"劇的な瞬間"って、なに?
例えば、世界的に有名なアーティスト。その道で知らない者はいない学者。資産数億円の実業家。
そんな、この世で成功を納めた人たちを見るたびに、凡人の私がついつい思ってしまうことがあります。
それは、
「あの人たちは、人生の中のどこかのタイミングで、私には絶対訪れないような劇的な瞬間に出会ったんだ。」
ということ。
何かのコンテストに出場したとか、自分の思想を180度変えるような人と偶然出会ったとか。
あるいは、親が若い頃に亡くなったとか、全財産を失ったとか、そういう不幸な出来事も含めて。
そういう"劇的"な出来事との出会いが、彼らをその後の輝かしい人生に導いたんだ。
彼らが他の人を出し抜いて成功したのは、そういう奇跡的なターニングポイントがあったからなんだ…
キラキラと眩しい成功者の姿を見るたびに、私はいつも、そんなことを思ってしまいます。
だって、そう思うと納得できるから。
成功者の人生と私の平凡な人生の、決定的な違いに。
私はこれまでの人生で、これといって特別な出来事に巡り合ってきませんでした。
ただ平坦な毎日が続くだけで、大した谷もなければ、山もなかった。
だから、すごい人を見ると、ついつい思ってしまうんです。
私にも、人生を変えるような劇的な出来事が起こったら…って。
その運命的な出来事に導かれて、今とは違うどこか高い場所に辿り着きたい。
私を成功に導く流れに乗りたい。
発端さえあれば、私も頑張るから……って。
でも、本当は分かってるんです。
偉大な人たちと私の本当の違いは、劇的な瞬間の有無なんかじゃない。
確かにそういう出来事を引き寄せる運も大事だけど、問題はそこじゃない。
本当に大切なのは、与えられたチャンスに向き合って、その時にしかできないことを、精一杯頑張ることです。
確かに偉大な人の人生を遡ってみると、どこかの時点に何かのきっかけが転がっていることが多いです。
「あ、これがあの成功の理由か」って、後になって思えるような。
だけどそれは、その人がゴールにたどり着いた後だから言えることです。
「あの日が自分の人生を変えた」なんていう意味付けは、後からでしかできないから。
過去があるから未来があるんじゃない。未来があるから、過去に意味が与えられるんだ。
後の出来事なくして、"事の発端"なんてない。
私は、奇跡っていうのは、それだけで輝いている出来事のことではないと思っています。
ほんの些細な出来事でも、後々振り返ってみたときに、それが今の自分がいるきっかけになっていると思えたとき。
そういうときに、人はその出来事を奇跡と呼ぶんじゃないでしょうか。
例えば、道端でたまたま再会した高校時代の同級生と久々に話したら意気投合して、そのままお付き合いをして、結婚することになったとき。
道端で昔の知り合いに会うこと自体は、それほどレアなことではありません。
だけどきっと、その二人にとってその日は、将来を決定付けた運命の日になるでしょう。
人間はいつだって、現在から遡って過去の出来事を分析するものだから。
私の尊敬するギタリストの一人が、どこかのインタビューで言っていました。
「あの日は、僕らの人生で最良の日だった。」と。
「あの日」とは、バンドのメンバーの関係がこじれ、解散間近かと囁かれる中で参加したチャリティーコンサートが行われた日です。
そこで彼らは圧倒的なパフォーマンスを見せ、見事起死回生を果たしました。
私にはこれまでの人生で、「最良の日」と言えるほどのインパクトがある日なんてなかった。
だけどいつの日か、「あれが最良の日だった」と言える時がくるのかもしれない。
その日はもう過ぎているかもしれないし、これからかもしれない。
ある出来事がいいか悪いかなんて、その時には分からない。
過去の自分を評価するのは、いつだって未来の自分なんだから。
劇的な瞬間を待ちわびるのは、もうやめよう。
意味あることを見つけ出そうともがいたり、自分には何の価値もないと僻むのも。
人間は人生に、意味を見いださずにはいられない生き物なんだから。意味なんて、後々勝手についてくる。
ただ、自分の人生を生きればいい。
色んなことを経験して、愛して、精一杯生きればいい。
そうしていれば、いつか「今の自分がいるのは、あの頃のおかげだな」と思える日がくるはず。
人生100年時代。
焦らずゆっくり、歩いていこう。
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