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「タンポポの綿毛ふー」がなぜ楽しいのか、真面目に考えてみた

タンポポの綿毛って、ふわふわしててかわいいですよね。

昔はよく「ふーっ」ってして遊びましたが(伝わる?)、もう長いことしてないなぁ。


あれめちゃくちゃ楽しかったからまたやりたいんですけど、なんせ今の自分が道端でタンポポ片手にニヤニヤしてるのを想像したらさすがに薄気味悪くて……😅

第三者に見つからずに、ゆっくりタンポポと戯れることができるスポットってないのかな。


そういえば、綿毛が耳に入ったら耳が聞こえなくなる、みたいな噂ってありませんでした?

昔の私はそれをまんまと信じていて、綿毛を飛ばす時は二重のドキドキ感を味わったものです。実際のところどうなのかは知らないけど。


だけどそれを差し引いても、あれに相当する楽しさって中々ないんじゃないかな~と思います。

シャボン玉とはまた違うんよね…
シャボン玉はどっちかというと「生み出す」喜びみたいなものがあるから。

タンポポの場合はそれとは違って、まあるい形を「崩す」ところに楽しさがある。
その点ではドミノとかに近いような気がします。


でも綿毛飛ばしは、息の量を上手く調整したら割と長時間楽しめるし、ふわふわで飛ばしがいのあるやつを見つけた喜びもあるから、準備がめんどうな割に一瞬で崩れちゃうドミノよりも総合的な快感指数は高いかも…?


まぁ何にせよ、まとまっていたものがバラバラに崩れるのを見たとき、私たちはもったいないと思うのと同時に、ある種の快感も感じるものなのかもしれません。


こうなってくると、破壊創造全体部分の関係について色々と考えさせられますね。

一つ一つの部分が緻密に集まることで美しい「全体」が作り上げられつつ、それが崩れる時にはある種の喪失感と幸福感を伴って「個」が解放される。

タンポポの場合は、丸くてふわふわの「全体」が破壊されることで、「個」の落下傘が空に舞い上がるというように。

もしかすると私たち人間も、何かから息を吹き掛けられることで、それまでの美しい呪縛から解放されることがあるかもしれないですね。



まぁ今回は、タンポポふーってするの楽しいよね、っていうことを言いたいだけでした(笑)


そういえば、もうすぐクリスマスですね。綿毛タンポポはまだ生えてないから、クリスマスケーキにロウソク刺して吹き消しておこうかな。

火がゆらゆらと揺れるのは見ていて飽きませんが、それを消すときも綿毛飛ばしと同じような楽しさを味わえるような気がします。

吹き消した後の煙の焼け焦げたようなにおい、結構好きなんですよね🎂



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