見出し画像

私がダサかった本当の理由

こんなことはあまり大きな声で言いたくないのですが、私はダサいです。
服のセンス、髪型のセンス、メイクのセンス、すべてにおいて偏差値50以下。

今日は、なぜ私がダサいのか、その理由を真剣に考えてみました。
誰かの参考になればいいな…(*´-`)



結論から先に言ってしまうと、私がダサい理由は、「見たい」と「身に付けたい」を判別できていないからだと思われます。


服屋さんに入ったときのことを思い出してみると、ある服を見て「いいな」と思ったとき、私はいつの間にかそれを自分が着るということを度外視しているんですよね。


ですが、服というのは通常、鑑賞するものではなく着るもの。

雑貨とか絵の場合は自分がそれを身に付けるわけではないので単にそのものだけを見て好き嫌いを判断すればいいですが、服の場合はそういうわけにはいきません。

自分の姿と合わさって初めて完成するものである以上、服だけを見て判断するのではなくて、「自分の姿」もちゃんと念頭に置かなくてはだめなんでしょうね。


私は試着するのがめんどくさくて苦手なので、ついついマネキンの着ている素敵な服をそのまま買ってしまうことが多いです。
そして実際に自分が着てみた後で、「あれ、なんか違う」となることもしばしば。


ここで思うのは、やっぱり、「服そのもの」じゃなくて、「服を着た自分」に興味を持たなきゃいけないんだなってこと。
引いては、自分自身への興味を。


ペットやぬいぐるみの服ならいくらでも見られるのは、「見たい服」がそのまま「着てほしい服」だからというのもありますが、その対象を可愛くしたいという愛情があるからだと思うんですよね。


それと一緒で、自分に似合う服を選ぶには、「自分自身」をよりよくしたいというモチベーションが必要になってくるんだと思います。


私の周りにいるおしゃれな人たちは、自分を綺麗にしたいという意欲を私よりもずっと持っているように見えます。
そういう人たちを見ると、自分にちゃんと愛情を注いで、自分の外見に責任を持てるって素敵だなぁと思うし、愛情や興味や思いやりが、その対象を美しくするのかもしれない…という気がしてきます。



メイクや髪型も服と同じです。むしろ、より自分自身への愛情が必要になってくるかもしれません。

服は体から分離できるけど、メイクや髪型は自分の顔や髪という土台を離れては成り立ちませんからね。


自分自身にちゃんと目を向けて、今よりももっと輝きたいという気持ちを持つこと…
これは、自分の見た目をよりよくしていくという点でも大事なことなんだと思いました😌


呼んでくださり、ありがとうございます✨

ではまた次回(*´-`)

読んでくださりありがとうございます!スキ、フォローもしていただけたら嬉しいです🍀✨ サポートでいただいたお金は、今後の成長に必ず役立てます(^-^)ゝ