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"信用"は滅びるか


私の体感なのですが、現代では比較的多くの人が「人を簡単に信じてはいけない」という考えを持っているような気がします。


まぁこれは確かに大切ですよね。

信頼に値する人かどうか見極めて、危なそうならそっと距離を置く。
自分が嫌な目に合わないようにするには、この意識は必要です。



だけど私は心のどこかで、人間って本来は相手のことを信用するものなんじゃないかな、とも思ってしまうんですよね。



ある程度深く関わってみないと、他人の本当の人間性なんてものは分かりません。
ほんの少し話をしたくらいで、信用できるかどうかを見極めるのはかなり難しい。


なのに現代のネット社会では、一人の人間が関わることのできる人数が一昔前と比べて大幅に増えました。
でも、それに伴って人間が「どれだけ関わる人が多くても、その全員と濃密な関係を築く能力」を手に入れたわけではおそらくありません。


「人を簡単に信用しない」ことが良しとされてるのって、ひょっとしたらこれが理由なんじゃないかな。

浅い人間関係の中で安全を確保するために、現代人はかつてよりも神経が鋭敏になっているような気がします。



小さい頃から親に「知らない人には気をつけろ」と教えられてきたけど、もし、ネットのネの字もないような時代に他人を疑うことが良しとされていたなら、極端な話、人間はとっくに滅亡してるんじゃないかなと思います。


血縁的・地縁的コミュニティの中では、自分以外の人たちと強く繋がりあうことで「外界」に立ち向かっていたから。


そんな環境だとむしろ、周りの人間を信用して尽くすことの方が美徳だったんじゃないかな。特定のコミュニティの一員として生活していくには、協力と貢献が不可欠です。



だけど今はもう、人は一つの土地に縛られなくなりました。
企業と社員の関係も以前より脆弱になったし、自分が今いる場所が嫌なら、決断さえすれば簡単に違う環境に行くことができます。


だから、他人のイヤな部分を見つけた時にすぐ「やっぱり信用できる奴じゃなかったんだ」と判断を下すのは、別に悪いことではないんですよね。

自分の人生をより有意義にするためにはいい環境に身を置く必要があるし、関り合いになりたくない人間を選り分ける術は、その際にはきっと役に立ちます。


だけど、あまりにも他人を疑いすぎると「自分以外の人間全員」が敵なような気がして、なんとも言えない息苦しさを感じます。


人間関係が希薄になるのは今の世の中では仕方がないとしても、誰かに疑いの目で見られるのは、自分がその人にとって恐怖と嫌悪の対象のような気がしてなんだか悲しい…。

こんな風に思う私は、弱いのかな。




カミュの『異邦人』に、こんな台詞があります。

人間は、どんなことにも慣れてしまうものだ


でも私はまだ、「人を簡単に信用しない」風習にどっぷり浸かれていないのかもしれません。
傷ついたり傷つけたりすることには常にビビってるくせに、ほんと、めんどくさいな。(笑)


誰かに気を許すのは怖いけど、広く浅い交遊関係を築くのも苦手…なんて、本当に生きにくい性格してんなぁと思います。


人と関わる時にどういうスタンスでいればいいのか。これについては、個人的にまだまだ検討する必要がありそうです。(-ω-;)

まぁ、今日はここまで。
少しでも共感してもらえれば嬉しいです😌

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