たまには自分が生きている責任から逃れたっていいんじゃない
この世界がある意味とか、本当の自分って何だろうとか、ついつい考えてしまうけどさ。
実際には、私は色んなものや人に影響されて、動かされて、時には翻弄されながら生きていて。
そのことを思うと、何にも依らない「本当の私」なんて、本当はないんじゃないかという気がしてきます。
そもそも今ここにいるのだって、遡って考えたら「たまたま」だしね。
理想が高くて完璧主義で、なおかつ傷つきやすい私は、この意識になんだか救われる思いがするんです。
自分という存在を大きく考えすぎると、どうしてもそれに見合うような、立派な「生きる意味」を手に入れたくなってしまうから。
それは素敵なことではあるけど、たまにその責任の重さに疲れたり、今の自分のことが嫌になったり、他の人を見て暗い気持ちになったりする時もある。
そんな時は、自分が自分に課した責任や義務を、ちょっと手放してみてもいいんじゃないかな。
望みもしないのにこの世界の中に放り投げられた自分を労ったり、誉めたり、憐憫に浸ったり、のんびりと風に吹かれたりして。
そうすることで、疲弊してしまった心の柔らかい部分は、元気を取り戻せるんじゃないかな。
穏やかな目で世界を見てみると、その素朴なきれいさに気が付きます。
その瞬間、「自分がこの世界の意味付けをする主体なんだ」なんていう貪欲な考えは、途端にしゅんと消え失せる。
理想に向かって走り出した心が転んで傷ついた時には、自分自身からの重い責任を放棄することも大切なんじゃないかなと思います。
これから先も、前を向いて生きていくために。
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