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「人は見た目より中身」ってホントですか

誰かを評価するとき、見た目と中身のどちらを重視するべきかと聞かれたら、「中身!」と答える人が比較的多いのではないでしょうか。


「所詮顔がいいだけ」というのはよく聞きますが、「所詮優しいだけ」とか「所詮利口なだけ」とかはあまり聞かないし、
「見た目に騙されるな」とは言うけど、「中身に騙されるな」とはあまり言いません。

むしろ、外見は純粋に中身を評価するときの妨げになるとさえ思っている人もいるんじゃないでしょうか。


だけど私は、中身が良いことも、見た目が良いことも、同等にその人の能力に他ならないと思っています。
順番に考察していきます。


◯目に見えるものを見下していたら、現実世界で生きていけない

まず最初になんですが、「見た目よりも中身」と思っている人は、目に見えるもの見下す傾向があるのではないでしょうか。


"あるものの本質は、その内部にこそ宿っている。
よって、外見に対しては常に疑いの目を向けるべきであり、真実を突き止めるには、しっかりと見えざる本性を明らかにする必要がある
"……と。


確かに、優秀な学者にはこういう考え方をする人が多く、そのスタンスを貫いた結果、他の誰も気付かなかった事実を発見することもあるかもしれません。


ですが、普段生活していく中では、目に見えるものだって、目に見えないものと同じくらい大切になってきます。


優しさ、愛、生きる意味、魂…

それらについて考えることは確かに人生を豊かにしてくれます。
ですが正直に言ってしまうと、それだけではお腹はふくれないし、喉も潤いません。


物事の性質とは何なのか、因果関係とは何なのか、神とは何なのか、存在するとはどういうことか…

それらをテーマに学術論文を書くことはできるでしょうが、それに夢中になるあまり全裸で街をウロついたら、公然わいせつ罪で逮捕されます。

その時に、「いや、俺は真実にたどり着くために目に見えないものを探求しているんだ!」と言ったところで、相手にされません。
きっと、「そうか、でも今問題になっているのは、我々の目に君の服が見えないということだ」と言われて終わりです。


「大切なものは目に見えないんだ」という有名な台詞がありますが、現実世界で生きていくためには、目に見えるものから目を逸らさない力というのも必要です。

もしそれを徹底的に拒絶しようとするならば、一生象牙の塔に籠ることになります。
買い物にも行けず、友人も作れず…そんな生活が続けば、孤独のまま死ぬことになりかねません。


私は哲学を学んでいますが、普段生活する中では、哲学的な考え方を基準に行動しているわけではありません。

机を見て、「はて、これは本当に机なのか?私は夢を見ているのか?」なんていちいち思いませんし、しっかりと目の前にある物体を見て、それを利用しながら生きています。


目に見えないものがどんな時でも目に見えるものよりも優れている、と考えるのは、『星の王子さま』のストーリーのように神秘的ではありますが、少し偏った見方なのではないでしょうか。


◯見た目がいいことだって、才能

見た目は生まれつき差があるから、それで評価されるのは不平等。だから見た目では評価せず、中身の方を重視するべき!
と言う人がいます。


確かに顔立ちやスタイルは大方遺伝によって決まります。
でもそれを言い出したら、生まれながらにして頭がいい人や、運動神経がいい人だってたくさんいます。

手先が器用だったり、臆さずに人前で話せたりすることだって、立派な才能です。


そんな現実を考えると、持って生まれた才能を「ズルいから評価の対象外にしろ」と言うのは、果たして正当な言い分と言えるのでしょうか。


そもそも、その人がどの才能をどれくらいの努力の結果獲得したかなんて、はっきりとは分からないものです。
幼い頃の家庭環境はそれぞれ違うし、色んな出会いの中で才能はどんどん花開いていくものですからね。

頭の良さや運動神経だって、生まれつきの才能かもしれないし、努力の結果徐々に伸ばしてきたものかもしれない。
そしてそれは、見た目だって同じです。

生まれつき綺麗なのかもしれないし、化粧やファッションの研究、ストレッチなどでさらに綺麗になったのかもしれない。

「生まれつきの美人は苦労知らず」なんて、その人のこれまでの道筋を何も知らない赤の他人が言うべきことではありません。

もっと言ってしまえば、努力できることだって才能のひとつです。

世の中ではやたらと「努力」にスポットライトが当たる風潮がありますが、努力を称賛して才能を不平等の根源と考えることに、私は疑問を感じています。


だって、才能の絶対的な平等なんて、誰が実現できるっていうんですか?
同じ世界に生きながらもそれぞれできることが違うから、個性という言葉が生まれたんです。

むしろ、何かの才能を排除しようとすることの方が「不平等」です。

だから、中身と見た目のどちらが大事かなんて、決められません。
見た目がいいことも中身がいいこともその人の個性だし、才能なんです。


◯本当に中身が優れている人は、それが見た目にもちゃんと表れる

今さらですが、見た目というのは、単に顔や体つきのことだけではありません。
「この人、なんかいい人だな」と感じるとき、そういう要素だけが関わっているわけではないというのは分かっていただけるかと思います。

仕草、話し方、目の動かし方、言葉遣い…

それら全てが合わさって、その人独自の雰囲気が作り出されます。

そしてその時には、自然とその人の「中身」が滲み出てくるものです。

理屈っぽい人はそういう話し方になるし、控えめな人はそういう表情になります。
声や、表情のフィルターを通して外に出てくることで初めて、その人の中身が人に伝わります。

見た目と中身はバラバラに独立しているものではなく、深く繋がりあっているんですね。




人は誰でも、本音を言えば他の人よりも自分のことを高く評価してほしいものです。
だから、他の人の才能を妬んだり、自分の至らなさに辛くなったりすることもあります。当然のことです。

見た目がキラキラしている人を前にして、「中身は大したことないんじゃないか」と思ってしまうことだってあります。
見た目が派手だったり幸せオーラが出ている人は、嫉妬の対象になりやすいですからね。

だけど、そういうマイナスな思考から「見た目なんて大したことない」と思うのはやめましょう。
中身に対してそう思うのも同様です。
それはその人の才能と努力を否定することになるし、自分の成長も止めてしまいます。

私は、色んな要素から相手の魅力に気付いて、素直にそれに感心できる人になれればいいな、と思っています。



長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった人がいましたら、ありがとうございます。🙇‍♀️

だめだな、noteは長文になると読まれなくなるってどこかで読んだのに(笑)

何かご意見や感想があれば、気軽にコメントでおっしゃってくださいね(*´-`)


ではまた次回~



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