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人の不幸を喜ぶのは人間の性か

誰かが辛い目に合っているのを見ると、思わず同情してしまいますよね。

人間は誰だって多少は自分以外の誰かを思いやる気持ちを持っています。

だけどその一方で、残酷な部分が少なからずあるのも確かで。


今日は、そんな人間の性を鋭く突いた『』という作品(芥川龍之介作)の中に思わずドキッとしてしまう文章があったので、紹介しようと思います。
まずはあらすじから。


禅智内供(ぜんちないぐ)というお坊さんの鼻はとても長く、本人はそのことで人々にからかわれ、内心とても悩んでいました。

なんとか短くしようと思った内供は、鼻を熱いお湯に浸けて弟子たちに足で踏ませるという方法で、鼻を短くすることに成功します。

これでもう笑われることはないと意気揚々と町へ出かけましたが、なぜか以前よりもさらに笑われてしまいます。

不思議に思った内供は、そこでふと、人間は人の不幸を喜び、幸福を妬むものなのだということに気が付きます。

内供は気分が悪くなり、鼻が短くなったのをかえって恨めしく思いました。

しばらくすると鼻は元のように長くなり、それを見た彼ははればれとした気持ちになって、「こうなればもう誰も笑うものはないにちがいない」とつぶやいたのでした。



短くてユニークなお話ですが、読み終えた時には芥川の洞察力がひしひしと伝わってきます。

特に私がドキッとしたのは次の箇所です。
鼻が短くなったにもかかわらず人々に笑われた理由を、内供さんが考察する場面ですね。

「――人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。ところがその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。――」




…どうですか。人間の奥底にある薄暗い部分を、実に鋭く突いた文章だと思いませんか。

特に「もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。」という部分には、思わずゾッとしてしまいました。
でも確かに、私にもそういう残酷な部分があるかもしれません。

あなたの心の中には、そんな気持ちはないですか?


芥川龍之介はきっと、人の優しさも汚さも敏感に感じ取ってしまうタイプの人だったんだろうな。

私もどっちかといえばそうだけど、もちろんここまでの文才はない。(笑)😅



それから、私は内供さんがコンプレックスだった鼻の形を変えられたことに「良かったね」と思えたけど、それは彼がひどく悩んでいることを知っていたからかもしれません。
町で彼を笑った人は、そのことを知らなかったのかも。
もしも知っていたら、私と同じように「良かったね」と思えたんじゃないかな。

人は、完璧な人よりも悩みや弱さを抱えた人により好感を持ちやすいものです。
このこともまた人間の弱さの一つかもしれませんが…。

自分の悩みは中々人に打ち明けられないものですが、勇気を出して知ってもらうことで、その悩みを克服したときにはその人に素直に祝福してもらえるかもしれませんね。




弱くて意地汚いところもあるけど、優しくて思いやりがあるのも確か。

性善説、性悪説なんて極端な枠組みでは把握できない複雑さを持っているから、人間は愛すべき存在なんじゃないかなと思いました。

読んでくださり、ありがとうございます✨

また次回。



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