死は人生の終わりだけど、場合によっては救済でもあると思う。
死んだら全てなくなる、生きていなきゃ意味がない、って人はよく言う。
でも、生きることよりも別のことに希望を見出だした人にとっては、死はいわば救いのリセットボタンだ。
上手くいかないときや、ひどく落ち込んだとき。
私は、「この苦しみから逃れたい」と思う。
それから、「自分が自分じゃなかったらいいのに」とも。
今この人生を生きているのが、私じゃなかったら。
今私が生きているのが、この人生じゃなかったら。
「死」は、その願いを叶えるための強力な手段として、私の頭の中にポンと浮かんでくる。
世の中には自死を選ぶ人も少なくないが、その人たちはきっと、自分の生よりも、死の方に強い希望を見出だしたんだろう。
その具体的な理由はきっと様々で、「苦しみから逃げるため」かもしれないし、「愛する人の元に行くため」かもしれない。
あるいは「復讐のため」や「罪滅ぼしのため」かもしれないし、江戸時代なら「主君のため」だったかもしれない。
だから、必ずしも自死の理由は、人生に絶望したからだとは限らない。
ただその人にとって、生よりも死の方が何らかの意味で好ましかったのは間違いないと思う。
だから私は、「自殺は絶対悪だ。」と言う人には一言言ってやりたい。
死は、救済にもなりうるんだって。
自分の希望を実現させるための、強い意思による行為でもあるんだって。
たとえそれが他人の目から見たら馬鹿げたことに思えたとしても、その人にとっては、一番の願望を実現させる唯一の方法だったのかもしれないじゃない。
その人の意思を一切合切無視して、死を選ぶイコール悪だと決めつけるのは、ちょっと違うんじゃないかなと私は思う。
それにきっと、死ぬのは簡単なことじゃない。
顔も知らない人からの言葉や、ふと見上げたときの空。何かおいしいものを食べたとき。
絶望と絶望の間にも、希望は宿るから。
それらへの未練を捨てて逝くのは、簡単なことじゃない。
死への希望よりもこの世で見つける希望の方が輝いて見えたら、きっと人は生きる方を選ぶんだろう。
今のところ、私はそんな感じだ。
私も、そしてあなたも、自分の願いを大事にしている。自分にとっての希望を目指しながら進んでいる。
そう思うと、自分以外の人の意思も、心から尊重できるような気がする。
人の気持ちを自分にとっての正論で踏み潰すような人にはなりたくないから。
それはずっと、忘れずにいたいな。
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