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おキレイな私とキタナイ私

noteを始めて1ヶ月ほど経ったのですが、毎日色々な記事を漁っていると、あぁ、世の中にはすごい人がたくさんいるんだな、と改めて実感します。

日常のちょっとした出来事や体験談を面白おかしく語るのが上手い人、話題のニュースや人間心理を鋭く考察している人、立派な肩書きがある人、目標に向かって頑張っている人、素敵な文章を書く人、趣味を極めている人、ハッとさせられるような考え方を持っている人……
挙げ出したらキリがありません。

私の知らない世界のことを発信できる人たちが、世の中にはこんなにいるんだ。
私なんかよりもずっとずっとすごい人が世の中にはたくさんいるんだ。……


そんな、前から気づいてはいたけれど気にしないようにしていた事実を、最近は無視するのが難しくなってきました。それと、その事実に対する自分の気持ちも。

だって、刺激的な記事を見たあとで、
「ふーーん、世の中には色んな人がいるもんだ。まぁ、凡人の私にとってはどこ吹く風。いつも通りポテチでも食べてダラダラしよっと」
とは、中々思えないわけで。

頭の中で2人の私が会話を始めてしまうんです。

おキレイな私「うわぁ、すごいなぁ。世の中にはたくさん立派な人がいるんだね。尊敬しちゃう。才能もあるかもしれないけど、きっと努力してるんだろうなぁ。」

キタナイ私「はッ、皆人生ガチ勢かよ。やってられんわ。何やったってその道のトップの人には勝てないし、私なんてどうせ負け組ですよ。」

おキレイな私「ねぇ、なんでそんなこと言うの?今の自分が大した人間じゃないからって、人のこと僻んだりするのやめなよ。」

キタナイ私「うるせぇよ。お前だって本当は嫉妬してるんだろ?なんで自分はこの人たちみたいになれないのかって。綺麗事ばっか言うなよ。」

おキレイな私「違う、綺麗事なんかじゃない。私は本気で、すごい人たちを見習って、自分ももっと上に行きたいと思ってるの。」

キタナイ私「それが綺麗事だって言ってんの。本当は、他の奴らを蹴落としたいんだろ?人の成功なんて認めたくないんだろ?自分の方がすごいんだって、上なんだって、そう思いたいだけなんだろ?」

おキレイな私「どうしてあなたはいつもそうなの?そういう黒い気持ちが、余計に自己嫌悪につながるって分からない?自分のみみっちさを明白にするだけだって。」

キタナイ私「そうだよ、私はみみっちいよ。だったらなんだ。自分の幸せを一番に願っちゃだめなのか。お前は、そんな器の小さい惨めな私に説教するためにここにいるっていうのか」

おキレイな私「ううん、私たちは二人で一人。幸せになりたいっていう思いは、私たち二人のものだよ。だけど、他人を僻んでるだけじゃ何にもならないでしょ。現実を見なきゃ。」

キタナイ私「黙れ。人間なんて誰しも腹ん中は真っ黒なんだよ。お前が見てるのは上っ面だけだ。人のことを素直に褒められる自分って偉い~って思ってるんだろうが、お前みたいないい人ぶってる奴が、一番見てて不快だ。」

おキレイな私「あ、そう。でも、人は褒め合うことで初めて互いにいい関係を築けるのよ。自分のことばかり優先して他の人の不幸を願ってばかりいたら、誰も応援してくれなくなるよ。」

キタナイ私「思うんだけどさ、世の中の人間が全員本当のことしか言えなくなったらいいのにな。そしたらお前は消えてくれるし、いい人ぶったり自分のすごさを必死でアピールしてる奴らの化けの皮も剥がれるだろ。きっと見物だぜ」

おキレイな私「言っとくけど、私は嘘なんてついてないからね。他の人を尊敬する気持ちも、自分を大切に思う気持ちも、どっちも本心。他の人を妬むことしかできないなんて、可哀想ね。」

キタナイ私「……なんか疲れた。休憩しないか」

おキレイな私「…賛成。」

とまぁ、なんかいい感じにまとめましたが(まとまってない)、だいたいこんな風な攻防が永遠と続いて、二人の私が互いに非難して、溶け合って、ぐちゃぐちゃになって……

平行線になってきて疲れたら、何も考えずに音楽を聴いたりギターを弾いたりします。

note以外でも、Twitterや本など色んなところで自分の至らなさを痛感するたびに、この二人は毎回終わりなき舌戦を繰り広げます。

ちなみにどっちが優勢かはその時々によって変わります。
よっしゃ頑張るぞ、全人類愛してる!!って思うときもあるし、何もしたくない、地球滅びないかなって思うときもあります。ないですか?

だけどやっぱり、どれだけ自信をなくしても、私は私を完全には見限られないから。実は、これが結構つらい。
いっそ、自分もやればできるんじゃないかっていう希望を持たなかったら楽なんだと思います。


でもやっぱりどうしたって、自己愛ってやつは中々消せない。腹の底からは、自分に絶望しきれない。

だからきっと、輝いて見える人たちに嫉妬してしまうんですよね。
自分とは住む世界が違って、全く関係のない存在だと思っているなら、そもそも嫉妬なんてしないはずですから。



人って中々自分のダメなところを他人に見せたがらないものです。

だから特に顔の見えないネット上だと、ハイスペックな人間がゴロゴロといるように見えてしまいます。


いや、その人たちが全員自分を取り繕ってるって言いたいわけじゃないですよ。ハイスペックな人は実際にたくさんいると思います。

私が辛いのは、ついその人たち「全員」と「自分一人」を比べてしまうということです。

あぁ、この人は文章が上手だ。この人は料理が上手だ。この人は音楽が上手だ。この人は人付き合いが上手だ。
世の中にはこんなにたくさんの「上手」があるのに、私はそのうちのいくつを持っているというんだろう、って。

よく考えたらこれってちょっとおかしいですよね。

世の中には70億人もの人がいて、月面着陸した人もいれば、深海に潜った人もいる。
計算が得意でコンピューターを自由自在に操る人もいれば、自分の世界観をアートで表現しようとする人もいる。

そんなたくさんの人たちの能力の総和と、私一人の能力。
その二つを同じ天秤に乗せるなんて、明らかに不合理です。

私には私一人分の力しかないし、その点ではきっと、全ての人は平等。自分が上手にできることの量は、一人分で十分なんだ。

そう理性では分かっているのに、つい私は、色んな人の能力を足し合わせた完璧人間を頭のなかで勝手に作り上げてしまっているんだと思います。
そりゃあ辛いわけです。敵うわけないでしょ。

身の丈に合った理想を、って言うとちょっとマイナスのイメージがわいてしまうかもしれませんが、すぐにたくさんの「すごい人」の存在を知れてしまう現代だからこそ、自分を大切にするための努力が必要なんじゃないかな、と感じています。

すごい人たちから刺激を受けながら、自分は自分と割りきるところは割りきって自信を持つ。

このバランスって、とってもとっても難しい。


でもそのバランスを取るために、「おキレイな私」と「キタナイ私」は喧嘩してくれるのかなと思ったりします。

色んな人から受けた刺激を素直に受け止めて、自分も頑張ろうとやる気を出させてくれる私。

自分と周りを比べてしまって落ち込んだ時に、あいつらにだって絶対ダメなところはあるさ、おキレイな感情だけで人が動くわけねーだろ、とか言って慰めてくれる私。

長い人生、ずっと気を張ってはいられないし、ずっと自暴自棄でもいられない。

あの二人は大抵いつも喧嘩してるけど、こんな世界で毎日生きる私にとってはどちらも大切です。

ちょっと、思ってることを吐き出したい気分でした。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

たまにブルーな感情が爆発してしまうのですが、それ以外の時は普通に雑学の話とかしてますので、よろしければ見にきてやってください。

全ての悩める人たちに幸あれ。

今回はここまで。
ではまた次回。

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