメニューが気になるものだ。我が家の夕ご飯は今思い返してみても、すごいメニューが多かった。我が家は夏休みだからというわけではなく、なすびの天ぷらだけ、骨の多いアイゴの唐揚げだけ、はたまた玉ねぎの天ぷらだけという基本おかず一品にご飯に味噌汁。これが夕ご飯の通常メニューだった。しかし、なすびや玉ねぎのてんぷらはウスターソースをつけて食べるとご飯が進む進む。アイゴの唐揚げは小さい分カラッと揚がっているから骨までぼりぼり食べられるから手を油らだけにしてガンガン食べまくった。どれも本当に美味しかった。私は平均毎食3杯はご飯を食べていた。私はお母さんの料理が大好きだった。

【七月三十一日(土)天気(くもりときどき雨)
 なんと今日の夕ご飯はカレーライスでした。最高でした。とてもおいしかったです。四回もおかわりしました。
 お母さんの作るご飯は全部おいしいです。ごちそうさま。】

【七月三十一日(土)天気(くもりときどき雨)
 今日の夕ご飯はカレーライス。大大大好きなカレーの日。五回おかわりする目標だったけど、おかあさんに怒られて四回でごちそうさまをした。本当のこと言うと今お腹が痛い。食べすぎた。鍋の中を見たらまだまだ残っていた。明日の朝も昼もカレーを食べる。それわたしが決めたルール。カレーよろしく。】

毎日ではないけれど、夕ご飯を食べ終わる8時頃に家の前で、
「パンッ パンッ」
と2発の爆竹が鳴る。夏休み恒例の夜の花火の合図だ。近所の幼馴染みんなで花火をするのだ。花火といっても打ち上げ花火といった大げさなものではなく、手持ちの花火や線香花火、地面に置く噴水、くるくる回ってパンッとなるねずみ花火、瓶に立てて飛ばすロケット花火だ。それをみんなが持ち寄って遊ぶのだ。急いでごちそうさまをして、今日の分の花火を持って外に飛び出すと、昼間と違ってお風呂上がりのさっぱりしたみんなが花火を持って集まってくる。わくわくの時間のスタートだ。
 花火をするときにも全年齢が楽しめるようにみんなが考えるし、決まったことには従うのがルール。それはごく当たり前のこと。一番年下は幼稚園生がいたからその子たちから花火を持たせ、楽しませてあげる。なぜなら早くにお迎えが来て帰ることになるから。近所の親たちも子どもたちのルールを尊重していたし年長の子どもたちに任せていた。任せていたというよりは遊びの中での上下関係を信じていた。
 幼稚園児が帰ったら本格的に夜の遊びが始まる。花火なんてあっという間に終わるもので、夜のお楽しみは花火だけではない。もちろん親たちもその辺は了解済みで時間を見ながら見守っていてくれた。お家の中で。
 一番人気があったのが、いや当然かな。夏休みだしね。そう『肝試し』だよ。結構大がかりな肝試しだ。2番目は夜なのに『カンケリ』暗い中でやるカンケリは隠れるほうも鬼もスリル満点だった。どっちの遊びも年長のリーダーがコースを決める。そして見張りを立てることも怠らないのだ。わかるでしょ。年長のリーダーたちは自分が楽しむのではなく、みんなを楽しませるためにいろいろ面倒なことをかって出るのだから素晴らしいではないか。危険なことはしない。危険なところには行かない。車には気を付ける。この三つのきまりを守って本当に楽しかった。
 一番人気だった『肝試し』は目の前の学校の裏庭を通るというものだった。なぜそこかというと、学校の裏庭はお墓と隣接していたのだ。外灯もないホントに真っ暗なところを二百メートルほど通るというコースだ。そして、それだけではない。怖いお墓の前を通った後には学校の宿直室の前を通ってゴールというコースだ。もちろん、宿直の人に見つかると怒鳴られるのは当たり前だ。二種類の恐怖を味わうことができる最高のコース設定だと思わない?
 二人~三人のグループでいよいよスタートだ。早く行きたいような、私の前でそれぞれの親が遊びの終了を告げてくれないか・・・。そう思いながら順番を待っている。
 見張り役のゆう姉ちゃんが宿直室の近くから合図を送った。それをみたタカ兄ちゃんがスタートの合図を出す。怖い怖いと言っている同級生マサちゃんがわざとらしいが、素直に怖いといえるのがうらやましくもあった。私はいつもみんなから、
「クーちゃんは強いからなぁ。怖いもの知らずだよね。」 
といわれていた手前、本当は泣きそうなくらい怖いのに平静を装うしかできなかった。
 いよいよ順番がきた。私のグループは兄と私とお隣の同級生で学校では口もきいたこともないまじめで頭のいいゆきちゃんだった。もちろん兄はゆきちゃんだけを気遣ってくれている。ホントを言えばこっちも怖いんですけどー。
 ゆっくりゆっくり静かに学校に入っていくと理科室の前を通って、体育倉庫のそばから例の裏庭に向かう。思った以上に真っ暗だ。
目が慣れないとお墓の周りに立っている大木だけが大きく黒く揺れているのしか見えないから恐怖倍増だ。二百メートル先の裏庭の出口には安全確認役のじゅん姉ちゃんが待っている。うん?待てよ。一人で待っているじゅん姉ちゃんってある意味すごいや。今になって気づいたよ。
兄が、
「俺が先頭でゆきちゃんは俺の後ろな。」
えっ?ということは私は一番後ろってこと?一番怖いじゃん。泣きが入ったらどうしよう。
 そうこうしているうちに兄を先頭に裏庭に入っていった。初めはゆっくりゆっくり進んでいたのに、急に兄が走り出した。きっと怖さに耐えきれなかったのだろう。そしたら、ゆきちゃんが、
「うわーー。きゃーーー。」
と叫び声をあげたもんだからびっくりした兄は全速力で走り出したからもうパニック状態になった。ゆきちゃんはびっくりするくらい速いし兄の背中は遠ざかっていくしで、私は無我夢中でコースをずらして走り出した。その時だった。目の前に丁度私のおでこの高さの鉄棒が現れた。と思ったとたん、
「ゴンッ」
という鈍い音と脳天を貫く衝撃に私は後ろに吹っ飛んだ。何が起こったのか。一瞬わからなかったけれどすぐに理解できた。私は全速力で鉄棒にぶつかったのだ。面白いもので私はその時、肝試しの恐怖よりもおでこから血が出て母に怒鳴られる恐怖の方が勝った。すぐさまおでこをおさえると血は出ていない。今まで経験したことのないほどのでっかいたんこぶがそこに出現していただけだった。
 ホッとした自分が我に返ると、さっきまで真っ暗で恐怖しかなかった裏庭が、薄明りの中木々がそよそよ揺らぎかわいらしい虫の鳴き声につつまれていた。私は痛さで走ることもできず虫の鳴き声に見送られながらゆっくりゆっくり歩いて行った。とんだ肝試しだ。
 みんなの前に行くと、暗さが手伝って私のたんこぶに誰も気づかないで、私の肝っ玉のでかさを称賛するどころかあきれ果てて大笑いしていた。私はみんなとの楽しい時間を壊したくないから痛くても泣くのを我慢しているというのに。でも、ただ一人ゆきちゃんだけは気づいていたみたいで、
「クーちゃん、大丈夫?ごめんね。」
と言ってくれた。
「大丈夫だよゆきちゃん。誰にも言わないでね。シーだよ。」
人差し指を口に当てた私を見て、ゆきちゃんは優しくうなずいてくれた。「学校では全然口をきかないのにゆきちゃんっていい子なんだよな。二学期になったら学校でも声かけよっと。」そんなとを考えながら、明日の夜の遊びにゆきちゃんが遠慮して参加しなかったらいやだ!そう思った私は、
「ねえねえ、みんな!ゆきちゃん、すっごい足速いんだよ。」
とみんなにゆきちゃんの意外な一面を紹介した。ゆきちゃんはみんなに声をかけられて嬉しそうに笑っていた。私のおでこのたんこぶなんて大したことないや。
 家に帰ると、忘れていたけれどお母さんが、
「クウ!何なの?このおでこのこぶは!。」
肝試しで学校に入ったなんて言えないから、
「花火をしているときに、階段で転んだ。」
「あんたはホントにおっちょこちょいなんだから、血でも出たらどうするの?頭を打ったらしばらくは激しい運動はでき
 ないよ。死んだらどうするの!」
鉄棒にぶつかって死ぬわけない。きっと私はそういう顔をしたのだろう。こういうときだけ、素直に気持ちを顔に出してしまうのが私の欠点かもしれない。
「クー!反省してないみたいだから、明日の夜は花火遊び禁止!」
なってこったい!この時ばかりは泣いてお母さんに懇願した。ダメだったけどね。

【月二日(月)天気(晴れ)
 今日は人生最大のたんこぶをつくりました。
 近所のみんなと肝試しをしていたら、恐くなって走り出したところで、鉄の棒に頭を強く打ってしまったのです。ゴンと頭の中を痛みが走りました。でも、たんこぶの痛さよりも、お母さんに次の日の花火遊びを禁止されたことが泣くほど痛かったです。
 でも私はあきらめていません。頼みこもうと思います。】

【八月二日(月)天気(晴れ)
 頭にできたたんこぶはわたしの人生最大の大きさだ。死ぬんじゃないかと思った。痛いとゆうれいとかオバケって怖くなくなるだということがわかった。
 おかあさんにすごく怒られたけど、鏡で見てみたらほんとキレイなたんこぶだったかから名前をつけることにした。映画「ローマに休日」の王女様からとって、【アン王女】にしよう。わたしのたんこぶは「アン王女」だ!アン王女よろしく。】

肝試しの場所が学校だってばれたら大変だから、ここはしっかり慌てずに日記を書いた。問題になって来年の夏休みに肝試しができなくなったら困るからね。たんこぶは痛くても来年の夏休みのことはちゃっかり忘れないよ。
 毎日がこんな調子で夏休みは続く。。夏休みはこれから何度も味わうけれど、この時期の夏休みは人生で一番の夏休みだったに違いない。

                秋
 
「う~な、う~な・・・う~な」
蝉の鳴き声が変わった。いやいや、蝉の種類が変わった。このクロイワツクツクの鳴き声が聞こえだすとあんなに深い青でいつもそばにいてくれた空が、涼しい水色でよそよそしく手の届かないくらいの高さになっている。風もやわらかい優しい風に変わっている。知らない間に夏が旅支度を始めて、秋の足音が聞こえてきた。
 夏休みが終わる。来週から二学期だ。
 
 二学期のスタートはほんのちょっとみんなが大人になっているようだ。日焼けのせいだろうか。ほとんど会っていなかったクラスメイトはよそよそしさを感じながらも早く話がしたいとそわそわしている。私はそういうみんなを観察しながら席についていた。
「クーちゃん。元気だったーー?」
「クーちゃんがクロちゃんになってるよ。」
「れんちゃん、えまちゃん、久しぶり!」
「クーちゃんには全然会えなかったからさびしかったよー。」
「うん?クーちゃん。おでこどうしたの?」
もとちゃん驚いたように訊いた。
「肝試しをしたときに、走って鉄棒にぶつけたんだよ。もう三週間は立つのに全然消えないんだよね。日焼けより手ごわ
 いよ。」
「なんで、クーちゃんって面白いの?」
れんちゃんとえまちゃんは笑ってくれた。お道化なくても笑ってくれるのなら、たんこぶも悪くないな。楽ちんだ。
「肝試しの時に発見したんだけどさ、ほら四組のゆきちゃんがいるでしょ・・・・」
話の途中でえまちゃんが、
「もとちゃん和が来たよ。ひゅーひゅー。」
ふぅ~ん。もとちゃんって和が好きなんだ。えっ?れんちゃんもそうじゃなかったっけ?れんちゃんはどこか余裕を感じさせる笑顔でえまちゃんと一緒にもとちゃんを冷やかしている。「れんちゃんの好きな人変わったんだな。きっと。」こういう恋愛の話は苦手だったから三人に話をするのをやめた時、
「おい、クー。お前の兄ちゃんたちの山の秘密基地ってすごいな。今度行くときに俺も連れてってよ。お前の兄ちゃんに
 たのんでくんない?んっ?お前のおでこ、すっごいたんこぶだなーハハハハ。俺の後頭部といい勝負だぜ。」
「おっ、クー、今日の放課後野球やるんだけど、たくやができないっていうからさ、お前入ってくんない?」
和の仲良しのケイが私に気づいて話しかけてきた。
「おっいいねえ。クー、セカンドは任せたぜ。」
和とケイは放課後の野球の話に話題が移って、こっちの雰囲気なんか全く気にしていない。お前たちは女の怖さをまだわからないおこちゃまか!私は三人のするどい視線を感じながらも、好きな野球の誘惑には勝てずに、
「いいよ。放課後ね。」
と返事をした。もう三人の姿はなかった。
 学校というところは人生の縮図だ!と誰かが言っていたような言ってないような。でも私は人生の縮図ではなく『自己との戦い』の場だと思っている。どれだけ自己犠牲を払ってやり過ごしていくか、それにかかっているといっていい。折り合いをつけるのが難しいのだ。それともそう思っているのは私だけなのかな。その時、
「クーちゃん、久しぶり。夏休みを目いっぱい楽しんだって顔しているね。」
清美さんとひろ子さんが声をかけてくれた。
「そういう清美さんもひろ子さんも日焼けしているね。海水浴に行ったの?」
「うん。毎週日曜日には海水浴ってくらい行ってたよ。私が好きっていうよりお父さんが好きなんだよね。」
「私のお父さんとお母さんはキャンプが好きで、今年の夏休みは三回もキャンプに行ったよ。どっちかというと私は好き
 じゃないんだけどね。夜とか虫が飛んでくるからいやなんだ。」
「ひろ子さんらしいや。でもうらやましいな。私キャンプって行ったことないからさ。夜は花火したり星を見たりできる
 んでしょ?清美さんもばっちり日焼けするくらい海に行って最高じゃん。」
 
 私は五年生の夏休みの間に、幼馴染と過ごしてきたことで本当に居心地のいい関係について考え始めていたのかもしれない。大人が考えているほど子どもの世界は甘くない。そしてみんなそれなりに苦労しながら過ごしているのだ。小さいかもしれないが十分すぎる大きさの世界で多少の波風も立つのだ。そう感じ始めた中である事件が起きた。
 私のクラス五年六組は、一学期のポートボール大会で男女優勝を勝ち取ったほどスポーツが得意な子が多かった。だから二学期の一大イベントである『運動会』の『学級対抗リレー』はもちろん優勝を狙うが、ここでいう優勝というのは運動会当日の優勝だけではなく、学年練習全てで一位をとるという完全優勝を狙ったのだ。それは一部のスポーツが得意な中心的メンバーからの提案だった。
 スポーツなら何でも得意のれんちゃんやえまちゃん、そして成績もスポーツも人徳もあって隠れ人気者のもとちゃんが男子に提案してまわっている。
「ねえ、和。絶対いけるよ。うちらが本気になれば完全優勝だよ。男子もやる気になってよ。」
えまちゃんはお願いというより挑発しているようにも聞こえるが、この自信がえまちゃんをかっこよくしている。
「運動会だけ優勝してもねぇ~。ほら私が四年の時のクラスは練習の時に一回くらい一位になったけどさ。完全優勝とな
 ったらもう他のクラスは『ははぁ~』状態だよ。」
えまちゃんがひれ伏すような真似をすると和を中心とした男子は大笑いをしている。まんざらでもなさそうだ。そして、
「クラスみんなが一つの目標に向かっていくと、団結が生まれて今よりもすごくいいクラスになると思うよ。」
さすがもとちゃん!説得力ある。すると、和の親友のケイは真剣な顔で、
「でもさぁ、走るのが遅いやつもいるし、難しんじゃないの?おれらだけなら行けると思うけどさ。」
「えぇ~だれのこといってるのぉ~。」
えまちゃんは他人のことはお構いなしで笑うけど、そこには誰も同調していない。
「男子も同じ意見なら、私が先生に今度の学級会で話をしたいといってもいいよ。」
もとちゃんがいうと、
「和、お前副委員長だろ、もとこと一緒に先生に言いに行けばいいよ。六組だったらできるだろ。面白いさ。おれ賛
 成。」
小太りだけど、走るのが和の次に速いトシが言って話がまとまったようだ。もちろん私は離れたところから耳を立ててひそかに話に参加していた。
「そっだな。このクラスだったらできるかもな。挑戦してみるか」
和の一言で話がまとまり、もとちゃんと和が先生に学級会の交渉に行った。先生は呑気に大喜びで、
「さすが、高学年だね。あなた達いいリーダーだよ。先生も応援するよ。六組みんなでがんばろー。」
れんちゃんとえまちゃんが私のところに来て言った。
「クーちゃんがんばっていこう。近頃、調子悪そうだから足引っ張らないでね。」
励ましのつもりなのか、それとも・・・嫌味のない笑顔でいうから心に刺さらないけれど、ずんっと何かが重く沈んでいった。
 運動会に向けて、クラスの目標を話し合う学級会が始まった。もとちゃんと和が司会進行で議題について意見を出し合うのだが、れんちゃんたちの意見以外に何も出てこない。いや、出せる雰囲気ではないよ。こういう私も一度も意見を発表せずにただ座っているだけだったんだから。
 かくして、六組の運動会に向けての目標は
【みんなで協力して、リレーの完全優勝を勝ちとろう】
【運動会で六組の一致団結を深めよう】
という二点に決定した。模造紙に色とりどりのマジックペンを使って、目標を書いてクラスのみんなが見える場所に張り出された。確かに悪い気はしなかった。みんなが自分のクラスは特別で、きっと他のクラスにはできないことに挑戦するという高揚感があった。
 優勝するためにはリレーの走順が重要だ。もうここからは小学五年生であろうが、一人ひとりのプライドのぶつかり合いだ。走順の中でも人気は言わずもがな『スタート』と『アンカー』で、誰がこの花形を勝ち取るのかが一番の関心ごととなる。今までは推薦で決めてきたが今回はどうやって決めるのだろう。そう思っている時に一学期のポートボール大会で同じチームだった清美さんが意見を発表した。
「このクラスは足が速い人が沢山いるけれどやっぱり自信のない人もいるわけだから、走るのが苦手な人のために、そう
 いう人の前後に速い人を持ってきたら、遅い人も自信を持って走れるんじゃないかなと思います。」
おぉ~と賞賛のどよめきと拍手が起こった。
 清美さんはポートボール大会の時にも、チームみんながボールを持って攻撃できるように工夫したり声かけをやっていたことを思い出した。だから、あの時のチームは負けてしまったけれど心の底から「楽しかった~。」と思えたのだろう。普段は話をしない大人しいひとばっかりだったのに、珍プレーが出ると腹を抱えて大笑いしていたんだ。私も勝ちとか負けとか以前にとても楽しかったことを思い出した。
「この案はとてもいいと思います。みなさんはどうですか?良かったらこの案で走る順番を決めたいと思います。いいで
 すか?」
司会の和が言うとみんな納得だ。この意見に決まり!清美さんすごいよ!私は清美さんに羨望のまなざしを送っていた。ここだけの話、和が好きな子って清美さんなんだ。うん、いいカップルだ!一人感心していると、
「じゃあ、スタートはクーがいいと思うけどなー。毎年クーってスタートで一位とってるだろ。」
ケイが言った。正直嬉しかったけれどやっぱりスタートを走りたい子はたくさんいるからそう簡単に「はい!やります」とはいかないのだ。今までの私だったら、
「はい!ケイくんありがとうございま~す。私が走りま~す。」
とかの冗談で切り替えしていたが、今の私はこのありがたい推薦が嫌だった。自分の意思に反して笑ってクラスを盛り上げる道化の役に魅力を感じなくなっていたからだ。
「でも、去年の運動会でえまちゃんもすっごいいいスタートだったよ。クーちゃんの次の二番だったけど。」
えまちゃんと同じクラスでもなかったれんちゃんが言った。れんちゃんは私と同じクラスだった。
「えまちゃんがいいんじゃないかなぁ。きっと今はえまちゃんの方が速いよ。」
私は心の底からスタートを譲る気持ちで言った。
「えっ?たぶん去年もえまちゃんが速かったはずだよ・・・。」
えまちゃんに譲る気持ちでいったのが、れんちゃんやえまちゃんには「えまちゃんより速かった」という自慢に聞こえたらしい。どうしてそうなるんだよ。そう思っても後の祭りだった。
「そんなに速いって自信があるんだから、クーちゃんがスタートでいいんじゃない?」
れんちゃんとえまちゃんはまわりの空気なんてお構いなしですねちゃった。
 結局、学年練習では走順を固定せず色々試すことになった。もちろんスタートも私とえまちゃんが交代ずつ走る。そして、目標通りリレーの学年練習も毎回六組が一位をとった。後は運動会当日に一位になって、完全優勝を成し遂げるだけだった。
 運動会を明日に控えた日、学級会で運動会当日の走順が発表された。走順を決めたのはクラス役員と先生だ。私がスタートになっていた。そして、アンカーに渡す後ろから二番目も女子の人数が足りないということで、私が二回走ることになっていた。事実上の女子のアンカーだ。私がクラスの絶対的アンカー和にバトンを渡すのだ。誰の意見が通ったのかわからないけど、私にとっては雲行きが怪しくなる予感を感じさせる走順だった。
 運動会当日、私たち六組は劇的完全優勝を勝ち取った。本当に劇的だったんだよ。それは、スタートの私が転んで最下位からのレース展開になったから。みんなの頑張りで徐々に順位をあげて二回目の私も三人を抜いて二位でアンカーの和に渡した。和はバトンを受けたとたんに力強く走り出し、最後のコーナーで一位のクラスを抜き去り、一位でゴールテープをきった。運動場全体の大歓声は今までの運動会で味わったことのないものだった。担任の先生は興奮している。泣いている女子もいる。私は喜べなかった。喜びよりも安堵感の方が勝っていたから。もし、優勝できなかったら・・・膝小僧からじわじわ出てくる擦り傷の血よりも私の心の中はどくどくと怖さが溢れていた。
 待機場所のテントに戻ってくると、
「おい、クー。お前よく走ったな。おまえの二回目の走りがなかったら、一位は俺でも無理だったぜ。」
男子の取り巻きの中にいる和が声をかけてきた時だった。
「やっぱりスタートはえまちゃんの方がよかったんだよ。ひやひやもんだよ。」
れんちゃんとえまちゃんとそしてもとちゃんが歓喜の興奮をそのままに、私に詰め寄ってきた。一瞬のできごとに他のクラスの人までが私たち四人に注目するのがわかった。
「クーちゃん、自分が速いって自信持つのもいいけどさ、クラスの目標のことも考えたほうがよかったんじゃない?」
「別に、自信もってスタートをやるって自分から言ったわけじゃないけど・・・。」
「でもさ、クーちゃんっていつもいいとこどりじゃん。他の人にもゆずるってことも大事じゃない?」
「えまちゃんがスタートだったら、こんなひやひやはなかったよ。みんなにあやまりなよ。」
「そうだねっ。えまちゃんにスタートはゆずったほうが良かったかもね。みんな迷惑かけてごめんね。一緒に転んだ二組
 のマサミさん大丈夫か見てくるよ。」
 どこかのブレーキがすぅーと外れたかと思うと私はクラスを後にして走り出していた。心の中はすごい鼓動を打ってい
 た。

【九月二十三日(日)
《最高の運動会》
 運動会の目標だった
『みんなで協力して、リレーの完全優勝を勝ちとろ』
『運動会で六組の一致団結を深めよう』
を達成することができた運動会でした。
 スタートで転んでしまったけれど、みんながカバーしてくれたので優勝することができました。みんなにありがとうと伝えたいです最高のクラスだと思います。本当にうれしかったです。】

【九月二十三日(日)
《最悪の運動会》
 最悪の運動会。何なんだよ。れんちゃんたちはいつもそうだ。四年生の時と全く変わってない。ぜんぜん楽しくない。最悪だ。最低で最悪な運動会だ。】

運動会の振替休日がすぎ学校に行くと、私はクラスで孤立した。誰も口を聞いてくれなかった。清美さんだけ、
「くだらないから、気にしないで。」
と一度だけ声をかけてくれた。ひろ子さんは、
「ごめんね。」
といってきた。あやまらなくてもいいんだよ。ひろ子さん。ひろ子さんは悪くない。その時の私はれんちゃんたちに対して、『口きかないんだった一生話しかけてくるな!本当にくっだらない。』と思って気にしないことにした。
 私がクラスのみんなに無視されても、どうして落ち込まずそれを受け入れたかというと・・・四年生の時のある出来事があったから。あの出来事は絶対に忘れられないし忘れてはいけないことなのだ。

            一年前の出来事
 
 四年生の五月、ゴールデンウィークが終わって鬱陶しい梅雨の季節だった。そんな日にクラスのみんなに思いがけない刺激がやってきた。転校生がやってきたのだ。みんな大騒ぎ。そりゃそうだよね。転校生が嫌いな人っている?私が知る限りそういう人を見たことがない!
 転校生の名前は「松田 ちえ」さん。もちろん女子です。先生と一緒に教室に入ってきた松田みえさんは小っちゃくてランドセルに負けていた。ワクワクしながらも何だか期待外れのような、肩透かしのような感じを勝手に受けた。本当に勝手だよね。その時の私は自己中で何でも自分の思い通りに行くと信じていたから、本当にそう思ったのかもしれない。
 「級長は休み時間に先生のところへ来てくださいね。」
級長が転校生とペアになるんだ!転校生にいろいろ教えてあげたりする役目だ。級長・・・私だ!
 ちえさんは第一印象の通り静かで、弱弱しいしゃべり方でおまけに勉強が苦手だった。最初の頃は優しくしていたけれども、何でもせっかちに決めて行動していた自己中の私には荷が重かった。いやそうじゃない。ペースが崩されることにイライラしていたのかもしれない。いつの間にかちえさんにきつく当たるようになっていった。
「ちえさんてさ、名前はちえなのに、考えて行動することできないの?名前負けってこういうことじゃないの?」
「クーちゃん、きついなあ~。」
まわりののメンバーはそういいながらも、ちえさんのことを笑い飛ばした。
 どんなに嫌味を言ったり、無理難題を言ってもみえさんは絶対に先生に助けを求めたりしない。そんな彼女をいいことに私たちグループはちえさんを言葉や態度でいじめるようになっていった。わたしたちは調子にのっていた。
「ちえさんって、勉強できないだけじゃないよね。こんなに嫌なことされても離れないし、クーちゃんのそばを離れない
 なんておかしいよ。」
れんちゃんが不思議そうに言った。
「何にも考えていないんじゃないの?先生にいわれて一緒にいるけどさ、もういやなんだよね。近くに来てほしくない
 よ。」
「わかる!ねえ、明日からさ無視しない?そしたら別に意地悪でもないし、ただ無視するだけ。」
「れんちゃん、ナイスアイディア!さっすがー。」
 ちえさんは決して自分から声をかけてくる子じゃなかった。静かにそばにいて静かに微笑んでいるだけ。私たちの『無視作戦』がスタートしても、効果があるのかないのかわからなかったけど、私たちの中ではグループみんなで無視するという連帯感だけで満足していた。もちろんその時のちえさんの気持ちなんて考えることなんてしない。もしも考えるということができているのであればそのような行為には決して走らない。
 うっとうしい梅雨が去って本格的な夏の日差しが照りつけるころになっても、ちえさんはどんなに無視されても私たちのグループから離れなかった。運動も苦手だったちえさんにあてつけて全速力で走って隠れて、遅れてきて私たちを必死に探し回るちえさんをみんなで笑ったりしていた。
 夏休みまであと2週間となったある日、
「ちえさん、明日から夏休みまで短縮授業だよ。暑いから午前中でで学校終わるよ。知ってた?」
ただ首を横に振るちえさんに、
「給食もないからさ、お母さんにちゃんと伝えたほうがいいよ。」
私は転校生で短縮授業のことを知らないと思ったし、ちえさんのことだから、学校からの手紙をお母さんに渡しているか疑わしかったから念のために確認してみたんだ。それに、ただでさえ体が小さいみえさんが午後の分までランドセルに教科書を入れるのはきついだろうなってなんとなく思ったからだったんだけど。
「クーちゃんさ、なにいい子ぶってんの?無視しようって言ったのクーちゃんじゃない!」
れんちゃんやまーちゃん、なおちゃんが怒った顔で言ってきた。
「・・・・・・・。」
「無視しようって言ったのはれんちゃんだよ。」
「そうだったっけ?私が言ったっけ?クーちゃんじゃなかった?」
「でもさクーちゃんってホント、八方美人だよね~。」
いつもはあまり意見しないなおちゃんがいった。
「八方美人ってどういうこと?」
いつもれんちゃんのご機嫌取りのまーちゃんが訊くと、
「だれにでもいい顔してさ、好かれたいって思っている人のことだよ。」
なおちゃんがいうと隣でれんちゃんがうなずいている。
「なるほど~もぉ~、なおちゃんがさ、美人美人っていうから照れたよ。ちがうよ、先生が伝えておきなさいっていうか
 ら、しょうがなく声かけたんだよ。まさか、自分からかけるわけないさ。」
嘘ついた。それにしても、いつのまにか無視しようとアイディアを出したのが私ってことになっていた。違うでしょ。それはれんちゃんでしょ。釈然としない思いが心の中に広がっていった。
 短縮授業が始まって一週間たった日のことだった。初めてちえさんがみんなに声をかけた。
「明日、学校が終わったら私の家にきてくれる?お母さんがみんなを呼びなさいって。」
「何で?必ず?」
私がちえさんに問いただすと、ちえさんは小首をかしげていつものように微笑むだけだった。私の心の中はざわざわ波立っていく。
「え~。私たちみんな?必ずだわけ?」
れんちゃんは必死になってちえさんに問いただすけれど、ちえさんは静かにうなずき微笑むだけ。対称的に私たち四人の表情はみるみるこわばっていくのがわかった。
 その日の放課後、四人は集まって黙り込んでしまった。
「絶対叱られるね。ちえさんのお母さんに。」
なおちゃんはあきらめたような声で言った。
「いかなければいいじゃない?無視しようよ。」
泣きそうにすがるような顔でみんなを見回すまーちゃんになおちゃんが、
「行かなかったらお母さんが絶対先生に言うよ。やばいよ。」
・・・・・・・・・
「行くしかないじゃん。みんなで行ってあやまるさ。」
そういいながら心の中で、「な~んだ。みんなちえさんにやっていたことってひどいことって思っていたのか・・・」と思っているとれんちゃんが口を開いた。
「そうだね。行くしかないよ。で、言い出しっぺはクーちゃんだから、クーちゃんが代表であやまってよ。」
なんだそれ!れんちゃんずるいなぁ。でも、れんちゃんには誰も何も言えない。言って波風立てるよりもここはその意見をのんだほうがいい。
「オッケー。級長だし。私が謝るよ。」
嫌な役回りを買って出たなあと思いながらも、れんちゃんの機嫌を損ねるよりはいいか!という思いで私は言った。それにしてもこの期に及んでも私たちはちえさんを無視していた。ちえさんにやってきたことを棚に上げて自分たちの保身だけを考えていた。
 次の日の朝、早速ちえさんに家の場所と一緒に行くかということを訊いてみると、
「私は先に帰っているから、ランドセルをお家においてみんなそろってきてくれたらいい・・・と思う。」
はにかみながら答えてくれた。どうして私たちがお母さんに叱られるというのにはにかみながらいうのだろう。そのことをみんなに報告すると、れんちゃんは、
「仕返しだね。今までの恨みをはらせるから嬉しいんじゃない?」
そうかな?そういう風にはみえなかったけど・・・まーちゃんとなおちゃんはもうメソメソし始めている。
「ちえさんのお母さん、恐いかな?明日は先生に呼び出されたりしないかな?」
「ほんのちょっと無視しただけなのに、お母さんに告げ口する?」
れんちゃんは開き直っている。
「まーちゃん、なおちゃん、もう心配してもしょうがないよ。ちえさんの家に行くのは今日の放課後なんだよ。」
「クーちゃんは恐くないの?すごく叱られるかもしれないんだよ。叩かれるかもしれない。」
「まーちゃん、ちえさんのお母さんがそんくらい怒ると思っているってことは、みえさんにやってきた意地悪はすごくひ
 どかったって思っているんだよね。」
「う~ん・・・かわいそうだなって思う時もあったよ。」
『はあ~!何を今さら・・・・・。』心の中で愚痴った。
「とにかく、告げ口するちえさんってひどくない?告げ口する前にグループのみんなに文句言えばいいのにさ。」
「ほんとだよねー。れんちゃんの言うとおりだよ。あんなに大人しそうな顔してさ、やることはいっちょまえなんだか
 ら。」
なおちゃんの心配の矛先がちえさんに向いてきたタイミングで、
「とにかくみんなで行くってことで。」
「そうだね・・・・」
 ちえさんの家は社宅だった。家の前でどのくらい待っていたのだろうか、ちえさんが砂いじりをしながら待っていてくれたみたい。そして、私たちを見つけたちえさんは私たちに声をかける前に、走って家の中に消えたかと思ったら、お母さんと一緒に私たち四人をむかえてくれたのだ。
「いらっしゃい。急にお声掛けしてごめんなさいね。さっどうぞ」
ちえさんってお母さん似なんだな・・・そんなことを思いながら私を先頭に家の中に入っていった。
「こんにちは。おじゃまします・・・。」
すっきりと整理整頓された家の中はただっぴろかった。殺風景に感じるのは緊張しているからだろうな。借りてきた猫のようにこそこそと、か細い声で挨拶を済ませると襖の向こうの部屋に入った。
 襖を開けたお母さんの後に続いて中に入って私は驚いた。いや、みんな驚いたに違いない。テーブルの上にはなんとテレビでしか見たことがない“ショートケーキ”とジュースが準備されていた。そうか、「叱った後にケーキで中和するのか・・・」とわけのわからないことを考えながら勧められるがまま、生まれて初めて勧められた座布団に座った。
「こんにちは。私たちはちえさんと同じクラスで・・・・・」
私は自己紹介と意地悪の謝罪をしようと一番に口を開いた、その時、
「あなたがクーちゃんね。いつもうちのちえが大変お世話になっています。本当にありがとう。他の皆さんもいつも、ち
 えと遊んでくれてありがとう。そして、今日は来てくれてありがとう。」
お母さんは何を言いたいのか、どういう作戦なのか。動揺を隠せない私にお母さんが、
「転校してきてちえが明るくなったのよ。どう?学校は?って訊くと、クーちゃんって子がいつも一緒にいてくれて遊ん
 でくれるって。今までの学校で一番楽しいって言ってるのよ。ちえはお父さんの仕事の都合で転校ばっかりしているか
 ら。お友だちなんて全然できなくてね。」
お母さんがちえさんに優しく声をかけても、ちえさんは相変わらずはにかんで微笑んでいるだけ。ちえさん!違うでしょ!私たちちえさんに何してきたの!わかっているでしょ!私の頭の中はぐちゃぐちゃになって、心の中はずきずきずきずき疼きながら鼓動が早くなった。「お母さん、違います。私たちはちえさんに意地悪ばかりしていました。ごめんなさい。ごめんなさい。」今だ。今、ちゃんと伝えなきゃ。
「さっ。今日はみなさんにお礼がしたいから。遠慮しないで召し上がって。どうぞどうぞ。」
ちえさんの顔を見ることができない。れんちゃんやまーちゃん、なおちゃんの顔も見ることができない。私はずっと壁に掛けられているちえさんの赤ちゃんの時の写真を見ていた。今とは違って大きな口を開けて笑っている赤ちゃんの時のちえさん。この赤ちゃんの満面の笑い顔が、私の頭にそして私の心に鉄槌を打ち込んだ。
「クーちゃん。どうぞ食べて。」
ちえさんが初めて私のことを『クーちゃん』と呼んだ。
「うん。ありがとう。いただきます。みんな一緒に食べよう。」
ケーキを食べながら、れんちゃんたちはいろいろちえさんに質問していた。今までどんなところにいたの?とか、一人っ子なのとか、今更な感じだけどちえさんを楽しそうに答えてくれていた。私は会話に入ることができずにモクモクと“ショートケーキ”とジュースを胃に流し込んだ。その時、
「ちえがね、クウちゃんはクラスのリーダーなんだよって、何でもできて人気者なんだよって私に毎日話してくれていた
 のよ。あなたのようなクラスのリーダーが、うちのちえのことを仲間に入れてくれてホントに嬉しかったのよ。何度言
 っても足りないわ。ホントにありがとう。」
れんちゃんたちはみえさんのおもちゃを見せてもらって、キャッキャッと笑いながら遊んでいる。
「お母さん、私は何もしていません。でも、これからは・・・。」
「学校は今日までなの。転勤が急に決まって。明日、滋賀県に行くのよ。向こうでもクーちゃんのような子がいてくれた
 らいいなあっておばちゃん思っているのよ。」
シガ?どこだよ!何を言ってんの?おばちゃん?
「ちえが言わないでって言っていたから、転校のこと内緒ね。」
 何をして何時間いたのか、まったく覚えていない。とにかく早く帰りたかった。帰って頭の中を整理したかった。頭の中がパンク状態だ。どういうこと?
 帰るときお母さんが、
「ちえ、下までお送りして。みなさん、今日は本当にありがとう。気をつけてお帰りになってね。」 
「ごちそうさまでしたー。さよーならー。」
三人は来た時と同じ子かと不思議に思うくらい、明るく元気いっぱいに挨拶してちえさんと手をつないで廊下を歩いていく。
「今日はありがとうございました。」
「クーちゃん、元気でね。」
お母さんの顔を見ても私はうなづくことができずに、背を向けて走りだした。後ろめたさが後押しして一度もふり返らないで走った。
 社宅の中庭で四人が笑いながらおしゃべりをしている。とはいっても、ちえさんはいつも通りうなづいたり小首をかしげたりしながら微笑んでいる。
「クーちゃん遅かったね。どうしたの?」
なおちゃんが言った。
「ちえさん今日は遊びに行けないんだって。残念だよね~。」
まーちゃんが言った。
「ちえちゃんってちいちゃくてかわいいんですけど~。クーちゃんは今から遊べる?」
ちえさんの頭をなでながられんちゃんが言った。
「家帰る。遊べない。」
「そっか!それじゃ、なおちゃん、まーちゃん遊びに行こうよ。」
「うん、いいよー。」
二人が同時に答えると、
「バイバイ!クーちゃん、ちえちゃん。」
三人は大きく手を振って走っていった。
 三人はどこで遊ぶのだろうか。何して遊ぶのだろうか。何を感じているのだろうか。私にはわからない。そういう私も今、何を感じ何を考えているのかわからない。でも、やらなくちゃいけないことはたった一つ決まっている。
「ちえさん、今までちえさんに・・・・。」
すると、みえさんは私が言おうとしていることをさえぎるように、
「私もクーちゃんって呼んでいい?またね。ばいばい。バイバイ」
それだけ言うと走って、階段を上って行ってしまった。私がやらなくちゃいけなかったたった一つのことはできずに終わった。
 家に帰る道すがら、私は恥ずかしくて恥ずかしくて、悔しくて悔しくて涙がこれでもかというくらい溢れてきた。やらなくちゃいけないたった一つのことができなかったことが悔しくて悔しくて。そして、この二か月近くの自分のとってきた行動が醜くて恥ずかしくて、照りつける太陽にこのひどい人間をバターのように融かしてくれと願いながら歩いた。
 私を融かすことができない太陽よ、融かすことができないのならお願いだ、これからの私をずっと見ていてくれ。私は絶対に今後意地悪はやらない。絶対だよ。人が嫌な気持ちになるようなことは絶対にやらない。そして、人に寄り添える人間になる。太陽よ、これからずっとこの私を監視していてくれ。
 約束通り太陽は私が家に着くまでずっとそばにいてくれた。そして、今もこれからもずっと私のことを空から見てくれている。この時の約束を私は絶対に守り通す。ちえさんの微笑みに誓って。

五年生になって私は今回のクラスのみんなの態度も、自分も一度やったことのある意地悪が自分に巡り巡ってきただけと受けとったのだ。そう考えるとクラスみんなからの無視も自分が蒔いた種だからしょうがないと、落ち込まずに受け流すことができた。
 すると、二カ月たった二学期の終業式の日にれんちゃんが、
「クーちゃん、もう反省したでしょ?」
とこれまでと変わらない笑顔で言ってきたときには、
「えっ?何が。何を反省するわけ?」
というと、えまちゃんが、
「クーちゃんには伝わらなかったのかぁ。」
とわざとらしいリアクションでいってきた。
「クーちゃん、れんちゃんがまたクーちゃんを仲間に入れようっていってるよ。」
えまちゃんこそ何もわかっていないよ。本当に疲れる。私はこういうことにいちいちお道化て付き合っていたのか。バカだったのは自分だったんだ。でも、私は来るもの拒まずの精神で、
「ふ~ん意味わかんないや。でも明日から冬休みだからいいか。」
と何事もないように、当たり障りのない返事をした。この二カ月は何だったのだろうか。誰かを反省させるって君たちは閻魔大王か。
でも、いいんだ。明日からは冬休み。また近所の幼馴染たちと目いっぱい遊ぶんだ。短い間だけど学校バイバイ。クラスメイトたちバイバイ。運動会の日の澄み切った空のように私の心は晴れ渡って、冬休みに遊ぶ計画に頭がいっぱいになっていた。

【十二月二十三日(水)天気(くもり・晴れ)
 明日から冬休みです。冬休みはお正月があるのでとても楽しみです。
  今年もとても楽しい学校になりました。それは学級がまとまっていたからだと思います。この学級とも残り三か月になるので新しい年も、元気いっぱいやっていきます。
 先生、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。よいお年をー(先生がこの日記を読むときは三学期だけどね)】

【十二月二十三日(水)天気(くもり・晴れ)
 今日は二学期の終業式。そして私への無視が終了した日。
 無視してもらったおかげで学級の中をじっくり観察することができた。おとなしい人が集まったグループも休み時間は声をあげて笑いながら遊んでいた。和たちは運動が苦手な男子と将棋をして楽しんでいた。なーんだぁー。みんな平和だ。観察も楽しかった。平和よろしく。】

               冬
 
冬休みは思った以上には幼馴染たちと遊ぶことができない。なぜなら、それぞれのお家では年末の大掃除で、いくら子どもでも勝手に遊びに行くことができないからだ。冷たい水に手を突っ込んで雑巾を洗い、母の立てた一週間の大掃除計画が進んでいく。このままだと掃除で冬休みが終わっちゃうよ。でも、親の決めたことは絶対だから、あの兄で天気(くもり)さえきっちり掃除をこなしている。

【十二月三十日(水)
 大掃除はめんどくさいけれど一年のすすをはらうという大切な行事です。家でもみんなで協力して大掃除をしました。なんだか気持ちもすっきりとしました。新しい年を迎えることができるなあと思いました。】

【十二月三十日(水)天気(くもり)
 年末の大掃除ほどきらいなものはない。寒いし遊べないし、ホントのこと言うと掃除したってきれいになるような家じゃないよ。
 じゃんけんで分担しようといった兄ちゃんがまたズルするしさ。最悪だよ。でも、掃除が終わったあとのコーラはすき。コーラよろしく。】

大掃除が終わったら、ホントに大晦日だ。明日は新しい年がやってくる。お正月だ。幼馴染とは掃除の合間に遊んでいたから、休みが全てつまらないというわけではない。夕方の日が落ちるまでのわずかな時間に家の前の道路に集まりカンケリや三角ベースボールそして近くの山の洞窟探検。遊びはいくらでもあった。今と違ってお金もかからないしアイディア次第で夢中になれる遊びはゴロゴロしていた。
 お正月になると私には地獄が待っていた。毎年お正月のこれが嫌だった。これって・・着物を着せられることだ。我が家では着物を着ることを『お太鼓を着る』と言っていた。本来お太鼓というのは帯の結び方らしいが、我が家ではお太鼓といえば、お正月に子どもが着る着物のことだった。言っておくが着物を着るということは髪飾りもするということだ。どうして私のような超ショートカットの髪にまで飾りをつけて着飾らないといけないのか。屈辱的なまでのお正月恒例の装い。どうして母にかたくなに抗議をしなかったのかいや、親に抗議なんてできない。私は毎年お正月は、失笑の的になるのであった。近所の幼馴染たちも声に出して笑わないけれど、正直に言ってくれた。
「クーちゃん、それ何時まで着るの?」
「でましたー。お正月のクーちゃん。」
「早く脱いで遊ぼうよ。」
「オッケー。おばあちゃんちから帰ってきたら遊べるよ。ねえ、何して遊ぶ?カンケリ?三角ベース?」
「運動場で凧揚げやろうよ。そしてカンケリ。」
「わかった。運動場で待っててよ。」
遊びの計画は万全だ。あとはこの着物とおさらばすればいいだけだった。しかし、今年はここで事件が起きたのだ。この事件によって、この着物を着ることがこの年が最後になってしまうのだ。それは、結果的にはすごくうれしいいことだけど、悲惨な出来事が私をおそったんだよ。
 それは正月恒例のおばあちゃん家に新年の挨拶とお年玉をもらいに行くときの出来事だった。この年のお正月は小雨がパラつく寒い日だったけれど、兄と妹と一緒におばあちゃん家に行くころには雨もあがって日差しがのぞいていた。妹も着物を来ていたが兄は普段通りの格好だったから溝も飛び越え(当時は溝には蓋がされていなかったのだ!)走って一人勝手に行ってしまった。私は三つ下の妹と一緒に歩きにくい着物で歩いていると丁度溝のところに車が止まっていた。『通りにくいなあ』と思ったとたん足を滑らせ私は溝の中に落ち、ぴったりと溝にはまってしまった。頭の方から足の方に向かって溝水がちょろちょろと流れていった。溝にぴったりはまってしまったもんだから起き上がることができずにいると、落ちてもいない妹が大きな声で泣きだし兄を呼びにいってくれた。血相を変えて来てくれた兄は私の姿を見て大笑いして、助けるどころか姉を呼びに行ったのだ。おいっ早く助けるのが先だろと思いながらどれくらいの時間が過ぎただろう。ほんの二・三分だったかもしれない。姉が来てくれた時にはちょろちょろだった溝水で私は着物ごとまさにどぶねずみ状態になっていた。急いで起こしてくれたお姉ちゃんが手をつないで家まで連れていきそのままお風呂場へ。五年生にもなってお姉ちゃんにお風呂を入れてもらった。人生でお姉ちゃんに入れてもらったのはこの時が最後だ。夏休みにどぶさらいをもっと真剣にやっておくべきだったと思っても、後の祭りだ。
 私はお風呂に入れば、きれいさっぱりになったが、着物はそうはいかなかった。お母さんが、
「この着物はもう駄目だね。まっ今年のクーちゃんが着た時ちんちくりんだったからもういいね。」
「それにしても、クウは今年もおっちょこちょいの年になるのかしら。正月早々ほんとにやってくれるわ。」
私はちんちくりんの着物を着ていたのか・・お姉ちゃんがこっそり「もう着なくていいんだって。よかったね。」
と言ってくれたが、いくら何でもちんちくりんの着物でドブネズミはない。とんだお正月だった。
 でも、いつまでも落ち込んでいられない。冬休みは短いのだ。残りの休みを楽しく過ごすことを考えなくてはいけない。どぶに落ちてかわいそうなクーちゃんでお母さんからおこづかいをもらう作戦を実行してみるか?

【一月一日(金)元日 天気(雨ときどきくもり)
 あけましておめでとうございます
新年は昨日と違って気持ちが晴れ晴れになるから不思議です。
 今日、おばあちゃんの家に行くときに転んでしまい、着ていた着物をダメにしてしまいました。おかあさんにあやまりました。今年はなんでも落ち着いた行動ができるようにしたいです。】

【一月一日(金)元日 天気(雨ときどきくもり)
 おたいこさらばでおめでとうございます
どぶのおっこちたのは本当に最悪だったけど、おたいこをほうむりさることができたのはいいことだ。ハハハ!わたしはただでは転ばないのだ!
 そういえば、お年玉ってどうなっているんだろう?お父さんお母さんからもらう五百円のお年玉以外は使ったことがない。まあいいや、五百円で何買おうかな?考える今が一番楽しいぜ。そうそう【あけましておめでとうございます】今年も楽しいこといっぱいありますように。お正月よろしく。】
 
お正月は三が日なんてあってないようなものだ。親戚が集まるイベントが終わるとつまらないテレビばかりになるようにお正月気分も薄れていく。そして、三学期が始まる。学年の締めくくりだ。

              あたらしい春
 
決まって三学期の初日には、お年玉の金額勝負か金額自慢が始まる。こういう時に気づかされるんだけど、「うちって結構貧乏なんだな」とか、「ホントにこんなに貰ってるのかな」とか、そういう現実を受け入れていくことになる。それってみんな違うことが当たり前なんだということを自覚していくいい機会となっていた。
「クリスマスプレゼントでさ・・・」
「サンタさんがきてプレゼントを・・・」
『へぇ~みんなのところにはサンタさんが来てプレゼントまで貰っているんだ。』我が家ではありえない話を聞きながら、早く先生来ないかなと待ち焦がれる私がいる。れんちゃんたちは二学期のことなんて全くなかったように、普通に話しかけてくるけど私はどこか一線をひいていた。いじけているわけではない。すねているわけではない。私の心の休まる相手ではないということ。待てよ。それなら私は誰かの心の休まる人間になっているのだろうか。色々なことを考えていると休み時間なんてあっという間に過ぎていく。気が付くと周りの喧騒がツーと耳から消えて自分一人の思考の中に沈み込んでいく。でも、何だろう、この心地よさは。バカして遊んでいるときももちろん楽しかった。でも今は自分と関わりのあることを考えることが、答えは出てこないけれどすごく居心地のいいものに感じていた。みんなはどうなんだろう。今の私のようにやっぱりどこかで色々と考えているのだろうか。そして、その考えをお互いに出し合い話し合うことってあるのだろうか。いや、そんな自信はない。そして、自分の頭の中に誰も入ってきてほしくないとさえ思う。
 そのころから私は本をよく読むようになった。読書をするのには二つのメリットがある。一つは、物語の中に新しい可能性を見つけることができた時の楽しさを味わうこと。そして、もう一つはクラスの中で違和感なく孤立することを許してくれるということだ。
 ある日の放課後、図書館で本を選んでいると、
「クーちゃんって本が好きなんだね。どんな本が好きなの?」
清美さんが図書館で話しかけてきた。
「ノンフィクション!特に探検家の話や遺跡についての本が好きかな。」
「ふふふ。クーちゃんらしい。相変わらず面白いね。物語は読まないの?」
「うん。一度裏切られたから物語は読まなくなったよ。」
「裏切られたってどういうこと?」
「前に『不思議な国のアリス』って本を読んでさ、すごく面白くて夢中になって、ご飯食べるときも読んでテレビも見な
 いで読んで、本当に物語の中に入り込んで・・・面白かったわけ。」
「うん。私も読んだことある。すごく夢があって面白い本だよね」
「そこなんだよ。夢なんだよ。子どもをあんなに夢中にさせて読ませておいて、最後はアリスの夢でしたって!正直ふざ
 けるなって思ったんだよね。だから、あれからは物語は読まなくなったの。裏切らないノンフィクションが最高!」
一瞬、清美さんは口を開けたまま私のこと見ていた。と次の瞬間大きな声で笑い出した。
「クーちゃんて本当に面白いね。今までわざと面白いことをしているんだって思っていたけど、ほんとのほんと面白い人
 だったんだね。最高だよ。ねえ、クウちゃん、もしよかったら私が紹介する本を読んでみない?そして感想を聞かせて
 よ。無理にじゃなくていいよ。」
私は清美さんの何気ない一言に、頭を殴られたみたいだった。そして、顔がカーっと熱くなるのがわかった。初めてだったから、本当に素の自分の考えを言えたのが。そして、それをそのまんま受け入れてくれたから。嬉しくて清美さんに恋したみたいに(恋はしたことないけどきっとこんな感じだ)清美さんの顔をじーっとみつめる自分がいた。
「私はさ、アリスのただの夢ではないと思うんだ。ウサギを追いかけていくアリスは何かを求めていたんじゃないかな?
 その何かを読んでる私たちも一緒に考えることができるのが物語のそして読書の面白いところだと思うよ。だから、私
 が感じたこと、クーちゃんが感じたことなんて違っていいんだし、逆に違うほうが楽しいじゃない?」
「そっか~。確かに夢でしたチャンチャンだとあんなに有名な物語にはならないよね。映画もヒットしたみたいだし。」
「えっ?映画もあるの?」
「うん。ウォルトディズニーの映画。」
「観てみたいなぁ。クーちゃんって映画も詳しいとか?」
「うちさ、父ちゃん・母ちゃんが映画好きでさ家族で映画よく見るんだよ。だから。特に洋画は好きだよ。詳しいかはわ
 からないけどね。」
「ねえ、私は本を紹介するから、クウちゃんは私に映画を紹介してくれない?」
「いいよ。まず一番目に紹介したいのは『ローマの休日』かな。覚えている?夏休みにさ、私がでっかいたんこぶをつく
 ってきたでしょ?そのたんこぶの名前の由来の映画だよ~。」
「覚えているよ。でも、たんこぶに名前つけたの?」
「そう。アン王女。」
「はははははは・・・。おもしろーい。じゃ、明日の昼休みね。そうだ。ひろ子さんも誘っていい?ひろ子さんてああ見
 えて推理小説の怪人二十面相が好きなんだよ。」
「へえ~そうなんだ。ひろ子さんは怪人二十面相だったのかぁ。ふふふふ。なんかおもしろいなあ。オッケー。ひろ子さ
 んにもいろいろ紹介してもらいたいって伝えて。じゃ、明日の昼休みね。楽しみだなぁ。バイバイ。」
 心からそう思った。『楽しみだな』って。そして、私は最後に清美さんに言った。
「清美さん。二学期の時に声をかけてくれてありがとうね。勇気をもらったよ。」
清美さんは微笑むだけで何も言わずにうなずいて帰っていった。明日、ひろ子さんにもあの日のお礼を言おう。
 私が知らないだけで、まわりのみんなにもそれぞれの楽しみな世界があるんだな。もちろんそれは違っていてオッケーなこと。なぜって、違っているほうがその世界を見せてもらった時の驚きと楽しみがあるじゃない?
 今までの私は、友だちみんなが同じじゃないといけないよってグループにいたけれど、本当の私を違っていても受け入れてくれる人たちに出会って、何か自分が大きく変わっていくような予感がした。その予感は、バッーと目の前に夏休みの青空が広がっていく爽快感に似ていた。
 それにしても、ひろ子さんが怪人二十面相だなんて・・・ちょっと想像できないよ。ポートボール大会の時にひろ子さんって楽しいことやっていたから、明日ももしかしたらまた笑わせてくれるかもしれない。もしかしたら、ひろ子さんて私よりもみんなを笑わせることが上手なのかもしれない。
 明日のことを考えると何だかワクワクドキドキしてきた。本当に楽しみだ。今日の日記は決まりだ。

【三月十日(火)
 今日の放課後、図書館にいったら清美さんに本を紹介してもらいました。
 今まではノンフィクションしか読んだことなかったので、紹介してもらった本を読むのが楽しみです。紹介してもらった本は『大きな森の小さな家』です。
 清美さんの話によると、ひろ子さんは怪人二十面相が好きだということでした。私はちょっと意外に思いました。ひろ子さんには、推理小説を紹介してもらいたいです。
 好きなことは違っていいんだなと思いました。そして、違う好きをたくさん教えてもらえたらなあと思いました。私も私の好きを紹介していきたいです。明日が楽しみです。】

【三月十日(火)
 今日、図書館で清美さんとおしゃべりをした。本の話や映画の話。楽しいとは違う安心できる時間だったというのかな。いや、やっぱり楽しかった。明日から学校行くのが楽しみになってきたぞぉ~。
 紹介してもらった本もおもしろい。冒険ものではないけれど主人公が大人になって自分の家族のことを書いた本なんだって。これってノンフィクションってこと?まあよくわかんないけど。
 明日の昼休み楽しみだな。清美さん、ひろ子さんよろしく】
 
小学生時代って、ほんの小さな世界の中ですごしている。家族・学校・近所。その中で日々起こることなんて大人になってみると、『懐かしいなぁ』とか、「こんなちっぽけなことで悩んだなあ」と思い出にふける程度かもしれないけれど、子どもは毎日必死に精一杯生きている。友だちや遊び、時にはけんかでさえも全て全力で。
こんなに小さな世界の中に子どもの生きざまが詰まっているのだ。けして、大げさではない。そして、この小さな世界は人生の中で一番学ぶことが多いのではないか。生きていく上で必要なことがたくさんあるように思う。目の前に、足元に、そして隣にいる友だちの中に。


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